誤送信


春組稽古の休憩時間に入ったちょうどその時、千景の携帯電話が微かに震えた。一秒も経たないうちに止まったので、電話ではないだろう。ジャージのポケットから携帯電話を取り出す。
LIMEの新着通知がある。送り主は会社の後輩だ。仕事関係の急ぎの用なら会社の携帯電話のほうに電話をしてくるはずだから、このメッセージは個人的な連絡ということになる。

『俺も大好きです』

後輩から送られてきたその七文字を見て千景は目を見開いた。何秒か、呼吸をするのも忘れる。
俺も大好きです。

「千景さん、どうかしたんですか?」

携帯電話を手に固まっている千景に気が付いて、綴が声をかけた。
綴の声に千景と、近い場所で床に座り込んでゲームをしている至が顔を上げる。

「いや、なんでもない」
「なんでもないって顔じゃないですけど」

至が思ったままを言う。綴も頷いた。
穏やかに微笑んでいるでもなく、あからさまな嘘をついている時の芝居がかった表情でもない。失敗作のポーカーフェイス。出会ったばかりの頃ならともかく、色々事件はありながらも一緒に舞台に立ち、寝食を共にしてしばらく経つ今、これほど動揺している様をなんでもないとは誤魔化せなかった。
二人が千景を見る。
しかし、千景の意識はもう二人には向いていなかった。携帯電話の画面を見つめる。思考が鈍ってしまって、何をどう考えればいいか、整理ができない。
すると、静かに混乱している千景の携帯電話に新しいメッセージが届いた。

『さっきのは誤送信です。失礼しました』

何かを考えるより先に、後輩に電話をかけながら稽古場を出た。

「もしもし。苗字です」
「ああ。……さっきのはなんだったんだ?」

あっさりと電話に出た後輩。何の準備もなく反射で電話をしたので、一瞬、何をしたいのか自分でも分からなかった。そう、LIMEに送られてきたもの。あれは何だ?

「すみません。他の人に送ろうとした内容を間違えて卯木さんに送ってしまいました」

それはわかっている。聞きたいのは、誰に宛てたLIMEだったのか、何が大好きなのか、ということだ。
聞けばいい。あんなメッセージを本当は誰に送ろうとしたんだ、と、からかうように言ってみても不自然じゃないだろう。そして後輩は真面目に答える。もしかしたら照れたり、少し嫌がるかもしれないが、自分が聞けばきっと答えてくれる。
だから、聞けなかった。

ああそう、そういえばと、他の話題を持ち出して少しやり取りをしてから、稽古の休憩時間が終わるからと、通話を終えた。
あまりにも自分が情けなくて受け入れ難い。悪い冗談だ。そして、気になる。お前、それを誰に送るんだ。

少しの間ひどい気分に見舞われていたが、休憩が終わるので、千景は稽古場に戻った。切り替えて、稽古に集中しなければ。この後は殺陣の練習だ。気を散らせていると周りも危ない。

「お。戻ってきた」

千景が帰ってくると、至がにやにや笑った。なんだと訝しむ千景に自分の携帯電話の画面を見せてくる。LIMEのメッセージ画面だった。他人とのやり取りを読んでいいのか?と思いながらも目を通し、千景は、冷静さを取り戻した。

『俺も大好きです、ナイランシリーズ』

ついさっき、至に届けられたメッセージ。送り主は名前で、トーク画面は、好きなゲームの話題で盛り上がっている。

「名前がナイラン好きらしいんで、ノーロマン先輩もやる気になるでしょ?」

至は、とてもいい情報を先輩に提供してやったと自慢げだ。

確かにそれは価値ある情報で、通常運転の千景なら、へえ、それは頑張らないとね、と笑って見せたところだ。けれども、今は通常時ではない。俺も大好きです、という誤送信爆弾を落とされた直後なのだ。しかも宛先はこの男。

冷静を通り越して、メーターが冷徹にまで届く。殺陣の練習でストレスを発散しようと決めた。


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