「…よおベリー。何、どした」
『ネープル!あのね聞いてほしいんだけど今日トキワに行って__』
部屋に響き渡るスマホの着信音。出る気分になれずに放置していた俺だが、コール5回分放置してもまだ鳴りやまぬそれを見て溜息を吐きながら画面に映し出される応答ボタンをタップした。
よおと俺が声を発した瞬間から始まったマシンガントーク。つらつらと話されるそれらに圧倒された俺はほとんど黙って話を聞いていた。
『__でね、スピアーに会っちゃって本当に死ぬかと思って!』
「おー。」
『でもアルゴくんが助けてくれて、あっアルゴくんのことくん付けで呼んでるのはそれでいいよって言ってくれたからで。』
「そーなん。」
『ねえネープル、私の話ちゃんと聞いてる?』
ベリーの問いに対して俺は何も返せなかった。だってまともに聞いていなかったからだ。どこかに行って誰かと会ったという話をしていたのは分かるが、それがどこなのか誰なのかと聞かれたら何も答えられない。上の空で聞いていたわけだ。
「ごめん、ちょっと考え事してて…。」
『ネープルに考え事って似合わないね。』
スマホ越しから聞こえる楽し気な笑い声に、俺は失礼だなと普段より覇気のない声で返した。
ナルミから11歳のプロ少女の話を聞いて早4日、俺はというと虚無という二文字がお似合いな日々を過ごしていた。
捕獲の練習にも身が入らず、何をしていてもずっと頭の片隅にあのことが浮かんでしまうという状況。お母さんの顔を見て話すこともできていないしむしろ避けていると言っても過言ではない。どこにいても何をしても喉元が圧迫されているような感覚に襲われている今、気を紛らわせられるという意味ではベリーのこの一方的な電話は丁度いいものだった。しかし俺の声色やテンションから調子が悪いと考えたベリーは、『調子悪い時にかけてごめんね。また今度かけるからお話聞いてくれる?』と言い通話を切った。液晶に映る終了の二文字と通話相手はいないということを知らせるための無機質な音が俺を再び虚無へと引き戻す。
また一人だ。一人だと考えなくていいことまで考えてしまう。お母さんは本当は俺に捕獲の専門家になってほしくないのではないのかとか、お父さんもグルで両親揃って反対しているとか。今までの俺の頑張りは全部無駄だった、とか。
「虚しいなあ…。」
そう言いながら布団の中に潜り込む。
全ては妄想だ。想像だ。現実ではない。けれどもそれらは今の俺の身体と意識を固くさせるには十分すぎる材料だった。
早く忘れよう。お母さんもお父さんもそんな嫌なこと考えてないはず。だって俺二人の息子だし、息子にそんな意地悪なことする親いる?少なくとも俺の親はそうじゃないって信じてる。
「…ネープル?」
扉の向こうから投げかけられた声。それはあの日から俺の心に巣食う存在であり俺の実の母親でもある人のもので。
熱い目元をごしごしと強めにかき、何事もなかったかのように顔を”いつも通りのネープル”に整え直し、先の問いにどうしたの?と返す。声は震えていないだろうか。だって扉の前にいるのは例の人物。本人だ。本人の前でそんな、泣きだしたら駄目だろう。
入ってもいいかと問われたが言葉を濁し、曖昧に返事をする。断ったら尚更心配かけちゃうから。これ以上心配をかけたくはないけれど会いたくはない、だからこれが最善の選択のはずだ。
「どうしたの?何か手伝い?クリアにさせてよ、あいつヒマでしょ。」
「お手伝いとかじゃなくて、ネープルに聞きたいことがあって。」
妹を使って面会を回避しようと思ったがどうやら俺の思い通りにはいかないらしい。困ったな、なんてどこか他人ごとのように感じながら上体を起こす。もう一度目元を雑にかいてから分かったと簡単に了承を示す言葉を返した。「…お母さんネープルのことが心配なの。だから何があったのか話してほしいの。」部屋に入ってきたお母さんは本当に心配そうな顔をして俺を見つめていた。
それを見て最初に生まれた言葉はごめんの三文字。けれどもそれを言って一体何になるだろうか。心配かけたのは確かに俺が悪いけれど、その原因を作ったのはアンタじゃないか!なんて反抗心から生まれた言葉が二の次に出てしまうに違いない。だから黙った。言いたくない?と問われたので口を閉じたまま頷く。
