バベルの図書館 / ローカルな抜粋
「チャンピオンの弟だろう?あれ。」
ああ、元チャンピオンだったか。と軽く口にするのは最近俺に付き纏ってくる女だった。ミナミ、だっただろうか。数年前からこの研究所に出入りしていたのは知っていたが、関わるようになったのはほんの数か月前からだ。きみの知識を貸してほしいと俺に迫ってきたのは記憶に新しい。
「あれとはコーラルのことか。」
「ほお、コーラルというのか、橙色の髪のあの子は。ずっと机に突っ伏してだんまりを決め込んでいたのは先日のチャンピオン交代が原因だろう?聞かなくても分かるよ。」
先程までここにいたコーラルが平時と違いそうなっていたのは一種のショックから来る無気力さなのだろう。幼い頃から数年間追いかけてきた目標が一瞬のうちに消え去るというのは彼にとってどれほどの衝撃だっただろうか。十一歳の少年には堪えるだろう。
「きみにしては珍しく、帰らせないでそのままここにいさせたね。…優しかった。それは、昔の自分と重なるから?」
「昔とはどれほど昔のことだ?きみは俺の幼少期など知らないだろうし、俺たちが関わりを持ち始めたのはここ最近だ。まさか元々俺のストーカーだとかというくだらないことを言うつもりはないだろうな。」
彼女が発した言葉に眉をひそめる。この女、今何を言った?不機嫌という感情を隠しもせず真っ直ぐに彼女に伝える。しかし彼女はそれに臆しもせずにっこりと形の良い笑みを浮かべた。
「今日もお得意の論破ありがとう。残念ながらきみって男は有名人なんだよ。オーキド一族の一人息子、バトルも捕獲もできる天才少年、トレーナーズスクールを飛び級で卒業して、あのチャンピオンシノノメと互角の勝負をする図鑑所有者。…知り合う前からきみのことを知る要素なんてどこにでもあったんだ。むしろ溢れている。で、それを耳にしていたから知っている。こんな回答じゃきみを満足させられないかな?」
「……今日の目的はその腕の中にある本を借りに来ることだったろう。もうここに用はないはずだ。さっさと帰れ。」
そういうと彼女は素直に分かったよと言い、ドアノブに手をかけた。これで落ち着ける、と思い安堵の息を漏らす。
今日のこいつは兎角喧しい。本を一冊借りにきただけで、その途中にコーラルを見ただけで、俺の過去のにまで触れてくる。
「ああそう、帰る前に一つ。私は、今ここにいるきみを好ましいと思っているよ。」
「………くだらんな。」