はじめまして、嫌いです。


「待ってください。聞いていた話と違いますが。」


ウツギ博士の研究所に着き、中に入ろうとツクシさんがドアノブに手をかけたその時、聞いたことのない誰かの声が扉越しに聞こえてきた。
もしかしてこの声の主が誰も知らない3人目の図鑑所有者なのだろうか。そう思いツクシさんの方を見ると、彼は困った顔をしてぎこちない表情を浮かべていた。どうしたんですかと尋ねるとツクシさんは一瞬だけ間を置いてからそうだねと言葉を濁した。それを聞いた俺とベリーはクエスチョンマークを頭の上に浮かばせながら顔を見合わせる。そして未だ扉を開けるのを躊躇っているツクシさんの様子を見て更に首を傾げるのだった。


「…ウツギ博士、俺はグリーン・オーキド博士から図鑑を貰うことのメリット、そして ” 俺と同等の力を持つ者が仲間にいる ” と聞いてこの件を承諾しました。」


扉の向こうからまた声が聞こえる。淡々とした声で確認するように話しかけるその低い声を聞いて、声の主は俺たちより年上ということが分かった。
図鑑を貰うことのメリット、と…なんだ?後半の言葉は少し聞き取り辛くて分からなかった。
「ネープルくん、ベリーちゃん。どうやらウツギ博士は取り込み中みたいだから、」だからもう少しだけあっちの部屋で待っていようか。ツクシさんがぎこちない笑顔を浮かべながら扉の向こう側には聞こえないだろう小さな声で俺たちに話しかける。中の詳しい様子も察することもできなければツクシさんの考えていることも分からない俺たちは素直に頷く。…いや、頷こうとしたのだ。

「そして俺は今日ここに来た!」

いきなり聞こえた先ほどより倍はあるであろう声、そしてその声とほぼ同時に響いた何かを叩きつけたかのような物音に驚く。淡々としていた先程までとは一転、感情が入った尖ったような声。俺たちの行動は扉を隔てた向こうから聞こえたその大きな声によって妨げられてしまった。ベリーはかなり驚いたのか呆けた顔でへろへろと床に座り込んでいた。
きっと…いや、これはただのお取込みで済むような簡単なものではない。もっと込み入った何か、でも俺たちには関係のない話。俺たち子供が手出しできる領域のものではないのだと、その時の俺はそう思っていた。


「…実際聞いてみればなんですかこれは。年下?俺の実力がそいつらと同程度だとでも言いたいのですか?」
「違うよアルゴくん、僕らの言う力は何もバトルの腕だけでは、」
「違う?では一体どこが?説明してください。若輩者の俺でも分かるような説明を。…俺とそいつらで何をさせようと言うのですかあなた方は。」


男の口調は途中から尖りが消え、最初に聞いた落ち着きのあるものに戻りつつある。しかし徐々に迫るような低い声に変わっていった。中の様子が見えなくても扉の向こう側ではとても険悪な雰囲気が漂っているのだろうということはこんな俺でも簡単に想像できる。
ウツギ博士の言葉に耳を傾けようともしないその不遜な態度、圧をかけるような声色。聞いてて嫌になる。今の二人の会話を聞いていて気づいたことは二つある。一つ目はベリーがこの会話を聞いて泣きそうな顔をしていること。まあベリーが泣き虫なのはいつものことだし博士たちが慰めてくれるだろうからこれは放置。
そして二つ目。声の主の怒りの原因が俺たちにあるということ。
いやまだ何もしてないんですけどね?!確かにポケモンバトルの強さ弱さという点なら俺たち二人はまだまだだ。だとしても何故それを本人である俺たちではなくウツギ博士に言うのだ?そういう他人に八つ当たりのように言うという行為は。


「…ダッサ。」

開いた扉が勢いよく跳ね返る音と俺が発した3文字の言葉が、それまで緊張感に包まれていた空間に響く。
俺は怒っていたのだと思う。いや怒っていたのだ。思わず扉を開けて、思っていることがそのまま口から漏れてしまうほどには。
扉の向こう側にいたのは、ポケモン博士としてみんなに慕われていて俺にとっては昔からの知り合いでもあるウツギ博士。そして赤とピンクの中間色の濃い色をした髪の男がいた。
やっぱり知らないやつだった。普通なら初めましてとか言葉を交わすべき場なのだろうけれど、あいにく俺はあんなことを聞いてからそんな穏やかなことができるような人間性の高い男ではないのだ。
ウツギ博士は呆気に取られているような顔で、扉のところに立っている俺とその後ろにいるベリーとツクシさんを見ていた。多分俺たちには聞かれたくなかった会話だったんだろうなと感じながら、その会話をさせた張本人の方に身体を向けた。何だと無表情で訊ねてくる男にまた腹の奥底から不快感と怒りが込みあがってくる。

