夜間法典


「こんばんは。」

エンジュシティ、それは昔と今が同時に流れる場所。歴史的建造物と趣を感じる街並み。他の街ではまず見られないであろうそれを目当てに訪れる観光客もさぞ多いのだろう。
しかし今は夜、しかももう普通の人なら眠りについている時間帯だ。街の灯りも一部しかない。未だ煌々と光っているのは遠くに見える繁華街のようなところだけだ。
俺が歩いているのは街の外れに当たるところ。民家はあるが、明かりの灯っている家など片手で数えるほどしかないし勿論人通りなど皆無だ。
そんな場所だというのに、俺に話しかけてくる存在がいた。
声がした方を振り返り、それが何なのか確認する。見えたのは闇の中でも嫌にはっきりと発色している赤い和傘を差している男だった。


「好い月夜だと思わないかい?」
「正体を明かせ、顔を見せろ。会話はそれからだ。」


警戒心剥き出しで睨みつけるが、目の前の傘の男はふうと息を吐き「つれないなあ。」と言い、差していた和傘を閉じその姿を現した。
月明かりに照らされて最初に見えたのは金色の髪の毛。そして夜には不釣り合いなほどに鮮やかに見える紫色の衣服。その下に見える血の色のような着物。それらを身に纏う男は笑みを携え、再度「こんばんは。好い月夜だね」と俺に話しかけてきた。
……ああ、正直言ってしまうと気味が悪い。
そう思ってしまったのはこの時間帯だからだろうか、それとも妙な雰囲気を持つこのエンジュだからだろうか。…いや、どちらも違うな。気味が悪いと思ったのは男の目だ。それを見た瞬間に浮かんだ言葉は空虚の二文字。どこを見ているのか、その瞳で何を捉えているのか、実際見えているのかも分からないように見える光もないその真っ黒な目に俺は臆したのだ。

「きみ、困っているんだろう?」

男のその言葉で俺は顔を上げた。男と目線がかち合う。「…人の思考覗けるのかよ。」「『そうだ』と言ったら納得してくれるのかい。」たとえそれが本当だとしても誰がそんな非現実的なことすぐに信じるか。まあ流石にそんなこと僕でもできないんだけどと柔い笑みを携えながら言う目の前の男を軽く睨みつけるように見ると、まあまあジョークだとでも思ってくれと嗜められるように言われる。本当にこの男、底が知れない。「さて早速だが本題だ。僕もそこまで自由ではないからね。」男はそう言うと俺の方へ数歩分歩み寄り、内緒話でもするかのように口元に手を当ててその本題と言うものを話し始めた。


「いいかい、一回しか言わないからよく聞くんだ。…チョウジジムリーダーのシルバーという人を頼りなさい。きみが探しているものの手がかりが一つ増えるかもしれない。」


チョウジジムのシルバー、そこまでは素直に聞くことができた。が、問題は後半の言葉だ。少し思うところがあり口を挟みたくなったが、もしかしたら適当にその言葉を口にしただけの可能性もあると思い俺はそのまま口を閉ざし続けた。この男の前では下手に動かない方がいい。
「それと、」一番大切なこと、と前置きをしてから男は再度口を開いた。

「シルバーさんに対して自分の出自は素直に明かすこと。」
「っ、」
「わざわざ遠くからジョウトまで…ご苦労なことだね。」

明らかに動揺しているだろう反応を見せる俺を気にも止めず男はその柔い笑みを崩すことなく話し続ける。
お前、どこでソレを。
男の言葉に敵愾心を抱き、腰のホルダーにあるモンスターボールに手を伸ばす。「そんなに怖い顔しないで。絶対に悪い方向には転ばないから。」しかし男はそんな俺の行動に臆することなく会話を続けている。こいつ一体何が目的だ。むしろ人間か?今まで様々な地方に行き様々な人間と関わってきたがお前のような人間になぞ出会うことなどなかった。

「……信じるも信じないもきみの自由さ。でも、頭の片隅に置いてくれたら嬉しいかな。」

俺の思考を察したのかは知らないが男は少し悲しそうに目を伏せる。
次は・・みんなと一緒に来るんだよアルゴくん、という意味の分からない言葉を残して男はいつの間にか傍にいたピクシーと共に消えていった。テレポートを使ったのだろう。いや、使ったと思わせてくれ。これ以上人外疑惑を持たせないでくれ。
ああ酷く疲れた。実際には数分しか経っていないが、体感的には数時間もここで会話していたような気持ちだ。何を知っている。何が目的だ。何故こうも的確に今の俺が欲していものを与えてくる。
…と言うか、俺はあいつの前で名前を言っただろうか。言っていない気がするのだが、では何故あの男は俺の名前を知っていたのか。本題とやらに入る前に交わしたやり取りを思い出し少しぞっとする。本当にそんな力を持っていたら、いやここのジムリーダーは確か__。


「気味悪ィ…。」


ああもう何も考えたくない。まるで幻のような人だった、なんて男相手に柄でもないことを考え俺はエンジュシティを後にした。
- 16 -
トップページへ