燦然なる光と


もう大丈夫です。始めてくださいと、若干まだ不安の残る色をその瞳に映しながらも、ベリーはジムチャレンジ開始を自ら宣言した。

「もういいんだ。僕はいくらでも待つよ?本当にいいの?」
「いいんです。もう、いいんです。」

それに、本当にあなたの言葉に甘えていたら日が暮れてしまいますから。ベリーは眉を下げながら困ったようにそう言った。
タナトがふうんとなんでもなさそうに呟くと、それまでベリーの目の前に自慢げな表情をしてふよふよ浮いていたムウマがすっと姿を消した。

「はやくポケモン出しなよ。もういいんでしょう?」

タナトがそう言った瞬間、部屋の温度がぐっと下がったような感覚をベリーは覚えた。息がし辛い。有無を言わさないようなタナトの圧にひるんだベリーは、はいと素直に指示に従ってボールの中からポケモンを__ワタッコを出した。
本人がああ言ったのならばタナトからは言うことは何もない。引き留めることもない。この場に公式戦に付き物の審判はいない。開始の合図はベリーの準備が整ったらという約束であった。タナトのポケモンはすでにこの場に出ており、ベリーのポケモンもこの戦いの場に出たのだ。
ジムチャレンジをするための用意はすでに整っている。
もうジム戦は『いつ開始されていてもおかしくはない』のだ。


「『くろいまなざし』」


ぬっと地面の中からワタッコの眼前に姿を現したムウマは自身の持つ紅い目を真っ黒に染め上げながらワタッコをじいっと見つめた。鮮やかだった紅は、今やここに存在していない。空っぽの空間、正に奈落の底。そんながらんどうの瞳を視界に入れてしまったワタッコは恐怖で震えあがり、身体を強張らせ__、
『ここから逃げたら許さない』
『逃げたらお前の大切なトレーナーはどうなるだろうねえ』
___ここから逃げられない。いや、逃げることは許されないのではないか?
ワタッコは身体だけでなく、思考すらもそれで固定してしまった。
ムウマは何もしていない。これは身体的苦痛を伴う攻撃ではない。見つめただけである。だがそのがらんどうの瞳と、ありもしない、聞こえもしない幻聴がワタッコの脳内を侵し、その身体の動きを、思考を縛り上げた。

「ワタッコ!『やどりぎのタネ』!」
「『呪え』、ムウマ。」

動きが固くなったワタッコを救ったのは、自身の主人であるベリーの一言であった。そうだ、自分はこの主人を勝たせねばならぬのだと本来の目標を思い出し、ワタッコは未だ震える身体と脳に鞭打ち、その指示に従った。
ワタッコは自身の頭部に付いている白いわたぼうしからぽぽぽと小気味よいリズムを奏でながらタネを出し、それをムウマ目掛けて射出する。命中したのはたった一つだけ。しかしそれで十分だった。そのタネはみるみるうちに成長し、ムウマの身体を縛り上げ、少しずつ、時間をかけて動けるだけの元気を奪っていく。
だがムウマもやられっぱなしではなかった。どこからか現れた五寸釘のようなもので自身の身体を貫き、ついでにそれで自身を縛り上げていたツタを自身が動き回れるくらいにぶちぶちと千切った。千切ったからと言ってやどりぎのタネがムウマの体力を蝕むという事実は変わりはない。その行動に意味はない。が、ムウマはその半自由になった身体で浮遊しながらワタッコの周囲をぐるぐると円を書くように移動し、ワタッコを見つめながらぶつぶつと何かを唱えていた。


「やどりぎかあ。ふふ、いやらしい。誰の入れ知恵だろうなあ。」
「どの口がほざく、どの口が。まなざしに呪いなんざ害悪の一歩手前だろうが。」
「害悪か。ひどいなあ、ゴーストタイプを相手にしようと選択した時点でこれくらい覚悟の上だと思っていたんだけれども。…ムウマ、『ほろびのうた』」


