潜性のビオトープ
「苗字。明日、劇団の公演の千秋楽なんだ。……都合が合えば、観にこないか」

千景が迷いながら言っているとわかる。
本当にいいのだろうかと思ったが、来てほしくなければ千景がこんな風に誘うことはないだろうと考え直し、名前は「行きたいです」と本心を言った。



MANKAIカンパニー春組第四回公演の千秋楽。
観劇をするのは初めてだったので、どんな服で行けばいいのか、何か持ち物は必要なのか。ネットを使って急いで情報収集をする。
用意してもらったチケットは関係者席だった。開演間近に同年代の女性が隣に着席し、深くお辞儀をしてくれたので名前もつられて頭を下げる。
その後すぐに幕が上がったのでそちらに気を取られ、名前はその女性の顔をよくは見なかったが、女性のほうーー劇団の監督である彼女は名前の横顔を何度かちらりと見た。
席を一つ用意できないかと急に千景から相談され、確保したその席に座る男性は一体何者なのか。分厚い黒縁眼鏡にマスク、長い前髪のせいで顔がよくわからない。
あとで千景に聞いてみようと思い、彼女のほうも舞台に集中する。

名前は、初めて観る舞台に感動しきりだった。
飄々としていて軽薄そうなペテン師のオズワルドは、名前から見た千景の印象とは異なるのに不思議としっくりくる。団員の手作りなのだろうか、工夫された舞台装置にわくわくする。純真そのもののリックにはとても好感が持てるし、四人の魔法使いそれぞれの個性と衣装も面白い。同じ会社の茅ヶ崎至が演じる西の魔法使いは魔力が強く、どこでも見通せる碧眼……ゲーム好きの名前としては心をくすぐられる設定だ。
リックと出会い、心が柔らかになるオズワルド。役者達の豊かな感情表現。

上手いとか下手とか、そんなことは分からない。でも心躍る時間だった。
エメラルドのペテン師は、大きな拍手を受けながら終幕した。客席の明かりがついて周りが帰り支度をし始める中で、名前はひと時、観賞の余韻に浸った。

終演後、ロビーで役者達がお見送りをしてくれるのには大変驚いた。千景に熱心に話しかける女性客の多さにも。
これは近付けないなと思っていると、千景がふと顔を上げたので、二人の視線がかちっと合う。
名前は近くに寄ることなくその場で小さく拍手をし、ぺこ、とお辞儀をして会場を後にした。



「苗字、来てましたね」

楽屋に戻りながら、至が千景に話しかける。至は意味ありげに含み笑いをした。

「先輩が誰かを呼ぶとは思いませんでした」
「何が言いたい?」
「可愛がってるな、と」

柄にもなく。そう付け足す至に、そんなことは自分が一番よく分かっていると千景は心の中で返事をした。

「優秀らしいですね」
「そうだな」
「先輩が認めるとは……。裏表があるって噂で聞きましたけど?」

苗字名前が入社した時のことを至はよく覚えている。彼が、部署の先輩らに歓迎されていない雰囲気がありありと感じ取れたからだ。あの時は他人事と思って興味も持たなかったが、彼は至の部署でも度々話題に上がるので、求めずとも情報が耳に入って来る。真偽のほどは定かではない。

「あいつの場合は裏表じゃなくて、オンオフだ」
「じゃ、俺と同類か」
「茅ヶ崎は裏表だろ」
「ひど」

区別したものの、茅ヶ崎至と苗字名前には似たところがある、と千景は思っていた。
裏表……オンオフがハッキリしているところ。自称コミュ障なところ。それに自分のところの後輩も、休日は家に引きこもってゲームをしていると言っていた。歳も一つしか変わらない。親しい同期が一人もいない後輩だが、茅ヶ崎とは多少話が合うのではないだろうか。

千景は、自分でも不思議に思うのだが、お節介をしてみる気になった。本当に、柄でもないことは百も承知で。

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