帰り道とドライブ
スタジオのビルを出ると、陽が沈んで空が暗くなっていた。スマホを確認すると、表示された時刻は18:06。暗くなるのが早くなると、秋も深まり冬が近づいてきたなあと感じる。
今日はこの後仕事もないため、自分で帰るよ、とマネージャーには連絡済みだ。普通の人ならばここから徒歩5分の最寄り駅に向かうのだろうが、ぼくは違う。地図アプリによるとここから自宅までは徒歩で60分ほど。知らない道を、ナビに従いながらものんびりと歩く時間が至福の時間だ。
ふと赤い通知マークがついていることに気づいて、LINEを開いた。
(タピオカドリンクの写真)
新しくできて気になってたお店きちゃいました!
甘いけどスッキリ飲めたのでオススメです✨
甘いけどスッキリ飲めたのでオススメです✨
自分もそこ気になってました!
今仕事終わったんですけど、ちょうど家に帰る方向なので、寄ってみます🚶💭
今仕事終わったんですけど、ちょうど家に帰る方向なので、寄ってみます🚶💭
返信をした途端、すぐに既読がついたかと思えば、手の中のスマホが震えて照くんからの着信を知らせる。通話ボタンをタップして電話に出ると、耳元に照くんの声が流れてくる。
『もしもし』
「岩本さん、お疲れ様です」
『お疲れ様です。今から来ます?』
「あれ? 今お店いらっしゃるんですか?」
『まあまだ近くに』
「あ、残念。自分今から歩いて向かって20分くらいかかるのですれ違いですねー」
『え? 来るなら待ちますよ?』
さも当然と言わんばかりに待ちますよ、という彼の言葉に驚いて、思わず「え」と声が漏れる。それが拒絶のように感じさせてしまったのか、続く慌てた様子の彼の声はシュンとうなだれる子犬のような照くんを彷彿とさせた。
『あ、いや、迷惑なら全然――』
「いやいやいや、そうじゃなくて! わざわざ待たせてしまうのが申し訳なさすぎて!」
こちらも咄嗟に否定する。勢いあまって驚かせてないだろうか? 必死すぎて引かれてないだろうか?
照くんの切ない顔は苦手だ。バラード系の歌を歌うときによくする表情。今にも泣きだしそうな感じがして、泣かないで、と思わずにはいられない。自分のせいで泣かせてしまうなんて言語道断。いや、自分のせいで泣かせてしまう、なんて思うこと自体がおこがましいかもしれないけれど。
『全然迷惑じゃないし、折角なら美味しさ共有したいので、待ってていいですか?』
「……お言葉に甘えて。急いで向かいますね」
『ゆっくりで大丈夫ですよ』
そう言われて本当にゆっくり向かう人がいるんだろうか。推しをこの寒空の下に待たせるわけにはいかない。通話を着ると、目的のお店に小走りで向かった。
***
どうしてこうなったのか。気づけば岩本さんの車の助手席に座っている自分がいる。
「これは一体」
「美味しいですよね」
「あ、めっちゃ美味しいです。タピオカもっちもち」
ストローをひと吸いすると、口の中にもちもちのタピオカとともに、少し甘めのミルクティーが流れ込んでくる。その甘さに自然と頬が緩む。
隣でハンドルを握る照くんをちらりと横目に見ると、彼も口角が上がってなんだかご満悦な様子。
時は遡り30分ほど前。
目的地のタピオカ店の前に着いて周囲を見渡していると、後ろから肩を叩かれた。振り返ると、長身のサングラスお兄さんがこちらを見下ろしていた。
「岩本さん、お待たせしてすみません」
「全然! むしろ急かしたみたいで、すみません」
「……ばれました?」
「……すみません」
店の50m手前くらいで足を止め、息を整えてから来たつもりではいたが、まだ少し肩で息をしてしまっていたのか、走ってきたことは照くんにはお見通しのようだ。気づいてしまったことについて、申し訳なさそうに目を細め、小さく頭を下げてくれた。
新規オープンの人気店といえど、平日の閉店間近にもなれば待機列もなく、店頭でメニューを確認する。様々なフレーバーのティーがあるようだが、初めてのお店はまず安定のミルクティーで様子見。レジに立つ店員さんに、定番のミルクティーを注文して支払いを済ませる。
「あー……もう一杯飲みたくなるー」
「さすがにスパン早すぎ」
「っすね」
今日はやめときます、と言いながらも、次のことをもう考えてるのか、メニューを見ながら口を尖らせている照くん。もっと早く仕事が終わってここに来れれば、一緒のタイミングで飲めたのに、惜しいなあ。
