「ただいま」
「……お邪魔します」
寮までタクシーで乗り付け、玄関で挨拶をすると、最初に斑鳩三角がすっとんで来た。
「千景おかえり〜!名前〜いらっしゃーい!」
壁を三角飛びして来た三角に声もなく驚く名前。夏組のお芝居を見た時、三角の運動神経の良さは感じたけれど、ここまでとは。蜘蛛がモチーフのアメコミのヒーローを名前は思い浮かべた。
登場一人目から度肝を抜かれている名前が面白く、千景が口の中で笑いながら「ただいま」と三角に返事をする間にも、次々駆け寄ってくる。一成、至、万里、そして監督さん。
「名前ちゃん空き巣って、大丈夫だった!?チカちょんがいてよかったね〜!」
「先輩ナイス……ってか二人ともずぶ濡れじゃん」
「大変だったみたいだな。おつー」
「二人とも、無事でよかったです……!」
唯一の女性が、この劇団の監督さんだ。千景や至が「監督さん」と呼ぶので、彼女の話になると、名前も勝手に監督さんと呼んでいた。本人と対面したのは初めてで、万里も、ボイスチャットでは何度も話したが顔を合わせるのは初めてだ。
「ありがとうございます。すみません、急にご無理を言って……」
「いえいえ、気にしないで、上がってください!」
「はい。お世話になります。よろしくお願いします」
「苗字くん、そんなに畏まらないでください。私達、同い年くらいですし」
縮こまって堅苦しく挨拶をする名前に、監督は朗らかに笑いかける。名前も仕事とあれば外行きの笑顔を見せることが出来るが、彼女の笑顔は外行きの作り物には見えない。きっと根っからのコミュ強だ……と内心で名前は慄いた。
「監督さん、苗字はコミュ力が茅ヶ崎並みだから、今日はこんなところで勘弁してあげて」
「そうなんですか?ごめんね苗字くん」
「おい俺の評価」
千景のひどい言い様を監督が真面目に受け、至が渋い顔をする。
その気安いやり取りに少しだけ緊張がほぐれるも、談話室に入ると、劇団員達の視線が一斉に自分に集まったので名前は改めて身を固くした。とにかく、挨拶、失礼のないように。それだけを考える。
「あの、苗字名前です。突然すみません……しばらくご厄介になります。よろしくお願いします」
深々とお辞儀をする名前に「名前ちゃん真面目っ」と一成が茶々を入れた。
団員達がそれぞれに、よろしく、よろしくね、と返してくれるので、名前はぺこぺこと頭を下げる。と、見覚えのある顔を見つけた。以前、引ったくりに遭った時に助けた銀髪のお兄さんーー雪白東が名前に歩み寄り、微笑みかけた。
「ボクのこと覚えてる?」
「はい……MANKAIカンパニーの劇団員さんだったんですね」
「うん。また会えて嬉しいよ 。あの時はありがとう」
東が名乗り、握手を交わす。あの時の名前は外行きではなくいつもの装備を纏っていた。東のほうから気付かれることはないと思ったが、なぜ分かったのだろう。そんな疑問を湛えた目でぱちくりと自分を見る名前に、東はにこりと笑う。
傍で見ていた監督は、名前と東の二人に面識があることに驚きながらも、ちょうど良いと喜んだ。
「東さんと面識があったんですね。良かった。東さん、苗字くんと同室でもいいですか?」
「もちろん。一人部屋で寂しかったんだ。よろしくね、名前」
「よろしくお願いします」
この寮が二人一部屋だというのは千景から聞いて、名前も知っていた。世話になる身なので誰と同室でも名前は全く構わないのだが、わずかとは言え面識のある東と同室になり少しほっとした。
「もうみんなお風呂は済ませてるから、ゆっくりつかって疲れを癒やすといいよ」
「はい。ありがとうございます」
時計の針は二十三時を示している。学生組を中心に眠たげなメンバーは部屋に散っていった。その中には、名前が不良グループに絡まれていた時に助けてくれた黒髪の少年ーー泉田莇がいた。
あの子もこの劇団の子だったのか。
莇は名前に気付いていないようだ。今声をかけるのも躊躇われたので、あの時言えなかったお礼が言いたいけれど、明日にしようと莇の背中を見送る。
「苗字。風呂、先に行ってこい」
廊下のほうへ目を向けている名前に、千景が言った。
部屋があたたかいのと緊張とで忘れていたが、雨に濡れていたのだった。お風呂に入らせてもらえるのは有り難い。しかし、先輩より先に入るわけにはいかない。
「いいえ、卯木さんが先に入ってください」
「茅ヶ崎がお前とゲームしたそうにしてるよ」
「流石先輩。名前、出来ればでいいけど、一戦どう?」
至がアサルトライフルを構える仕草をして見せる。