「ダっせえ。ダサいんだよ。年下が混じってるからって何。自分の予想と違うからって何?」

意味分からねえ、そんなの関係ないだろうが。頭の中に浮かび心から感じたもの。それを捲し立てるように話す。言葉の節々や態度からめらめらと燃える炎のような怒りを見せる俺とは対称的に、静かに流れる流水のように冷静な様子の男。「それで?」白けたと言わんばかりのつまらなそうな表情で返す男を見てまた俺の怒りが増す。

「他のメンバーで左右されるほどお前の実力って低いわけ?」
「俺はバトルの腕をグリーン博士に買われてこの件を承諾した。お前ら如きで俺の腕が落ちることはない。」
「じゃあ気にしなくていいだろ。ここまでウツギ博士を問い詰める意味ってある?八つ当たりにしか聞こえないんだけど。」
「契約内容に異なる点があった。それを問い詰めるのは至極当然だと思うが?」

次々に交わされる言葉の応酬。ウツギ博士を筆頭に周りにいる3人は困った顔をして俺たちを見ている。
そりゃあ口を挟む暇もないくらいのテンポで会話をしていたら何もできねえよな。でも、正直何を言われても、たとえこいつの方が正論だとしても。俺は『この男が悪い』という考えを曲げないつもりでいる。



「…もしかして余裕ないの?オニーサン。」
「__ガキがほざくな。」


一食即発とはまさにこういうことを言うのだろう。今まで生きてきた中で浴びたことのないくらいの冷たい目で睨まれる。
怖い。正直怖い。「ガキじゃねえよ。親からもらった名前がある」でも喋るさ。ああ喋らせろよ。まだ何も知らないくせに俺を、俺たちを下に見て馬鹿にするんじゃねえ。
たとえお前が人様より強かったとしても、事実として俺たちが弱かろうと、まだ互いの何もかもが理解できていない時から関わりを拒絶するな。戦う強さだけが図鑑所有者に選ばれる理由なわけねえだろうが。


「俺はワカバタウンのネープル。親は図鑑所有者であるゴールドとクリスタル。」


今日からお前の仲間の " 図鑑所有者 " だよ。そう言って目の前の男を睨みつけるとそいつは薄い笑みを浮かべながら皮肉か?と吐き捨てるようにそう言った。
ああそうだよ。お前がいくら嫌がろうと、ガキである俺たちが図鑑所有者だ。この言葉の意味が分かってくれるようで安心したよ。
「で、お前は?」顎を少しだけ上の方にあげて挑発しながら発言を促す。これで少しでもあいつの平静が崩せれば御の字だ。俺たちを嫌な気分にさせたんだ、お前もそういう顔くらい見せやがれ。そうじゃないと割に合わないだろ。
そう思っていたが現実はそう甘くなく、やつは軽く口角を上げて余裕そうな表情を見せてから口を開いた。


「アルゴ。……セキチクのアルゴだ。」


案外あっさりと名乗ってくれたことに少し驚いたが、奴はその言葉の後に「滅多に関わることはないだろうがな」と突き刺すような目をして俺を見た。こっわ、あれで人殺せるんじゃね?その眼光の鋭さに内心ビビってしまったが、口の中を噛み痛みで動揺する心を抑えてなんとか平静を装った。表情は若干歪になっていたかもしれないが情けない顔をあいつの前に晒すよりはましだと、そう思ったから。
あいつはそう言うとツクシさんやベリーの横を通って外に出た。するとベルトについていたモンスターボールを手に取り、中からボーマンダを出したのだった。ボーマンダの背に跨ろうとするあいつを見てウツギ博士は慌てた様子で声をかけた。


「待ってくれアルゴくん!一体どこに、」
「俺はホウエンに戻ります。最初に図鑑を貰いに来ただけと言いましたよね、博士。」


先程のような棘のある声ではない。が、やはり有無を言わせないと言ったような圧を感じさせる声色だった。やつがそう言うとボーマンダは少しずつ羽を動かし始め徐々に空に浮かんでいった。「では失礼。何かあれば最初はスマホロトムの方に連絡をお願いします。」ボーマンダに乗ったあいつはもはや大人たちの手も届かないところにおり、今この場にいる誰もがこいつを止めることはできないだろうということは明白だった。
誰も言葉を発さなくなった瞬間、周りの音が一瞬で搔き消えてしまうくらいの大きな声でボーマンダが吠え、ものすごいスピードで空を駆けて行った。
赤色の翼を持つ大きなドラゴンの姿が徐々に小さくなりやがてその姿が見えなくなったとき、俺はようやく息を吐いた。吐けたと言った方が正しいのかもしれない。耐えていた。怖かった。態度は強気に、口ではあんなことを言っていて。でも内心はビビり散らかして怖くて、でも虚勢を張って耐えていた。屈してはいけないと思ったから。正しい呼吸なんてできていただろうか?分からない。けれど今、あいつがいたさっきまでの空間よりは格段に息がしやすく感じるのは事実だ。
少しの間深呼吸を繰り返していたら背中の方にずっしりとした重みを感じた。視線を後ろの方にずらすと赤い髪の毛が見えた。

