耳裏にひそむ悪魔だ


「ワタッコ、『しびれごな』、からのっ!『アクロバット』!」
「『甘えろ』ムウマ。」

ベリーからの反撃に対して少しでもダメージを軽減させようという技の選択をしたタナトだったが、それは不発に終わった。
ワタッコが直前にわたぼうしから生成したしびれごなを吸ったムウマの身体は、本来の、いつも通りの動きなぞできなかった。有りもしない尾を誰かに掴まれて動きを抑えられているかのようにムウマは感じた。近づいて可愛げのある顔を見せて少し油断させてやろうと、脅威ではないと教えてやろうと思っていたのに、身体が痺れて標的のワタッコに近づけやしない。
その隙にワタッコはムウマに近づき、曲芸のように次々にムウマの身体に傷をつけていく。動けないムウマを嘲笑うかのように軽やかに動くワタッコを見、ムウマは悔しさをその胸に滲ませる。力が抜けていくのを感じ、苦い顔を浮かべながらムウマは自らの負けを認め、タナトが持っているボールの中へ帰って行った。

「お前のムウマ、せっかちだろ。ジム戦が始まる前から待ちきれないとばかりに姿を見せてフィールド内に待機してるくらいだ。やどりぎで多少体力奪えてればどうぐ持たせたアクロバット程度で十分なんだよ。」
「…流石と言う他ないね。ゴースト、出番だよ。」

お疲れ様とボールの中にいるムウマに声をかけるタナトを煽るように言葉を吐いたアルゴだったが、それは突き刺さることなくするりと躱されてしまう。
次点として出されたゴーストはそんなアルゴのこと見たからなのかは知らないが、ケタケタと笑いながら姿を現した。が、すぐにすうっとその身体をガス状にしてその場から姿を消した。これではどこにいるのか分かったものではない。
ところで、とタナトはワタッコに視線をずらし、じいっととある一点を見つめる。穴が空くほどに、そこだけを。

「きみのワタッコ、いいもの持ってるね。」
「……いいもの?」
「うん、とってもいいもの。それ、他のポケモンに付けられたら困るなあってくらい良いもの。ワタッコが倒れても道具の付け替えって可能だからね、チャレンジャー側って。」

一体何を言っているのだ?ベリーとネープルの脳にはクエスチョンマークしか浮かばなかった。が、次の瞬間にタナトが放った一言でベリーは今まで彼が言っていたことの全てを理解した。


「盗みなさいゴースト。」


ガス状になり空中に漂う存在になっていたゴーストがワタッコの背後に姿を見せた。そしてその大きな手はワタッコの尾に巻かれていた『きあいのタスキ』目掛けて伸ばされた。
その動きにワタッコは対応できない。ゴーストはするりと、悪い手癖を持つギモーも驚きの早さできあいのタスキを奪い取った。
しかしやられっぱなしのワタッコではなかった。ラストスパートだと言わんばかりにがんがんと脳内をほろびのうたが侵し続けている中、己が主人のために動ける時間が後わずかと分かっているからこそ、ワタッコは独断で両腕に付いているわたぼうしを擦り合わせ、『しびれごな』をゴーストにお見舞いしてやったのだ。
顔面に直撃した粉で目を伏せたゴーストだったが、盗んだきあいのタスキだけは離さなかった。何とかしてそれを取り戻そうと動いたワタッコだったが、ゴーストの身体にもうすぐ届くという寸前のところで、不自然に、ぴたりと動きを止めた。

「ワタッコ…?」

心配そうな声をした主人を振り返ることもなく、ワタッコは地面に伏した。
ムウマが歌った歌を聴いてから__時間にすると約数分。タイムリミットである。
彼を運ぶ風はここで止んでしまった。

「…戦闘、不能?」

ネープルが呟いた言葉にベリーはハッとし、動けなくなったワタッコのもとに駆け寄ろうとした。がんばってくれたポケモンをすぐに己の腕で抱きかかえてあげたい。それは一人のトレーナーとして立派な意識である。が、それはアルゴからの言葉により叶わぬものになってしまった。

「駆け寄るな!フィールド内は俺たちトレーナーが入る場所じゃねえ。ワタッコの事を思うなら早くボールに戻せ!」
「そうだよ。戦闘で興奮状態になっている僕のゴーストが間違えてきみを攻撃してしまうかもしれない。危険だからドラゴンのきみの言うとおりにしなさい。」
「誰がドラゴンのきみだ。」
「じゃあ出身地で呼んだほうがいいかい?」
「ドラゴンでいい。」

タナトとアルゴが軽口を叩いている間、ベリーはショックで身体を震わせていた。
理由はワタッコの戦闘不能___もあった。が、それが一番の理由ではない。ムウマと対峙した時にワタッコが戦闘不能になることは決まっていたことであったので、ベリーだって少しは覚悟をしていた。心を突き刺す痛みが来る覚悟を。
ではベリーが身体を震わせている真の理由とは?

「…えして」

小さい声でベリーが何かを呟く。
何?とタナトが聞き返すとベリーはキッとした目でタナトと、ワタッコから奪ったきあいのタスキをあやとりのようにして手遊びをしているゴーストを見て、声を張り上げた。

「返して!それアルゴくんから借りたの!大切なものなの!」

ベリーはバッグの中からモンスターボールを取り出し、次のポケモンをフィールド内に出す。
ベリーが身体を震わせていた理由は三つ。先の通り、ワタッコが戦闘不能になったこと。そして次にアルゴから借りた道具を簡単に奪われてしまったこと。
そして、そんな大切な借りものがおもちゃにされているという事実が、今の彼女にとって一番耐え切れないことであった。

「返して!!」

ベリーの必死の叫びとほぼ同時にボールの中から出てきたグライオンは、瞬時にゴーストへ距離を詰め、その大きな爪をゴーストの脳天目掛けて振り落とした。
ベリーの指示もなくグライオンが独断で動いた、ただの物理攻撃に見えるそれ。行動だけを見ればこれは『はたく』___ゴーストタイプに効かないノーマルタイプの技なのだろう。しかしゴーストは痛みを耐えるように片目を瞑り、険しい表情を浮かべ、力なくよろよろとよろけてワタッコから奪ったきあいのタスキを床にぽとりと落としたのだった。

(『はたきおとす』か。ドラゴンのきみが仕込んだ技だろうけれど__)

ゴーストの異常なほどの弱り方を見て、タナトは瞬時にグライオンがしたのは『はたく』なんて愚かな選択ではないことを瞬時に見抜いた。
はたきおとすなんてジムチャレンジ初心者が選ぶ技ではない。ジムリーダーの手持ちは道具を持っているわけがないのだから、尚の事選ぶわけがない。
この技を覚えるようにさせたのは、今の状況を見据えてか。それともあくタイプの技だからという単純な理由か。今活躍したのはただのまぐれだったのか。いずれにせよ、真意を知るにはこのバトルを終わらせなければいけないことに変わりはない。

「ベリー!早くグライオンをボールに戻せ!ここで出す予定じゃあないだろうが!」
「わ、わ!わぁっ!ご、ごめんなさい!」
(__それにしても動揺が丸見えだ。初々しいことで。)

ベリーがボールの中にグライオンを戻している間に、タナトはぜえぜえと息をしているゴーストにキズぐすりを吹きかけてグライオンから受けた傷を少しばかり塞いだ。
- 26 -
トップページへ