翌週の木曜日。この前と同じ店に先に入ってる、という千景からのショートメールを確認して、名前は足早に目的地へ向かった。
定時間際に平尾から急ぎの仕事を一つ任され、待ち合わせに遅れている真っ最中だ。幸い、任されたのはすぐに終わるものだったので遅れは十分弱程だろうか。
既に店内に入っている千景と至は、向かい合って座り注文を終えた。至はとりあえずのビール。千景は種類の異なる赤ワインを一杯ずつ頼む。
まさかおかわりを最初から頼んだわけではないだろう。他に誰か来るなんて聞いてないんですけど、と至は渋い顔で千景を見た。
「誰が来るんですか?」
「すぐにわかるよ」
ここまで来て何も教えてくれないとは。どういう状況にさせられるのだろう。劇団のメンバーか、会社の人間か、他の誰かか。至がため息をつくと、先に飲んでおくかと千景の方から提案された。ということは、千景がやたらと気を遣わなくてもいい相手なのだろう。例えば上司や他の部署の誰かが来るなら先に飲もうなんて言い出さないはずだ。
初対面の相手なら、多少酒が入っていたほうが至も少しは気が楽になる。酒の力は偉大だ。提案通り、お先にいただくことにする。
二人がお通しに箸をつけながら半分ほどグラスの中身を減らした頃、指定された半個室に名前が到着した。
半個室を区切る長い暖簾をくぐると、千景と、会社のひとつ上の先輩である茅ヶ崎至がいる。
名前と至は顔を見合わせ、同じように目を見開いた。
「お疲れ」
千景が横長の椅子の場所を空けて名前を自分の隣に呼ぶ。どうぞ、と先輩に促されるままそこへ腰掛けると、先週飲んで気に入ったワインを差し出された。
「これでよかった?」
「あ、はい、ありがとうございます。……あの、お疲れ様です」
「お疲れ様」
他所行きの顔でにこっと名前に笑いかける至。社内の女性達が熱い視線を向ける茅ヶ崎さんだ。名前はこの先輩のことをよく知らない。
至におずおずと視線を向ける。小声で挨拶をする様子は、一年前、名前が自分の下に配属となったときのことを千景に思い出させた。
「悪い、先に飲んでた」
「構いません。遅くなってすみませんでした」
「いいよ。じゃ、改めて乾杯」
改めても何も俺とは乾杯してないだろ。至は心の中で千景にツッコミを入れる。その視線に千景はちゃんと気付いているが、綺麗に無視をした。
「苗字。知ってるかもしれないけど一応紹介しとく。国内法人部の茅ヶ崎。お前の一つ上で、劇団では俺の先輩」
「どうも。この前の公演に来てくれてたよね。ありがとう」
「あ、はい。よろしくお願いします……苗字名前です」
「苗字、すごい活躍してるってね。こっちにも話は聞こえてるよ」
「……いえ……ありがとうございます」
自分にも最初はこんな風に余所余所しい態度だったと、千景は懐かしく振り返る。
今の至は名前から見ればコミュ力の高いスマートな社会人だ。すれ違う時に挨拶をする程度の人から笑いかけられ、褒められ、名前はどうしていいかわからなかった。
「二人には共通点があるみたいだから会わせてみようと思ってね」
ほぼ名前だけを見ながら千景がそう言う。いかにも先輩らしく、他部署に知り合いが出来ると仕事もやりやすくなる、と名前に言い聞かせた。
他部署との懇親会は可能な限り避け続けておいて、どの口で言うのか……。至はやはり心の中で思うに留める。
「共通点って、ウラオモ……じゃなかった。オンオフがはっきりしてるところでしたっけ」
「それもあるな」
他に何かあるだろうか。あまり踏み込んだ話をされると、寮内での自堕落な生活を外部の人間たる苗字名前に知られてしまうではないか。
ーー俺のプライベートを漏らさない契約、まさか忘れてないですよね?