ゲームの誘いは嬉しいし、知らない場所で見知った人と過ごせるのは心強くもある。でもやっぱり散々迷惑をかけた千景より先に入浴するのが、名前には気が引けた。確かここの浴場は男数人でも十分入れる広さだと聞いたことがあるので、せめて一緒に入るのはどうだろうか。……などと名前が考えているうちに、千景はいなくなっていた。部屋に引き上げたのだろうか。
「103号室ね。先に始めとくから」
「はい」
好意なのか何なのか、よく分からないけれど、渋々お言葉に甘えることにした。もしかすると人と一緒に入浴するのが好きではないのかもしれないし、とも思う。
東に案内され、荷物を部屋に置いてからささっと風呂に入り、寝間着に着替えて103号室へ向かう。
「苗字です。入っていいですか」
「どぞー」
「失礼します」
「はーい。……って、そのヘアバンド、どうした?可愛いじゃん」
風呂上がりの名前の格好を見て、至がニヤニヤと笑った。
「……万里もしてるじゃないですか」
「いや俺そんなかわいーのじゃねえし。……つーか名前さんマジで社会人?」
「高校生で通せそうだよな」
「……」
大人っぽくないと、からかわれている。名前は至と万里にジト目を向けた。
ゲームをするには前髪が長くて邪魔なので、名前は百均で買ったヘアバンドで前髪を上げている。こだわり無く買ったヘアバンドは、言われてみれば可愛いものかもしれない。薄い黄色のふわふわの生地に、リボンのあしらい。今まで気にしたことはなかったが、女の子向けだったのか。
半袖のTシャツは一応キャラものを避けて、無難な無地の白にした。下はジャージ。名前の顔立ちは、整ってはいるが大人っぽいつくりというわけではないので、至の言う通り、私服でいると高校生に間違われることもある。
視線を感じて、名前は頭にタオルを被っている千景を見た。
「……卯木さんも何か言いたいことがありそうですね…?」
「いや、俺の感想も大体出尽くしたところだよ」
「……じゃあ、お風呂、どうぞ。お先にいただいてすみません」
ジト目を送ると、先輩は満足げに風呂へ向かった。名前はソファに招かれ、ゲームを始めた。今日もマッチョな猫人間で、至と万里とチームを組む。
千景が風呂から戻ってきた時、前の試合が終わりゲームが新しく始まるところだった。どこに降りるか相談している至と万里。このゲームのマップは広く、どこに降りるか自由に選べる。名前は降下地点にこだわりが無いので、いつも二人に任せていた。
「おかえりなさい」
名前が振り向いて千景に言う。
「……ただいま」
これは、何か、とてもいい。
さっきまで、風呂につかりながら犯人どもの社会的抹殺を企てて頭が冷めきっていたのに、急に自分が馬鹿になってしまった気がする。
千景は名前の隣に座り、名前の手元のゲーム画面、とその横顔を見た。
早速他のチームとの戦闘が始まって「ざけんな雑魚、殺すぞ」と至が暴言を吐いている。至は交戦中かなり口が悪いし舌打ちなんてしょっちゅうだが、名前は基本的に情報提供する以外は無言だ。やっぱりこいつの隣は落ち着くなと千景は思いながら、再び名前のゲーム画面を見た。
名前は時々、この敵プレイヤーは有名なストリーマーだとか、この武器はすごくレアだとか、ぽつぽつと千景に説明した。
何戦かして、深夜に入り、ニューゲームのロード時間がかかり始めると名前はウトウトしだす。やがてゲームを両手で持ったまま、項垂れるような姿勢で眠ってしまった。あどけない寝顔だが、疲れているはずだ。
名前が眠ったのに気が付いたのは千景だけだった。至と万里はロード画面を見ながらダラダラ喋っている。千景が画面前に座り込む二人に声をかけた。
「苗字、寝たよ」
「やっぱ、疲れ溜まってますよね。終わりにしますか」
「だな。今日は解散で」
「へーい。おつかれさんでーす」
万里が部屋に戻ると、至はニヤリと笑った。そのまま、二人でそこで寝ます?などと言う。
「東さんの部屋に運ぶ」
「おお、理性的ですね」
「お前な……馬鹿にしてる?」
こいつに隠さなかったのは間違いだったかと、揶揄ってくる至にため息をついた。
そっと横抱きにして206号室へ名前を運ぶ。ノックすると東が出てきて「プリンセスの寝顔は可愛いね」と微笑んだ。
プリンセス……。
「あれ、違った?千景のプリンセスかと思ったけど」
「……お邪魔します」
否定も肯定もせずに入室させてもらい、東が使っていない方のベッドに名前を寝かせた。
部屋にはお香が焚かれていた。東曰く、リラックスでき安眠効果があるという。
同室が東で良かったかもしれないと千景は思った。ゆったりと構え、自分を受け入れてくれる場所があることの有り難さを、千景はもう知っている。