耳を塞ぎたくなるような、不安を煽るような不協和音が室内に響き渡る。それはムウマお得意の鳴き声とは全く違う。けれどもどう表現しようもない、思わず耳を塞ぎたくなるような気味の悪い音。聞いているだけで具合が悪くなってきそうだとネープルは感じた。アルゴもベリーも眉をしかめている。涼しい顔をしているのは技を指示したタナトと、楽し気に歌っているムウマだけ。ポケモンが出す音なだけあってポケモンにはよく効くのだろう。主人であるベリーすらその表情が崩れるところを見たことがない、常時ポーカーフェイスのワタッコですら一瞬表情を歪めていた。
ほろびのうた。同年代と比べたらポケモンバトルに疎いネープルでもその技は辛うじて知っていた。捕獲対象のポケモンが使ったらとっても面倒くさい技、時間をかけずに素早く勝負を決めるしかなくなる。捕獲の専門家を目指しているネープルにとってほろびのうたとはその程度の認識のものであった。
が、実際にその技がジム戦で、『本来の正しい用途で使われている』場面を見てしまったネープルは愕然とした。
命の期限を勝手に決められて、相手の手の平の上で転がされて遊ばれているような、そんな戦い方が許されるのか?と。

「ひ、ひきょ」
「卑怯じゃないよ。ほろびのうたはポケモンリーグ本部が認定したれっきとした公式技だ。この技も今の戦法も卑怯だと言いたいのなら本部に連絡を取ってくれないかな、ワカバのきみ。」

思わずといった様子でネープルが口出しをすると、タナトはその言葉を遮るような形で否定を示した。
タナトの冷ややかな目と、ムウマの無表情がネープルの心を突き刺す。お前が言う筋合いはないだろう?ただのオーディエンスのお前がと非難されているように感じたネープルは、次の言葉を言おうと開いていた口を閉じてしまった。

「このままやどりぎのタネと呪いでの体力の奪い合いなんて時間がかかるだけでつまらないよ。ほろびのうたでの強制デスマッチ。こっちの方が結果が早く出る。時は金なりと言うんだよ。知ってるかな。」

穏やかな顔を貼り付け物騒なことを平然と話すこの男は、本当にあの日あの場所で自分が出会ったあの人と同一なのだろうかとネープルは疑ってしまった。あの時の優しさを感じられない。まさか化かされていた?なんて考え付いてしまうくらいには、ネープルは目の前のタナトという男が分からなくなっていた。
もうそんな顔をしているタナトから目を逸らしたくて。苦しんでいるワタッコを見たくなくて。そしてワタッコを戦闘不能にさせてしまうことが確定してしまったベリーがどんな表情をしているのか知りたくなくて、ネープルはぎゅっと目を瞑った。
嫌だ。場所もバトルの状況も何もかもが怖い!もう見たくない!やっぱり着いてこなきゃよかったかも…。
そんな反応を見せたネープルに対して、タナトはふうと息を吐いてから言葉を投げかけた。


「目を逸らすな。捕獲のお前。ワカバのきみ。相手の内側に忍び込み、技や体力を奪うのが僕たちのやり方だ。捕獲の場面には時に邪魔者が手を出してくることもあるだろう。それが僕のようなゴーストタイプ使いだったらどうする?ゴーストタイプのポケモンの巣窟に向かえと依頼されたらどうする?その場所が今の状況以上の悲惨な現場ということももあるだろうさ。きみもこれから捕獲屋として仕事を得ようとするのならば、苦手なものから目を背けるのをやめなさい。プロの世界は嫌々じゃあ済まされないよ。
そしてあの子を信じてやりなさい。きみが見ていない間に猛特訓を重ねていたあの子のことを。自分より弱いという認識のままならそれを改めなさい。」


彼が付いていたんだ、きみが心配するようなことは何もないと思うよ?
タナトの言葉は正論であった。正論すぎる。だからこそ、ネープルに痛いほど突き刺さる。
それでも何か言いたそうなネープルを後目に、タナトは視線をちらりととある人物の方に向ける。その人物__アルゴは、まるで楽しいことでもあったかのようにそのターコイズブルーの瞳を細めた。


「先の質問に答えてやるよジムリーダー。覚悟?あるに決まってる。こいつの覚悟がなかったら素直にキキョウだのヒワダだのから挑戦させてたさ。…やれベリー。対処の方法は教えたはずだ。」
「…うんッ!ワタッコ!」


そしてベリーは___ベリーもワタッコも、絶望的な表情は浮かべていなかった。ジム戦が始まる直前に見えた瞳は、萎縮することなく燦然と輝いていた。
ネープルは理解した。ジム戦が始まる前に『後ろ向きな言葉はベリーの気持ちや覚悟に対する侮辱になってしまう』と思ったというのに、ベリーがアルゴのもとで猛特訓しているという事実も知っていたというのに、未だにベリーを信じ切れていなかったと。真に弱く、一番恐怖していたのは自分であったと。己は愚かであったと。


「やれッベリー!」


空気を肺にたんまりと入れ込んで、その声援と共に息を一気に吐き出す。
今度こそ、心の底からの信頼で生まれた言葉だった。
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