「秋野さん、この後ってもう自宅帰ります?」
「です。ここから歩いて4〜50分くらいですかね」
「マジでいつも歩いてんすね」
「いつもではないですけど。まあ時間が許せば」
歩くことが好きで、よく散歩や徒歩移動をしていることは、SNSなどで発信している。もちろんプライバシーを考慮して発信するのは場所や時間は伏せつつだけれど。それを知ってくれているのか、照くんは当たり前のように4〜50分という時間感覚を受け入れてくれた。
「でも今日は暗いし、折角なんで送りますよ。車あるんで」
そんなこんなで今この状況である。仕事のタクシー移動は後部座席だし、人の車の助手席に座るなんてすごく久しぶりな気がする。まして照くんの助手席に座る日が来るなんて。この座席、深澤さんのものだと思ってた、なんて言ったら怒られるだろうか。
「本当にわざわざすみません」
「だから謝らなくていいですって! 歩くの好きなのはいいことですけど、夜道は危ないんで」
「こんなおとこ女を襲うような物好き、なかなかいないですけどね〜。経験ないし」
「なくて何よりです。でもほんと、気をつけてくださいよ」
夜に徒歩移動をすることもしばしばあるし、マネージャーさんには夜間の長時間の歩行はやめるようにとよく怒られていた。危険をいまいち自分の事のように感じられず続けてしまってはいるが、確かに心配してくれる人の気持ちはありがたい。そしてどこかくすぐったい。それを中和させるように甘いミルクティーを喉に流し込む。
「お礼に今度、何か奢りますよ」
「んー……じゃあまたさっきのタピオカ屋行きましょ。奢りはいいので」
「えー。自分ばっか得して平等じゃないですもん」
車が赤信号で止まる。その隙に腕を組み、少しの間思案したかと思うと、閃いたように目を見開いてこちらを見据える。
「ずっと気になってたんですけど、ラジオとかじゃ"照くん"呼びなのに、俺に対してはずっと"岩本さん"ですよね」
「そう、ですね」
「お礼代わりに、名字呼びやめてください」
「ムリ!」
「なんで! ムリじゃないですって!」
「推しを目の前に名前で呼ぶなんて恐れ多いですもん!」
「"お礼代わり"でも? 本人がそれでって言ってるのに?」
「うぐ……」
推しのことを名前や愛称で呼ぶことはあっても、それはファンとしての呼び方であって、芸能活動をしている人間が、本人目の前に軽率に名前や愛称で呼ぶことには抵抗がある。そう思って、今まで照くんのことも、ご本人に対してはずっと岩本さんと呼んできた。普段名前で呼んでいるからといって、本人に向けて言うのとではわけがちがう。だがしかし、本人が望むのであれば――
「照、くん」
「ふふっ」
「え、これ照くん担に怒られません!?」
「公共の電波じゃいつもそれですよ」
「そうだった」
気恥ずかしさからストローをくわえて残りのミルクティーを一気に飲み干す。最後に残ったタピオカをひとつひとつ丁寧に吸い上げていると、既に窓の外にはご近所の景色。歩けば1時間の距離も、車じゃあっという間だ。
「このへんでもう大丈夫ですよ」
「ほんとですか?」
「そこのマンションなんです」
「あ、ほんとだ。すぐだ」
建物を確認するやいなや、あっという間にマンションの前。スマートにもほどがある。本当にありがとうございました、と言いながらシートベルトを外して車を降りる。ドアを閉めると、助手席側の窓が下がっていく。
「約束、覚えててくださいね」
「タピオカ屋に、照くんと、また行かせていただきます」
「おっけ。じゃあ愁さん、おやすみなさい」
「おやすみなさい――!?」
あれ、今名前呼ばれた? と違和感に気づいた頃には既に窓が完全に閉まるところで、照くんの左手がこちらに振られながら車はゆっくりと走り出した。
照くんとはLINEを交換したあとからちょくちょくやりとりはしていたが、対面でゆっくり話すのは今回が初めてだった。正直ずっと画面の向こうの人、アイドルとファン、という認識だったし、それ以上でもそれ以下でもない。
でも今日、新たな推しの一面を知った。照くん、かわいい系ギャップの持ち主かと思いきや、ちゃんとスマートにソツなくこなすタイプだったか。