指針としての罪

「疲れてはいませんこと?」

授業が午前中で終わり、午後からすることもなく暇を持て余しながらトレーナーズスクール内の図書室にいた俺に、ツツジ先生はそう問いかけてきた。

「…元気ですよ?健康ですし、先生が心配するようなことは何も。」
「元気ならばよろしいのですが…それがからげんきでないことを願っていますわ。貴方が目指しているのがチャンピオンならば、体調管理は基本になりますからね。」
「え、もしかして早めの進路相談ですか?」

少し的外れなことをわざとおどけて言ってみると、ツツジ先生は真面目な顔で違いますときっぱりと返してきた。まったく本当に真面目すぎるな、我がクラスの担任さんは。トウキさんとは真反対だな。よく夫婦生活送ってるなあの二人…なんてこと、口が裂けても言えやしないけど。

「貴方がジム巡りを始めると言ってきた時は心底驚きました。それまでの貴方からは、その、」
「言葉を選ばなくていいです。先生たちから見た今までの俺の評価がどんなものかは大体分かっていますから。」
「…先に謝りますわ、申し訳ありません。それまでの貴方の姿からは考えられないような行為でした。それと、途中で諦めてしまうかも、とも…。」

ツツジ先生の言ったことはおおむね予想通りのものだった。
ジム巡りに精を出すまでのショウキ少年は、それはもう問題児と言っても差し支えないような生徒であった。自分で言うのもなんだが、突飛な発言は日常茶飯事。奇想天外なことを思いつけば周りを巻き込んで行動する。終いには嫌な授業は堂々とサボる。だというのにテスト成績が悪いわけではなく、課題は提出期限を守る変なやつ。ツツジ先生も他の先生方も相当手を焼いていたに違いない。
そんな生徒がいきなり『ジム巡りをする。学校は辞めない。』なんて言い出すモンだ。先生方の脳内にはでんきショックのような衝撃が走ったに違いない。しかもその発言をした直後から以前より色々なことを実直に取り組むようになったのだから、同時に動揺も感じたんじゃないかな。あと気持ち悪いとも思われていそうだ。


「大変なことでしょう。私だって一時はジムリーダーとこのスクールの講師を兼任していた身、二足の草鞋を履くことの厳しさは理解しているつもりです。」
「…ご心配ありがとうございます?」
「何故疑問形なのですか。……昔の話なので、余計なおせっかいかとは思いますが…。昔ジムリーダーを兼務してた時に私はある人物にこう言われました。『何故そこまで頑張るのか、その行為に意味はあるのか』と。他にも心ない言葉を言い放ってくる人間も世の中にはいます。やはり、心配になってしまいまして。」


__大変だろ?なんでそこまで頑張るんだよ。


ツツジ先生の言葉が__いや、数か月前に投げつけられた言葉が記憶の奥底から浮上し、頭の中に響いた。
ああそうだ。ある日いきなり、クラスメイトにそう尋ねられたのだった。夕陽が差し込む放課後の教室にいたのは彼と俺の二人だけだった。大して仲良くもないし、進んで会話をするわけでもない。授業で同じグループになったら会話するかなくらいの、同じクラスに振り分けられただけの同性。それが彼と俺の関係性だった。だから正直、こうして話しかけられたことに少しばかり驚いている自分がいた。
大変って何がと問い直せば、「ジム巡りとスクールの両立」とすぐに返された。

「疲れるだろ。平日に授業、休日にジム巡りとか。遊びのあの字もないような生活なんて嫌ンならないの?」
「別に。確かに疲労を感じることはあるけれども、嫌だとか、投げ出したいと思ったことなんて一度もないよ。」

相手から話しかけてきたことなのに、へえとどこか上の空のように返されたので、まずこいつは何で話しかけてきたんだ?という気になった。
何回か彼が重ねて質問をしてきたので、俺もそれに対して一つ一つ真面目に返してやった。そして答えていくと段々分かって来たのだ。彼が俺に何を問いたいのか、そして何を言わせたいのか。
それが分かったらなんだかとても馬鹿らしくなってきて。

「あのさあ、きみが俺にどういう答えを求めているのか、何を期待しているのかは…知らないことにしてあげるけど、何かしらくっだらないこと言わせたくてわざわざ話しかけてきたわけ?」

寂しいな。煽るようにそう言ってやれば彼は途端に顔を真っ赤にして怒りを露わにしてきた。

「いい気になるなよ!今まで不真面目だったくせにいい子ちゃんぶるな!」
「なってねえよ。意味分からんこと抜かすな。俺喧嘩したくねェからもう口開くのやめようや。お互いに。」

その後のことは覚えてない。覚える気もなかったし、思い出す必要もないと思ってる。
でも今も彼と普通に、この会話をする前と変わらないただのクラスメイトをやっているのだから、問題は全くなかったのだ。


___分かったよショウキ。そこまで言うなら考えてあげようか。
もしトレーナーズスクール在学中にホウエン地方のジムバッジを正規の方法で全て勝ち取り、その手がチャンピオンの座まで辿り着くことができたら、その時は___


「……正直な話、言われたことはあります。少しだけ喧嘩みたいなことにもなりました。」

あの時彼は何故そこまで頑張るのかと問うた。そして似たようなことを今ほど、先生からも。
確かにこれは他人には理解できないものかもしれない。
けれども答えは簡単な話であった。そうしなければ得られないものがあったから。頑張るしかなかったから。それだけであった。

「ですが、そんなことを言われたくらいじゃ俺は折れませんよ。そんなくだらないことで諦めるような軽い気持ちで挑んじゃいないんです。」

そう言うとツツジ先生は安心したような顔をして、そうですかと言って部屋を出て行った。普段は厳しさの塊のような先生だけど、なんだかんだ優しい人だ。立派な導き手だと思う。
ふいに視線を窓の方へ移すと、いつの間にか辺りは夕陽に染まっていた。ああ、意外と時間が経っていたのだなあとこの時ようやく気が付いた。
夕陽に染まった教室を見たら、なんだか急に帰らなければという気になってきたものだから、リュックを背負って図書室を出た。


母さん、その約束絶対に破るなよ。
己のルーツを、出生の謎を、会ったこともない父親の手がかりを知るために必要なのだ。この行為は。

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