「ベリーさん?ちょっと重いんだけど。」

それが幼馴染であり今まで自分の後ろにいた人間であると分かったので、少しの不満を言いつつやんわりと引きはがそうとする。が、俺の言ったことを無視するかのように先程より頭をぐいっと押し付けてきたり俺の服の裾を掴んだりしてさらに離れなくなった。怒ってる?なんとなくそう尋ねると小さくうんという肯定の言葉が聞こえた。そうか怒っているのか。悪いことをしたつもりはさらさらないのだがこういう時は素直に謝るのが一番だとお父さんに教わったことがあるので素直にごめんとだけ言っておいた。
するとベリーは小さな唸り声を出し、それまで伏せていた顔を上げた。黄色に輝く瞳と目が合う。そうして数秒顔を合わせた後にベリーはくしゃりと顔を歪ませ、ぽろぽろと涙を流し始めた。


「ネープル喧嘩売らないでよ〜!こっちは怖かったんだから…!」
「え、あー…ベリーごめんな、なんかムカついて。」


ムカつくって何よ〜!と騒ぐ幼馴染にごめんてばと言い頭をポンポンと軽く叩く。しゃくりあげて泣いているベリーを見てようやく頭が冷えてきた。やっぱり怒ると周りが見えなくなる癖はなおした方がいいよなあ。でもねベリーさん、怒っているからといってぽこぽこと俺の体を叩き始めるのはやめてください。微妙に痛い。
ベリーからの攻撃を適当にあしらいながら先程までここにいた人物のことを考えていた。アルゴ、アルゴ…アルゴねぇ。ここらじゃ聞かない名前に、髪色と似合わない蛍光色が強めの水色の目。それであの高圧的で嫌な態度。

「…いけすかねえやつ。」

ボーマンダに飛び乗るあの後ろ姿を思い出しながらそう呟く。ベリーにどうしたのと聞かれたがなんでもないとごまかして、未だにあいつが駆けて行った空をぼーっと見つめているウツギ博士に声をかける。「博士ー、こんなかんじで言うのもなんですけど、俺たちが貰えるポケモンって…」先程から続く少しどんよりとした空気を変えるために普段通りの態度で話しかける。俺のその言葉を聞いてウツギ博士はようやく我を取り戻したようで、慌てながらも俺たちを研究所内へ入れてくれた。
モンスターボールが置いてある場所を見るとすでに1つのボールがなくなっていた。「ヒノアラシはアルゴくんが選んでいってね」選択肢が狭まって申し訳ないと謝るウツギ博士に俺とベリーはそんなことないですと声を合わせた。ベリーは昔からお母さんのメガぴょんが好きだったからチコリータを選ぶものだと思っていたし、ヒノアラシ…というかバクフーンは昔から見慣れているポケモンであり正直俺は選ぶならワニノコがいいと思っていた。万が一のことがあるといけないので隣でチコリータが入っているボールをじっと見つめているベリーに俺がワニノコを選んでいいかと確認をとる。最初は目をきょとんとさせていたがすぐに柔い笑みをうかべ「うん。私チコリータがいいな」と言った。了承を得たので俺はおうと相槌を打ち、ワニノコが入っているモンスターボールに手を伸ばした。

「よろしくな、ワニノコ。」

ボールの中にいる新たな相棒に声をかける。ボールの中に声が届くものなのか気になったが手の中にあるボールが小さくカタカタと揺れ始め、ワニノコに俺の声が伝わったことが分かった。このワニノコがまだどんな性格なのか分からないけれど、俺の手持ち__家族と仲良くなれたら嬉しいな。そう思いリュックサックの中にボールをしまった。



新しいパートナー、新たな一歩。
記念すべき輝かしい日だというのに俺の心は晴れなかった。いや、俺だけではなく『この場にいる全員も』か。
理由は明白。先ほどまでいたあの男__いや、アルゴとかいうやつと俺のやり取りが原因なのだと思う。
俺があそこで扉を開けて横やりを入れなければ、その後も刺激しなければ、あそこまで悪い雰囲気にはならなかったのだろう。しかしそれも全ては終わってしまった出来事。もはやどうすることもできない。


図鑑所有者。そんな肩書きを貰える人生の中でも特別な日。
俺たち3人は仲間として理想からかけ離れた最悪な第一歩を踏み出した。
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