槐の輪廓


ネープルは決心した。必ず、かの高圧的で人を刺し殺しそうな目つきができるアルゴがいたとしても、幼馴染のジム戦を見届けなければいけぬと決意した。
ネープルは変なところで小心者である。人見知りするなら二回目からのタイプである。だから初対面であんなに啖呵を切ったことを、とても後悔していた。今日の午前9時、ネープルは家を出発し、自転車を漕いで、待ち合わせのエンジュジム前までやって来た。ネープルは変なところで度胸がない。バトルの実力も、視野の広さも、経験もない。だがあの内気で人見知りの幼馴染が勇気を振り絞ってジム戦に挑むというのなら、気まずさもなんのその。そんなものは関係ないのである。もしジム戦を突破したら。そんな場面に立ち会えないのが嫌だ。そんな思いがあったのだ。


「…………なんでこいつがいるんだ。」
「ネープルが、来たいって、言ったから…。」


ネープルは弱い男であった。アルゴのあの日に似たような視線に屈する、弱いハートの持ち主であった。めちゃくちゃ帰りたい。先ほどまでの気持ちを撤回してそんな感情が生まれてしまうくらいには弱い男なのだ。


「…俺の感情は一旦置いておくが、お前はオーディエンスが増えて緊張しない質だったか?初めてのジム戦ですでに緊張しているだろうに、知り合いに見られているという圧で自分を潰し、練習の成果が出せなくなるなんて結末だったら笑えないぞ。」
「たったったぶん大丈夫…の、はず…だと思いたい毎日でした…?」
「疑問形になるのをやめろ。」
「え、俺やっぱ帰った方がいいの?ベリーの邪魔になるの?ネープルくんおじゃま虫なの?いない方がいいの?」
「今までの会話を思い出して自分で判断してみろガキ。」
「大丈夫だと思いたいから大丈夫だよネープル多分大丈夫だよ大丈夫大丈夫。」
「ねえそれ本当に大丈夫なのベリー。自分に言い聞かせてるだけで俺に言ってるわけではないんじゃないの?」
「ふふふ。僕としては3人一緒の方が有難いし、是非ワカバのきみには同席してもらいたいと思っているよ。」
「あっ、ほんとぉ?いやーそう言ってもらえると嬉しいな…あ……?」


急に聞こえた声の方向に三人は顔を向ける。
風になびく柔らかい金色の髪。
病人、もしくは死人が着るような、縁起でもないことが連想できてしまいそうなほどに真っ白な着物。
いつ倒れてもおかしくないくらい血色の悪い肌の色。
穏やかな笑みの向こう側にある、薄暗い、肌寒さを感じさせるような『奇妙な』気配。
ネープルにとってそれらは、あの日マダツボミのとうで出会った恩人であり。
ベリーにとっては父親の、シルバーのジムリーダーの会合へ着いて行った際に会った人であり。
アルゴにとっては、己がひた隠しにしている部分を初対面で暴いた不気味で得体の知れない男であった。

「「いるぅ⁉⁉」」
「…どこから出てきたジムリーダー。」
「?普通に出入り口から。」

驚きで固まっているネープルとベリーをよそに、アルゴと突如現れた金髪の男___タナトは、温和な笑みを浮かべながら久しぶりだねと各々三人に声をかけた。

「ジ、ジムリーダァ⁉タナトさんがァ⁉」
「そうだよ。僕がエンジュのジムリーダー。」
「何をそんなに驚くことがある。お前、自分の住んでる地方のジムリーダーくらい把握していないのか。」

知らなかったんだけど!つかふつー把握しなくね⁈と大声で抗議するネープルを半ば無視し、未だ固まっているベリーを置いておきながらタナトとアルゴは話を進めていく。

「何故俺たちがここにいることが分かった。ジムには15分後の予約の時間通りに入る予定だったんだがな。」
「君たちが今日ここに来ることはちょっと前から見えていたんだ。今日という日が楽しみで仕様がなかったよ、本当に。」

だから君たちは顔パス。そう言ってにこやかに笑みを浮かべるタナトを、アルゴは対称的に冷ややかな目をして見つめていた。アルゴは初コンタクトの場であったあの夜の一件からタナトのことを一方的に嫌っている。
タナトはその視線が気にならないのか、そのまま笑みを携えながら「まず改めて自己紹介からしようか」と口を開いた。


「エンジュジムへようこそ。僕がジムリーダーのタナトです。エキスパートはゴーストタイプ…って、もう知っているかな?ドラゴンのきみなら、下調べくらい最初の内にしているだろうしねえ。」


ふふふとアルゴの方を見ながら笑みを深めるタナトはさあおいでとジムの最奥へと続く関係者出入口を開く。
暗闇、漆黒、星も月の光もない深夜の空、深淵。そんな言葉がお似合いの空間、それがエンジュジムであった。くらやみのほらあなに負けないくらいに真っ暗だなとネープルとベリーは感じた。
余談だが、エンジュジムはジムリーダーが親であるマツバから子であるタナトへと代替わりした時に内装を軽くリメイクしたと言われている。が、実際その内装リメイクと言うのは『暗闇を増やしゴーストタイプに有利な場を挑戦者に提供。普段のバトルとは違う環境下でどう打開するかが見たいなあ』というタナトの要望をもとにしたものであった。そうしてエンジュジムは、ぽつんぽつんと設置されている微妙な灯りが微かに足元とほんの少しの周囲を照らすだけで、足元は暗闇に目を慣らさないと認識できないくらいの、危険極まりない場所に変貌したのである。何と最悪な劇的ビフォーアフター。しかしこれよりも危険なジムが存在するので、これくらいならかわいいものだと、ポケモン協会はこの設備内容に許諾の判を押したのであった。

「進まないの?」

ベリーが恐怖と緊張から進むのを躊躇っていると、軽い口ぶりでタナトが声をかけてきた。暗闇のジムに対し平然としているアルゴは何と酷なことをと思い、ネープルはベリー同様恐怖を感じていた。そんな三人、基いベリーの反応を観察したタナトはいきなりベリーの手を握った。

「へ、」
「一緒に行けば怖くないよね。」
「へ?」

いきなりの出来事に呆気に取られているベリーをよそに、タナトはベリーの手を引いて暗闇の中に足を踏み入れていく。
ぎゃああああと女の子らしさも何もない叫びをあげるベリーを見て、アルゴは待てとタナトにストップをかけた。緊張が最高潮に達している人間にその扱いはさすがにむごすぎるだろうと言うと、タナトは確かにねぇと理解を示し、いきなり、突然、今のベリーの命綱とも言えるだろうその繋いでいた手をぱっと離したのだ。アルゴは反射的にベリーの片腕を引き上げた。

「おっま、馬鹿野郎!あぶねえだろうが!」
「あばばばネープルわたしまだ生きてるかな…?」
「大丈夫ベリー生きてるよ、俺たちまだ生きてるよ…!」
「え、そこまだ足場が安全な場所だからどうにかなることはないし、大丈夫だよ。生命の心配なんてしなくてもいいんだよ?」
「そうじゃねえんだよ、そうじゃねえんだよ俺たちの言いてえこたぁよ…!」

言いようのない怒りのような、そうでないものを覚えたアルゴはわなわなと身体を震わせた。あー、やっぱこの野郎苦手だと、心の底から思いながら。
しかしタナトはそんなアルゴの反応を不思議に思うこともなく、相も変わらない態度で、僕は最奥で待っているよ。と、ジム内に負けないくらいに光を宿していないその虚ろな目を三日月型に細め、暗闇の中へと姿を消したのだった。
- 23 -
トップページへ