はじまりの日


22xx年ーーー。

歴史修正主義者との戦争が始まってから、幾十年の時が過ぎた。

彼らに相対し戦う審神者の数は減少の一途を辿り、政府軍は史上最大の危機にあった。

そこで政府が目をつけたのは特殊技能高等専門学校、通称"特専"の審神者養成課程の生徒である。


政府は、今後特専で優秀な成績を修めている生徒を飛び級で審神者職に就任させようと言うのだ。

その計画のテストとして、一人の少女が選ばれた。
少女の名は、名字名前という。





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「それでは、お好きな刀をお選びください!」

キツネ(こんのすけというらしい)がそう言って鳴いた。セーラー服に身を包んだ名前は顎に手を当てて、目の前に並んだ刀たちを眺める。

やがて決心すると口の端を緩めた。

「おや、もうお決まりに?」
「はい。私は彼と共に戦おうと思います」

心に決めた一刀に手をかざし、念じる。一陣の風が巻き起こった。季節外れの桜の香を残して風が止むと、そこには白い布を頭から被った青年が佇んでいた。彼こそが、彼女のはじめての刀である。

「俺は、山姥切国広だ」
「山姥切。今日から私があなたの主をつとめる名字名前です。どうぞ、よろしくね」

名前が微笑み、手を差し出す。山姥切は訝しげに己の主を見つめると「間違いじゃないのか」と問うた。

「何が、まちがい?」
「俺を選んだこと、それ以外にあるか?」

山姥切のヒスイのような緑の眼が、陰っている。

「それの何が間違いだって言うんです。私は、あなたと共に」
「写しの俺と?」

名前の顔がカアッと赤くなった。

「写しだからなんですか。あなたは、こんなにも綺麗な、美しい刀なのに。そんなこと気にする必要が、どこに」
「俺は」

強く弦が弾かれたときのように、その声は低く大きく響いた。その迫力に、名前は言葉を詰まらせる。

「俺はアンタの言う"そんなこと"で、今まで苦しんできたんだ」

二人が沈黙していると、こんのすけが慌てたように明るい声を出した。


「そ、それでは!山姥切も無事に刀剣男士となったところで初陣と行きましょう!」
「しかし、まだ人の身を受けて間もないのに一人で出陣させるのは危険ではありませんか」
「問題ない。戦の用意をしてくる」
「でも…」

心配する主の言葉は、ピシャリという襖の閉まる音に遮断された。



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山姥切が単騎出陣し、現在瀕死状態であると名前が聞かされたのは、ちょうど二人目の刀剣男士である薬研藤四郎を鍛刀し終えたときだった。

名前は、自分の知らぬところで山姥切が出陣し重傷を負っていたことに動揺した。


悔しい。
彼をもっと理解できたのなら、このような事態を防げたのだろうか。
私がもっと、しっかりしていれば。
彼が傷つくことも、きっとなかった。


名前は唇を噛み締めた。


「薬研、私は急いで彼を呼び戻します。すみませんが、詳しい説明はまた後で」

薬研が返事をする間もなく、名前は駆け出していった。





彼は部屋でひとり、先ほどの名前の様子を思い返す。


山姥切が負傷したと聞かされたとき、さあっと血の引く音が聞こえそうなほど一気に彼女の顔が白くなった。

きつく噛み締めた唇に滲んでいた、紙のように白い顔に浮かびあがる血の色。
後悔だろうか、己への怒りだろうか、彼女の瞳の奥には確かに炎が揺らめいていた。


思案の後に、薬研も部屋を出た。



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急いで山姥切を本丸に呼び戻し、瀕死の彼を抱きかかえた名前は、こんのすけの力も借りてなんとか手入れ部屋に寝かせた。

手入れ自体はこんのすけにもらった手伝い札のおかげですぐに済んだ。いま彼は規則正しい寝息を立てている。

名前は汚れた包帯を手に、そっと部屋を出た。
唇の血は、渇いて固まっている。


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山姥切が目を覚まし手入れ部屋の襖を開けると、そこには胡座をかく薬研の姿があった。

