春はとなりに


季節は冬。
暦の上ではフェブラリーでスプリングだろうが、関係ない。誰がなんと言おうとも、今は冬だ。この尋常じゃない寒さと、足元に残るシャーベット状の雪がそれを証明している。
もう一度、今はまだ冬だと名前は強く思った。

「私、冬って嫌いなんです」
「おお、どないした急に」

今吉は面白そうに「なんや、理由でもあるんか?」と問いかけた。
身の回りで起こる全てのことを『楽しいこと』に変えて生きている彼女が、今は珍しく不機嫌で、尚且つ滅多に口にしない"嫌い"という言葉を使った。

妖怪サトリなどと言われる今吉も、後輩が初めて見せた表情の裏を見ることはできなかった。
だからこそ、気になる。

問いかけられた名前は、小さく息をひとつ吐いた。

「嫌いな理由なら沢山ありますよ。寒いし、道は滑りやすくて歩きにくいし。今日みたいに雪がべっちゃべちゃな時なんて、最悪です」
「まー、確かにそれは面倒やな」
「寒くていっぱい着込むから、動きづらいし」
「せやなあ。確かに、めっちゃ着込んどるもんな」

今吉は横目で隣りを歩く名前を見て、ぷっと噴き出した。
彼女はいま、シャツの下には半袖Tシャツを着て、その上カーディガンにダッフルコート、更には毛糸の帽子にマフラーまでつけて、足元には長靴を履いていた。
手袋だけは落としてしまったらしくつけていなかったが、まさに完全防備である。
着膨れしたその姿で頬を膨らませていると何処かマスコットじみていて、今吉の笑いを誘った。

名前は笑った今吉を睨みつけると、足音を強くさせた。
べちゃっという不快な音をたてて、泥水と化した雪が名前の長靴と今吉の制服に跳ねる。

「まだありますよ、冬が嫌いな理由。日が短いのが大っ嫌いなんです。遊ぶのをやめて、早く帰らなくちゃいけないのが、小学生のころはたまらなく悔しかったりもしました」
「はは、それはなんとも名前らしいわ」

今吉は笑ってから、スッと視線を空へ移動させた。

「でも、安心せぇ。名前の大嫌いな冬も、もうじき終いや。季節は巡るものやからな」

2人は今吉が部活を引退してからというもの、特に約束をしたというわけでもないのに、毎日帰り道を共にしていた。
空は日に日に明るくなってゆく。
それは冬が終わりに近づき、春がもうすぐそこまで迫ってきていることを示していた。

今吉につられて空を仰いでいた名前は、足を止めて視線を地に落とした。
思い切り首を上げて空を見ていた今吉も、数歩先で立ち止まり、振り返る。

「どないしたん?」
「私は冬が嫌いです」
「うん」

それ、さっきも聞いたで、とは言えなかった。
俯いて話す名前の声が、微かに震えていたのだ。

「冬は、嫌いです。でも、春なんて永遠に来なければいいと思います。それなら、冬が続く方がまだマシです」
「なんで?」

今吉の穏やかな問いかけに、名前は顔を上げた。
その目は涙で潤み、薄っすらと充血している。
固く結ばれていた唇を緩めて、名前は微笑んだ。
悪戯っぽく。バレバレの、でも精一杯の強がりだ。

「それは、秘密です」
「いつまで?」

からかうように言うと、名前は今吉の目の前まで歩み寄ってきて、真っ直ぐに彼を見上げた。

「卒業式のときにでも、教えてあげますよ」
「そんときは、もう正真正銘の春やで」
「そうですね、私もそう思いますよ」

季節は巡るものだから?と名前が戯けて言う。
2人は顔を見合わると、ゆっくりと微笑んだ。
そうして、どちらからともなく手を繋いで、再び歩き出した。


ふと目に飛び込んできた、雪の白に映える紅梅の花が、名前に確かな春の訪れの予感をさせた。
それでも名前は目を瞑り、ただ繋いだ手の冷たさだけを信じようとする。

そうして、強く願った。
時間よ止まれ。
この幸福な冬を終わらせないで。







紅梅ー花言葉は"隠れた恋心"
春隣ー冬の終わりに、もうすぐそこまで来ている春を感じること