ひとりふたり色どり 三
六月に入った。連日の大雨にも負けず、名前と浅田のランチ勉強会も日々続いている。
スペイン出張にも同行させてもらえるようになった浅田は、本社で留守番をしていた頃に比べるとずっと忙しくなったが、充実しているようで声が明るい。声量も、前にも増して大きい。
浅田の、名前に対する妬みはかなり薄れている。名前も浅田と話すのに慣れてきて、傍目には良好な先輩後輩の関係を築いている。内実は、逆なのだが。

千景は海外出張の合間、本社の出勤日が重なると何かと理由をつけて名前を夕食に連れ出した。名前が開拓した欧州の客先や、今度の劇団の公演のこと、劇団員達のこと。話題は尽きない。
名前も、話したいことはたくさんあった。仕事帰りに至とゲームセンターに行ったこと。ゲーマー二人とボイスチャットをしていると、時々訪問者−−伏見臣や三好一成や監督さん−−がいて、少し話したこと。男性キャストだけの劇団だと聞いていたので、女性の声がしたのには驚いた。それに、猫を追いかけて偶然出会った青年が、MANKAIカンパニーの役者として舞台の上に立っているのも衝撃だった。

「三角だな。猫と喋るのは」
「はい。公演のお見送りをしてもらうときに名前を聞けました。いいですよね、猫と喋れるなんて……」

自分も猫と話せたらどれだけいいだろう。うっとりと目を細める名前に、そうだな、と千景は同意を示すことが出来ない。

「卯木さんは猫、好きですか?」
「……嫌いじゃないよ」
「好きではないんですね」

微妙に間を開けて嫌いじゃないと言うということは、そういうことだろう。

「アレルギーですか?」
「いや……。何を考えてるかわからないだろ、動物は」
「そういうことですか」

珍しく難しい顔をする先輩。本当に苦手なんだなと思い、名前はふふと笑った。

「三角と一成と、猫がたくさんいる島があるから行こうって話してたら、茅ヶ崎さんも行こうかなって。でも先輩は来ないかもって言われました」
「……期待を裏切って悪いけど、興味はあるよ」

興味があるのは、猫がたくさんいる島ではなく、この後輩と出かけることに、だが。

「本当ですか。皆に言っておきますね」

後輩が楽しそうで何よりだ。
知り合いが増えて、仕事以外のコミュニケーションもとれている。自分の周りには自分を受け入れるものがあるのだと、少しは感じているだろうか。

「卯木さん?」
「ああ、何でもない。……そうだ、一成のことで思い出した」

鞄から美術展のチケットを二枚取り出す。思い出したというのは勿論方便で、この美術展に誘うのは今日のミッションだった。

「一成が描いた絵が、群馬の美術館の企画展示に選ばれたんだって。チケットを貰ったから、一緒に行かないか?」
「えっ、一成すごいですね……!行きたいです」

古典も好きだが、現代美術も、現代の若い人の作品も好きだと以前名前は千景に話したことがある。覚えていてくれたのは嬉しいし、知り合いの作品が美術館に展示されているのを見に行けるなんて初めてのことで楽しみだ。
目をらんらんと輝かせる名前に、一成も喜ぶなと言って千景は微笑んだ。

お互いのスケジュールを確認して、来週日曜に行くことにする。次の日からまた海外出張に出るので、早めに出発し夕方には帰ろうと決めた。

「九時に車で迎えに行くよ」
「えっ?いえ、車だと俺が運転できません。電車で、」
「ここに行くのは電車より車のほうが楽だ。車を走らせるのも好きだしね」

名前は車の免許を持っていない。先輩に運転させるわけにはいかないと思い電車でと言ったが、名前のその考えも見越した上で千景は捲し立てた。運転が好きだと言えば、後輩はもう強く反論しないだろう。

「……すみません。じゃあ、あの、よろしくお願いします」
「ああ。その代わり、絵の感想を一成にしっかり伝えてやってくれ」

そう言われて、こくんと頷く。今のは、自分の心を軽くするために言ってくれたのだろうか。車で行くなら道中は眼鏡もマスクもしなくていい、というのも考えてくれたのかもしれない。この人は、色々と気を回してくれる人だ。それも上手に、わかりにくく。
だから名前は黙っている。気遣いなのかそうでないのか、暴くことはしない。きっとそれがお互いに心地いい接し方だと思えた。



出かける約束の前日、名前は服を買いに出かけた。
日本に来てからというもの、休日に出かける機会がほぼなかったので、外行きの服が極めて少ない。服や靴にはあまり興味がない。好きなゲームとアパレルブランドがコラボしてくれれば有り難く購入して、それを着倒す。MANKAIカンパニーの公演もブラウォーのロゴが入った服で行ったし、家の中では、キャラクターや猫の絵が大きく載っているTシャツを着ている。一人で出かけるならそれでも気にならない。
けれど、大人の格好よさを備えたあの人の横に立つのに、キャラものの服装でいるのは躊躇われた。不釣り合いに決まっている。

マスクをし、キャップを被って、ショッピングモールで服を見る。
あの人の横に並ぶのに相応しく、自分に似合う服がどんなものか、さっぱり分からない。店員さんに聞くコミュ力もないし、店員さんのほうから話しかけられるのも困るので、話しかけられそうな気配を察知するとそっと距離をとった。
何店舗もぐるぐるうろうろと巡って、マネキンが着ているものから、これならいいかもと思ったものをようやく購入する頃には三時間近くも経っていた。店内で、どっちの色が似合う?などと友達に相談している人達が、少し羨ましい。そういう友達が今の名前にはいなかった。

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