至が千景を見る。当然千景は忘れていない。これから千景が話そうとしていることはプライベートの一部分を少し覗かせるような話だが、至にとっても悪い話ではないだろうと確信して、千景は三人の飲み会をセッティングしたのだった。
「趣味がゲームなところも接点かと思って」
「へえ……苗字はどんなゲームしてるの?」
「ええと、……あ、卯木さんお酒次何飲みますか?……今一番やってるのは、ブラウォーです」
千景のグラスが空きそうになっているのに気付いて新しい酒を注文し、名前がゲームについて回答すると、至は即座に食いついた。ブラウォー。まさに至が今、睡眠時間を削ってまで走っていたスマホゲームだ。
「マジ?俺もやってる。今朝までのイベ走ってた?」
「はい」
「何位フィニッシュ?」
「……待ってください」
名前が鞄からプライベート携帯を取り出す。二杯目のワインを飲みながら千景は名前の横顔を見下ろしている。
「……100ちょっとです」
「マ?今回ボーダー高かったじゃん。相当やり込んでるな。ちな俺は40位」
「……え、すごいですね。茅ヶ崎さんの方がずっとやってるじゃないですか」
「まあ俺は海外出張ないし、仕事も今は落ち着いてるから」
今年入社三年目になる至には直属の後輩がつかなかった。お陰で会社内では穏やかな春を迎えて、春組公演も無事に駆け抜けた後なので、イベントを走る時間はそれなりにあったのだ。
「ちょっと待て」
二人のやり取りを聞いていた千景がストップをかけた。
「苗字が休日引きこもってゲームしてるのは聞いてたけど、茅ヶ崎とそう変わらないくらいやってるのか?」
「まあ、廃人ですよね苗字も。課金相当してるでしょ」
「……趣味なので」
「先輩、見立てドンピシャ。こんな身近に同じゲームの廃課金勢がいたとは」
「それはよかったな」
王子様スマイルも取っ払い、至は二杯目のビールをぐいっと飲む。名前にゲーム歴を聞き出す前のめりで生き生きとした姿は、オタクの茅ヶ崎至だ。それに応える名前も、至が同じ趣味の人間と分かったからか、少し打ち解けた様子だった。フレンドになろう、とプレイヤーIDを見せる至に素直に応えて、自分のゲーム画面に入力している。
その後もゲームや仕事の話に花を咲かせながら、酒が進む三人。
甘口の酒をかなり覚えた名前は、今は自分を酒好きだと思っている。ワインにサングリア、スクリュードライバー、ファジーネーブル。次はどれにしようかとメニュー表を見る名前を眺めるのが千景は好きだ。四、五杯目でメガネを外して、六杯目か七杯目で呂律が怪しくなるのが名前のいつものパターンで、だんだん様子が変わるのも面白い。
酒が回って、暑くなる。分厚い黒縁眼鏡を外した苗字名前を初めて見て、至は驚いた。
「テライケメンキタコレ」
「苗字は、商談じゃあ眼鏡も外して外行きの顔になるんだよ。な?」
こくんと頷く。酔っているせいだろう、素直な感情表現。この顔で優秀。語学堪能。
卯木千景、摂津万里と、自分の周りには何人かチートキャラがいるが、この後輩もそうなのか?