ごめん、困らせてばかりで。俺悪い子だね。やっぱりごめんくらいしか言葉が見つからなくてそう言ってしまうけれど、お母さんは謝ることでもしたの?と少し笑いながら俺の横に腰を下ろした。
「…何を気にしているだとか何に悩んでいるとか私には分からないけれど、何をするにしろ私は…私もゴールドも否定しないわよ。だからそんなに落ち込まないで。」
息が止まった。
いい言葉だと思う。意地悪な親じゃないって証明にもなる言葉だった。俺のことを思ってくれているってのも分かった。
でもさ、否定しない、って何?否定したじゃん。今の俺が劣化品だって証明されてさ、まだプロじゃないしさ。認めてくれないしさ。嘘ついてさ。そんなん遠回しに否定してんのと同じじゃん。
妬みと恨みと反抗から生まれるネガティブなもので脳内が侵される。もう顔を上げていられない。負の感情はもう喉元までせり上がってきていて、口を開けたらもう、もう、全部。
「…何で嘘ついたの。」
ぽろっと口から零れた本音。それを言うのと同時にお母さんの目は動揺で揺れた。「…何、え?」多くなる瞬き、言葉に詰まったという事実が俺の喉を更に圧迫させる。「11歳でデビュー済みだったんでしょ。知ってるよ。お母さんが天才だったことも、俺がその時のお母さんより実力も何もかも劣っている劣化品だってことも。」もう止まらない。一度決壊したものはすぐに修復できない。
素直なのは美徳だ。しかし決してそれがいいこととは言えない。今まで素直が俺の取り柄です!なんて言ってきたが、こんなもの、人間関係を壊してしまうものにしかならない。
涙と嗚咽が止まらない。顔を上げることができない。ここから逃げ出したい。そんなものを願っても誰も助けに来てやくれない、そんなことは分かりきっている。だが願わずにはいられない。いられないのだ。
「11歳からプロとして活動してたんでしょ。…自分はそんなんだったのに何で俺は認めてくれないんだよ。何で色々詳しく教えてくれないんだよ!否定しない?嘘ばっか!嘘つき!ひどいよこんなん!このやり方が遠回しに俺を否定することになってんじゃねえの?!」
ぼろぼろと涙をこぼしながら喉元に溜まっていたものを一気に吐き出す。全てを言い切った後、そこにつっかえていた苦しさは全てなくなった。けれどもその変わりに生まれたのは強い後悔だった。少しだけ目を動かしてお母さんの方を見るととても悲しそうな表情を浮かべているのが見え、体から血の気が引いたような感覚に陥った。
違う、こんな顔をさせたかったわけじゃない。そうじゃないのに。「…ごめん。」必死の思いで絞り出した声はとても小さく、情けない程震えていた。ああ馬鹿みたいだ。悪い子だ、俺。けれども謝らないでとお母さんは言う。何で庇うんだろう。悪いのも謝らなければいけないのも全部俺の方なのに。
「謝るのは私の方。本当のことを伝えなかったのはね、ネープルに色々な選択肢を見つけてほしかったからなの。」
「…選択肢?」
選択肢って何の。考えてみたが今の俺の頭では何も思い浮かばない。それが表情に出ていたのだろうか。お母さんは少し笑みを浮かべて俺の頭を撫でた。「__お母さんのお話、聞いてくれる?」今の俺に首を横に振る勇気も元気もない。無言と言う名の了承を返した。
「_お母さんね、11歳の時に捕獲の専門家としてオーキド博士から依頼を受けていたの。きちんとしたお仕事だったのだけれど…そのお仕事の途中で捕獲ができなくなっちゃって。その時この仕事から降りようって思っていたの。」
「……。」
信じられない話だった。何事にも真面目に真摯に取り組むお母さんが自らの仕事を投げ出そうとしたことがあっただなんて。「その時に丁度マ…おばあちゃんと偶然会ってね、それで何とか持ち直したんだけれど…」あの時会ってなかったらどうなっていたんだかとお母さんは軽く話すが結構深刻な話だよなこれ。どんな顔して聞いていればいいのか分からない。何を言えばいいのかも分からない。
