終点、乗り換え


最初に口を開いたのは彼女だった。

「久しぶりだね、二口くん。中学の卒業式以来かな」
「ああ、そうだな」
「東京の会社で働いてるっておばさんにきいたよ。凄いね」
「お前は、ここで働いてんの?」
「うん、そう。大変だけど、楽しいよ。読み聞かせとかもしてるの。ほら、これ見て」

小走りして掲示板に貼られた紙をこれこれ、と指さす。俺も近づいて紙を見た。

「銀河鉄道の夜、か」
「へへ、懐かしいでしょう?」

今月の絵本は私が推薦したのよ、と得意げに彼女は胸を張った。

「読み聞かせ会が終わったあとも、この絵本を読んでくれる子たちがいるのよ。この間は、お兄ちゃんが弟に読んであげてたわ。私にはそれが、なんだかむかしの私たちとダブって見えちゃって」

今は俺の胸のあたりまでしかない彼女は、俺を一心に見上げて話している。むかしは俺の話をうなずきながら聞くことのほうが多かった彼女が、今日はやたらと饒舌だ。

「ねぇ。私ね、ずっと、カムパネルラみたいだなって思ってたんだ」
「はぁ?誰が」
「二口くんが」

眉間に皺を寄せた俺を見て彼女はにこりと微笑んだ。

「だって、二口くんはどんどん離れていっちゃうし、いつだって可愛い彼女も賑やかな友達もいたし。いつのまにか東京になんて行っちゃうし。さみしかった」
「それはっ、その、なんていうか…ごめん」
「もういいよ。きっとあれが、思春期ってやつだったのかな。今思えば、ってやつだけどね」



「いけない、仕事に戻らなくちゃ」言いたいことを言うと満足したらしく、彼女は館内に足を向けた。「じゃあな」と声を掛けると、ぴたりと彼女が停止した。

「ねえ、二口くん。カムパネルラは、なんで最後の旅の相手にジョバンニを選んだのかな。お父さんでも、ザネリでもなく、なんでジョバンニを選んだのかな」

彼女の声は微かに震えていた。
俺は、小さな、頼りない背中をただ見つめる。

「私はね、二口くん。ずっと、二口くんは私を選んでくれるんじゃないかなって期待してたんだ。どんなに離れても、不思議とそんな気がしてたんだ。カムパネルラが最後にジョバンニを選んだみたいに、きっと私を選んでくれるはず、って。でも、違ったね」

そこで、彼女が振り返った。目は充血して赤く潤んでいる。

「結婚、するんだよね。二口くん」

そうだ。俺は高校時代から付き合っていた彼女と、来年結婚する。

「実は、さっき卒業式以来だねって言ったけど、あれはウソだったの。本当は、高2の夏祭りに、二口くんのこと見かけてたんだ。彼女と、いるところを。あの子が結婚相手だよね」
「ああ、そうだよ」
「あのとき、なんとなく気づいちゃったんだ。中学時代、どんな女の子と付き合っても全然楽しそうじゃなかった二口くんが、すごく愛おしそうに彼女さんのことを見てたから。私が選ばれることはないんだろうなって、気づいちゃったの」

まだ乾いている地面に、彼女の涙が落ちて点々と黒いシミができる。
彼女の手を引いた。よろめいた彼女を抱きとめる。この手に触れるのはもう何年ぶりだろう。彼女の手は小さくて、白くて、すべすべとしていて、俺の手とはまるで違った。

「俺は、結婚するよ。高校から付き合ってゴールイン、なんてさ。滅多にあることじゃないだろ?いろいろうだうだしたりして迷惑かけたのに、あいつは俺から絶対に離れなかった。だから、俺はあいつを一生幸せにしようと思ったんだ。でもさ」

シャツが、彼女の涙で温かく濡れていく。

「でもさ、俺もずっとお前のこと忘れられなかったんだよ。なにかあるごとにお前のことを思い出しちゃってさ。きっと、これからも忘れることはないと思う」

深く息を吸って、ゆっくりと名前を呼ぶ。彼女が小さく息を飲んだ。名前で呼ぶのなんて、それこそ何年ぶりだろうか。

「俺はお前じゃない女と結婚するけど、きっと最後の旅の相手にはお前を選ぶよ。なんでかはわかんねぇけど、そんな気がする。お前は、ずっと、俺の一番大切な人だ」

小さな嗚咽が、雨音に溶けて消えた。
彼女の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、多分、これで終わりだと思った。

長い長い、俺と、お前の幼い恋の物語は、これで終わった。
一生忘れることはない、大恋愛だ。