「はじめましてだな、山姥切の旦那」

そう言って口の端を上げる薬研に、山姥切は戸惑いながらも挨拶を返す。

「いきなりですまないんだが、旦那は俺がどうして大将に作られたかわかるか?」
「………俺にはわからん」

惑いながら答えた山姥切に「悪い、やっぱりちょっと意地が悪かった」と薬研が笑う。

「大将は、アンタのために俺を作ったんだよ。アンタが、傷つかないように。一人で戦いに出ることがないように。アンタが大切でならないんだろうよ」

その言葉をきいて山姥切は目を丸くした。薬研は肩をすくめてみせる。

「もっとも、アンタは俺が隊に加わるのを待たずに出陣しちまったみたいだけどな」

動揺する表情を隠しもせずに、山姥切は薬研に主の居場所を問うた。答えを聞くと、被った白い布を翻して足早に去っていく。

「次は俺っちも連れてってくれよ」

庭を眺め、つぶやいた。


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「話がしたい」

襖の外から山姥切が声をかけると、何やらバタバタと何かにぶつかる音や物が落下する音が聞こえたのち、名前が襖を開けて「どうぞ」と言った。

名前は後ろ手で襖を閉めると、その場で三つ指をついて頭を垂れた。

「ごめんなさい」

いきなりの謝罪にたじろぐ山姥切をよそに、名前は言葉を続ける。

「軽率なことを言いました。それがあなたを傷つけるとも考えず」

額を畳に擦りつけそうな勢いで謝る名前に、山姥切は慌てて膝をついて「頭をあげてくれ」と頼んだ。

「俺はそのことを気にしてない。俺も悪かった。アンタが俺を思ってくれてることを知っていたはずなのに、無視して突っ走って迷惑をかけた。すまない」

うろたえた声で山姥切は一息にそう言うと、面をあげた名前も
「確かに、指令もなく出陣することは絶対にあってはならないことです。今後は、一切そのようなことがないように」
と、厳しい声で言った。

「あまりこういう言い方はしたくないけど、本当に死ぬかと思うくらい、心配したんだよ」
「………悪い」

固い顔になった彼を見て、小さく笑うと名前は手を差し出した。
意図を図りかねて首を傾げる山姥切の手を取る。


そして「罰として、私と握手をすることを命じます」と微笑んだ。

笑んだ顔の瞼と鼻が赤く染まっているのを見て、山姥切は彼女が泣いたのであろうことを察した。

握った手は柔く、温かく。まで自分を握ったどの手よりも優しかった。



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震える背中は、人の身を授かってはじめて見たときよりも随分と小さく、頼りなさげに見えた。

薬研は鍛刀部屋を出たあと、勝手のわからない屋敷をしばらくうろうろと彷徨った挙句、名前の私室前についてしまったのだ。


つい先ほどまで薬研にとって彼女は強く、激しい主だった。

あのとき彼女の目の奥で揺らめいていた炎は、薬研に少なからず衝撃を与えた。柔らかな外見とは不釣り合いで、ともすれば自身を燃えつくしてしまいそうなほどの強さを感じたからだ。

それが、どうだろう。いまそこで肩を震わせている少女の、なんといじらしいことか。

きっといま、主は声を押し殺して泣いている。
己の刀を傷つけてしまったことを、守れなかったことを悔いて。そうなってしまったことを恥じて。己の不甲斐なさに憤りを覚えて。

きっと、いまも主は唇を噛み締めているんだろう。
鮮烈な赤い色が脳裏に浮かぶ。あとで診てみよう、と薬研は思った。










手入れ部屋の前でぼんやりと庭を見ていると、隣に名前が腰かけてきた。

「ありがとう、薬研」
「なんだァ。俺は何かしたっけか」

とぼけたふりをすると、名前は困ったように笑って薬研を見た。

「ねえ、薬研。あなた、自分が作られたのは山姥切のためだった……って彼に言ったそうね」
「ああ、そうだ。違いねぇだろう?」
「いいえ、それは違うわ」

名前はゆっくりと首を振る。薬研も主の目を見た。


「私は、あなたを必要としていたから呼び出したのよ。山姥切のためじゃない。私のため」

かぽーん、とししおどしが間の抜けた声で鳴いた。

「私ひとりでは、歴史改変を止めるどころか、自分に仕えてくれる刀たちを守ることすら出来ない。力をかしてくれますか」

薬研は一拍置いて、とても嬉しそうに笑った。

主のほっそりとした、人を殺めたことのない純粋で無垢な手を取る。
そして指先に鼻の頭をちょんとつけて、言った。

「大将が望むなら、なんだってしよう。俺の力の全ては、大将のモンだ」





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そして、その日のうちに新たに前田藤四郎、乱藤四郎、骨喰藤四郎、加州清光の四人の刀剣男士を本丸に迎え、晩は宴を催した。

この日より少女は審神者となり、刀剣と歩み始める。
どこへ続くともわからない、不確かな道を。