小指くらいの思い入れ
「ジーク様、お待ちください!何をそんなにも急いでいられるのですか!?」
「黙れ放せ俺はあの馬鹿に用がある。」
数年ぶりの実家、フスベシティの無駄にデカく無駄に古いだけの建物。今も使用人が手入れしているであろう、家出した時と変わり映えのしない庭園を後目に、俺はとある部屋へと足を進める。
数日前に俺の元へとやってきたピジョット。持たされていたのは一通の手紙。時代錯誤も甚だしいやり方で連絡を取り合うとはと鼻で笑いながら手紙を開き、文字を読んだ時の衝撃は忘れることはできない。一生忘れるものか。
『拝啓
梅雨明けが待ち遠しい頃、むしむしとした日がつづきます。ジークがフスベを出て早くも数年が経ちましたね。今ジークがどこにいるかは分からないけれども、いかがお過ごしでしょうか。
さて、こうして改まって手紙を出すことになったのには少しだけ理由がありますが、全てを書ききることはできないので要点だけこの手紙に書き下そうと思います。
私、グリフ・デ・トキワグローブは、一身上の都合で3年間務めたフスベジムのジムリーダーという役職を年内をもって辞任する運びとなりました。
後任につきましてはフスベの重鎮たちが話し合って候補を出すという話になっています。が、私からは勝手ながらジークを推薦させていただきました。もとはと言えば私はトキワで生まれ、トキワで育った余所者。いくら次期長の義理の息子と言っても、私がジムリーダーを務めるということ自体がおかしい話だったのです。私は昔からジークこそジムリーダーへと重鎮や長老に話をしていました。最も、理解を示してくれたのは次期長のみでしたが…。
このような話をするのは初めてかと思います。驚いているでしょうか。いや、本来ならばそれが当然だったのだから、驚きも何もないのかもしれませんね。
私たちは必要以上に言葉を交わさなかった。それで良かったのか、それが良くなかったのか、今となってはもう分かりませんが、幼少のころから今日まで私はあなたの兄をやらせてもらい、とても幸せでした。ありがとう。
もう二度と、我々が顔を合わせるという日は来ないのかもしれません。ですが最後にこれだけ言わせてください。
今まで沢山のご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。恨んでもらって構いません。
梅雨冷えの肌寒い日もありますが、風邪など引かれませんように。
敬具
グリフ・デ・トキワグローブ
大切なたった一人の弟 ジークへ』
血が沸騰するかと思う程の強い怒りと動揺が全身を支配する。ぐしゃりとその手紙を握り潰した俺はすぐにフスベに向かうことを決めた。
「兄貴!」
勢いよくとある部屋の襖を開ける。それはこの数年間で変わっていなければグリフに宛がわれていた部屋だ。初めて訪れたその部屋は、俺の元自室と変わらない造りをしている。___だが、私物なんか何一つない、誰かがいた痕跡すら残っていない、今すぐにでも客人を受け入れられるくらいにその部屋は綺麗に片付けられていた。
「ジーク様、グリフ様は今朝方フスベから出られました。もう戻ってくることはないと、そうおっしゃっておりました。」
使用人の言葉を聞いた俺は、それはもう呆然と立ち尽くしたものだ。窓から吹かれた風に乗せられふわりと香ってきた嗅ぎなれた森の匂いだけが、あいつが今日までここで過ごしていたことを教えてくれた。
「……愚兄が。」
まあそんな感情はすぐに怒りへと変換されたんだが。
ああ、思い出しただけでも腹が立つ。それからフスベの使いと見られる人間からジムリーダー就任の誘いが来たが、俺はそれを無視してポケモンバトルの修行に明け暮れていた。誰があんな奴らの言いなりになるものかと、今まで見下してきておいて今更何なんだと、そんな里の奴らを見返してやろうと。そう思って一心不乱に修行に打ち込み、チャンピオンの座を目指した。気づいたらシロガネ山に籠っていたのには自分でも驚いたが。
だとしても、どれだけ努力を重ねたとしても結果は『これ』だ。全く、溜息が出る。今俺は苦虫を嚙み潰したような顔をしているのだろう。全てを話した俺にプラシオは「そうか」とだけ言葉を残した。話したくもない話を引き出しておいてそれだけかよと思ったが、何も言わないことにした。言わぬが花だ。
「シノノメとは」
「っ知らねえよあんなやつ!やっと、やっと本気でバトルができると、チャンピオンと戦える実力を持っていると示すことができると思ったこれだ。いきなり降参ときたモンだ。知らねえよ、知らねえよあんな奴…!何考えてるかも分かんねえ。…変わっちまったよあいつ。」
「そうだな。俺もあの時のあいつの真意は分からない。だがジーク、シノノメがああも変わったのはお前のせいでもあるんだが、そこについてはどう感じる?」
少し間を置いた後にプラシオが奴の名前を出してきたものだから、反射的に激高してしまった。
シノノメ。数日前に俺が倒した因縁ある前チャンピオンにして、同じ図鑑を持って共に駆け抜けた過去を持つ旧友。今の俺にとっての一等不快な物事。起爆剤。見ることも触れることも避けたい理解できない存在。
そいつが、何?ああなったのは俺のせい?意味の分からないことを言うものだ、こいつは。俺が何をしたって言うんだよ。俺は自分の人生悔いなく真っすぐ生きようとしていただけだ。そんな俺が、なんであいつが変わった原因になるって言うんだ?
「……いきなり来て世間話と説教だけかよ。ずいぶんヒマに思われているんだな、俺は。」
「暇?ああ、暇だろうよ、お前は。リーグ開催時でもなく、大きな失望と空虚な感覚を抱いている今、行く当てもないだろうお前はチャンピオンの間にいると踏んだわけだ。実家に帰りたがらないうえに、今外に…カントー地方のどこでもだな。ぶらぶらと歩いてみろ、すぐにミーハーな人間、お前がいると嗅ぎつけたマスコミの餌食になるだけだ。お前も馬鹿ではない。だから今ここにいるんだろう?そして今この時しかお前とは腹を割って__いや、今だからこそお前は真実を話してくれると思ったからな。」
予想が全て当たってくれて助かったよと涼しい顔で話すプラシオに若干の苛立ちを覚えながらも聞き流す。ああそうだ、こいつはそういうやつだった。
「お前、本当に、何の用なんだよ…。」
「消しにきたと言ったろう、最初に。」
今日は久々に話せてよかったよ、ありがとう。と、あいつにしてはやけに素直に礼を述べたものだから面食らってしまった。年月がやつを丸くさせたのか、それとも…。いや、考えるだけ無駄か。今になってこいつが考えていることが分かり始めたら、それはちょっとした恐怖だ。
でも、けれどもこれだけは奴に言ってやりたくて、俺は立ち去ろうとしたプラシオを呼び止めた。
「お前、変わったな。」
「……何がだ。」
シノノメも随分と変わってしまったが、お前程ではない。深い関わりを持たなかった人間には全く気付かれていないだろうが、数ネ円前までのお前を知らない人間には何も思われていないだろうが、絶対的に1つだけ、致命的に変わってしまったのだ。このプラシオという男は。
「お前、なんか______が、無くなったよな。」
「今、何がないと言った。どこでそう感じた。」
煽るようにそう言ってやると、あいつは驚きか目を見開き始めた。何だ、お前まだそんな顔できるんだ。何だか少ししてやったような気持ちになって、久々に自然と笑みが零れた。