「捕獲の私と育て屋のゴールド。他の子の親御さんたちと違って特殊な職業に携わっていて、ネープルは少し変わった環境で育ってきたじゃない。だから自然と将来を見る視野が狭まっているんじゃないかって思って…。」
「ッそんなことない!」
「あるわよ。ネープル、小さい頃の将来の夢は何?」
「夢?そりゃあ…」
捕獲の専門家だよ、と続けようとした口が止まった。そんなことないと言ったのはどの口だ。思い出せる限り思い出してみたが俺の将来の夢というものはずっと昔から”お母さんみたいな捕獲の専門家”だった。それ以外の夢なんて終ぞみたことがない。お母さんの言う通り俺の視野が狭まっていたという証明だ。「まあネープルが友達だって言って家に連れてくる子もジムリーダーとか特殊な職種の家の子だったから、普通の職業っていうのが結局分からなかったのかもしれないわね。」苦笑するお母さんに「確かに。」と小さい声で同意をする。仲良かったのはジムリーダーの子供だったりベリーだったり特殊な家の子供が多かった気がする。うん、よく考えると普通の親の職業ってよく分からないな。反射的に言い返してしまったが実際はお母さんの言う通りだったわけだ。
「プロでなく見習いでいさせたのも当時の私みたいな厳しい特訓をさせなかったのも、未来のことを考えてだったの。そりゃあ私を目標にしてくれたのはとっても嬉しかったけれど…、これしかないって思ったネープルがそのまま捕獲の道に真っすぐ進んで行って、でも途中でもしあの時の私以上に心が折れて立ち上がれずに先に進めなくなってしまったら…って考えたら怖くなって。」
俺のこと思って、11歳を超えたその先の可能性までを考えての行動だったのか。
親としての愛。それを実感するほど胸が苦しくなり、先程までの自分の発言が馬鹿みたいに幼稚で間抜けで自分勝手なものだったということの実感も強くなっていく。何が否定してるだか、何が酷いだか。酷いのは自分のことしか考えずに傷つけるような言葉をあびせた俺の方だというのに。
「…ごめん。俺自分のことばっかで、なんも考えてなくてひどいこと言って。」
「いいのよ。…私もごめんねネープル。きちんと説明しなくて、こんなになるまで不安にさせてしまって。」
また目元が熱くなる。だからごめんは俺の方なのに、数日間まともにコミュニケーションを取ろうとしなかったのも心配かけたのも嫌なこと一方的に言い放ったのも俺なのに。
「心配かけてごめん、家族の雰囲気悪くしてごめん。………ありがとう。」
「いいのよ。…もう心配しなくてもよさそう?」
「うん。…俺、やっぱり捕獲の専門家になりたい。どんなことがあっても挫けないから。」
もう不信感も喉のつかえも消え去った。胸の中にあった不安ももうない。今まで通りの俺に戻った…いや、今の話を聞いて俺は ” 本気で捕獲の専門家になりたい ”と今まで以上に思うようになった。今からでもプロを目指すって遅くないかな。そう尋ねるとお母さんは「十分よ。むしろ私が早すぎたくらい。」と言った。
正直まだ羨望はある。11歳という若さでプロとして活動していた存在が実の母親だなんていう劣等感もまだぬぐい切れていない。けれどもそんな先輩が " あえて " この選択をしてこうして育ててきてくれたという事実が分かった今、俺が言える文句はもうない。
「そっか。……俺本当に本気だから。よろしく。」
「じゃあお母さんも本気で教えるから、ネープルも本気で答えてね?」
「あ、ハイ。」
和解。そして始まるスパルタ指導。
次の日からお母さんが修行していた場所だというスリバチ山に行って足場の悪い場所でお母さんによるマンツーマン指導が始まった。しかもほぼ毎日。それが終わったら体中へとへとになって、帰宅して速攻ベッドにダイブして気絶するみたいに寝る。身体が慣れるまでそんな日々は続いた。勿論ベリーからのメッセージもろくに返せないし、妹となんか顔を合わせることがない。そんな俺を少し不憫に思ったのかお父さんからもう少し手加減してやれねえの?と投げかけられたこともある。まあその言葉はやる気に満ち溢れたお母さんによってすぐ却下されたのだけれど。
少しだけ、少しだけだけれど、お母さんの笑顔の圧が怖かったなとか言わなきゃよかったって思ったのはここだけの話。