「苗字が自覚する欠点は?」
にこにこして聞く至。
きょとんとする名前と、至の質問の意図が分かっている千景。良い面が目立つので、何かネガティブなところを見つけたいのだ。
至の問いに、名前は何を聞くのだろうと不思議に思った。自分には明らかな欠点があるではないか。会社の人はみんな知っている。だから敢えてコミュ障だと言うのはやめた。
「……めんどくさがりで……不器用なところとか」
「不器用っていうのは生き方的な意味で?手先がってこと?」
「両方です」
「まあ前者は置いといて、手先が不器用そうに見えないけど」
「……ネクタイを綺麗に結ぶのに、時間がかかります」
言いたくなさそうな、苦々しい顔。ちょうちょ結びが上手く出来ない子どものようで恥ずかしいと名前は思っている。その気持ちに気付いたのか、千景がにやりと笑う。
「知らなかったな。苗字、こっち向いて」
「?はい」
「……先輩、顔が悪人面」
名前が素直に千景の方を向くと、首元のネクタイの結び目をクイと指でひっかけ、するりと外してしまう。
「……なにするんですか」
ジト目で見てくる名前に、にっこり笑ってネクタイを返す。
至には、千景にそんな目を向けられる後輩がいるのが新鮮だった。態度は柔和だが何を考えているかわからない、掴みどころのない先輩とこんなやり取りを出来るとは。
「結んでみて」
「……」
言われなくても、とネクタイを結び直す名前だが、結び目が不格好だ。やり直しても変に曲がる。またやり直すが、めちゃくちゃだ。本人は大真面目にやっているのに下手なのが妙におかしくて、至は吹き出して笑った。
「だから不器用っていったでしょ」
スクリュードライバーのおかわりをぐいと飲んで、笑っている至をジト目で見た。千景が後輩を可愛がる理由が、至にもなんとなく分かった。
「はー、うける」
「あんまり笑ってやるな、茅ヶ崎」
「先輩も笑ってるじゃないですか」
「……」
自分の隣でニヤニヤしている千景をジロリと見上げる。名前のこの表情も好きなので痛くも痒くもない。
名前はネクタイを結ぶのを諦めて机に置いた。
それから至は名前とLIMEのIDも交換し、イベントの時に協力しようと約束した。その後は劇団の話になり、名前が観劇したエメラルドのペテン師のこのシーンが感動した、この台詞回しが面白かった、この仕掛けがすごかった、衣装が中二心をくすぐった……と熱心に感想を伝える。酔いが回って口調はたどたどしく、しかしまっすぐな言葉には、千景も至も少し照れくさくなる。
「次の公演も来なよ。夏組はコメディ劇が得意で、俺達の舞台とは違う面白さがあるよ」
「そうなんですか。いきたいです」
至が誘うと、名前はこくこく頷いて返事をした。美青年の邪気のない笑顔をまっすぐ自分に向けられるのは、なかなか心臓に悪い。ちら、と名前の隣の千景に見ると、名前の横顔を見て柔らかく笑んでいた。
……これは、元上司と部下の信頼関係とか、そういうものを超えているのかも。酒を飲み干しながら至はそう思う。
店を出ると、タクシーに乗ってMANKAI寮と反対方向の住所を千景が言うので至は驚いたが、突っ込まないことにした。奢ってもらった上に、ゲーム廃人仲間と知り合えた恩もある。
「先輩って面食いなんですね?」
すやすや眠る名前を送り届けてMANKAI寮に帰り、タクシーを降りると早速千景を揶揄ってみる。
「勝手に言ってろ」
「あれ、否定しないんですね」
「まあな」
意外だった。こういう話題は詮索されるのを嫌がると思って、躱されると踏んで聞いたのに。
「よかったんですか?俺に紹介して」
「なんだその質問は」
「仲良くなっちゃいますよ?趣味合いすぎるし」
「そうなってほしくて会わせたんだ。あいつは、人に受け入れられる自信がなさ過ぎるからな」
またも意外な答えだった。自分が思った以上に、この人はあの後輩を大切にしている。
「じゃあ、万里とも一緒にゲームしてもいいですか?」
「ああ」
「ちなみにですけど、ウッカリ誰かが落ちたらどうするんです?」
ちょっと揶揄うつもりで、本当に軽い気持ちで言ったのだが、前を歩く千景がぴたりと歩みを止めた。
あ、やば。そう思っても一度口にした言葉はなかったことに出来ない。ゆらりと千景が振り向くのが怖い。
「その時は、始末しないとな」
千景は笑っていたけれども、それが余計に、恐ろしかった。