物語のコラージュ 四
千景は、会社の先輩後輩という間柄からフラットな関係へと名前の心構えを少しずつ変えたいと思っている。自分ばかり借りを作っている、自分ばかり世話になっている、と名前が恐縮するのを辞めさせたい。だから名前が「昼食をご馳走させてほしい」と言うので、千景はお言葉に甘えることにする。
卯木さんの好きなものを、とのことだったので天鵞絨町に新しくできた中華の店を選んだ。千景は激辛麻婆豆腐、名前は天津飯を注文する。
「カレー屋さんじゃなくてよかったんですか?」と名前は店員に気を遣って小声で聞いた。これから寮で朝晩カレー漬けの生活になることを、名前はまだ知らない。

食後は商店街を歩いた。昨日、手土産もなく寮に転がり込んだことを生真面目な名前は気にしていた。千景のアドバイスを聞きながら、劇団へのお土産にスイーツやお酒を買って寮に戻る。

秋組の稽古は、休憩時間を挟みながらも朝から続いていた。冬組は先に稽古を終えており、それぞれ自由時間なので出掛けたり庭いじりをしているらしい。リビングにいるのは春組と夏組の数人だけだった。

「二人とも、おっかえりー」
「おかえり〜」

ノートパソコンから顔を上げた一成と三角が言う。ただいま、と自分が言うのは馴れ馴れしいような気がして、名前は小さく「ただいま帰りました」と返事をした。千景はそれを聞いて苦笑し、一成と三角に「ただいま」を言う。

「二人は何してるんだ?」
「秋組公演のフライヤーを作ってて、ちょうど今出来たとこ!」
「今回のもすごくカッコいいよ〜」

じゃん、と一成が効果音を自分でつけながら、名前と千景にパソコンの画面を見せてくれる。リビングに続く談話室でゲームをしていた至と、同じく談話室で映画を見ていた皆木綴と瑠璃川幸も、見せてと画面の前に集まった。

「格好良いな。春とも夏とも全然雰囲気が違っていい」
「うん。いいんじゃない」
「三好さん、やっぱすごいっすね。毎回世界観をフライヤーで表現してくれて」

口々に褒めるのを素直に喜び、一成は顔をほころばせる。

「でしょでしょー!カズナリミヨシ、今回も渾身の出来!」
「……すごいな、一成」
「名前ちゃんもありがとっ」

名前も、画面をまじまじと見て呟く。絵画に、フライヤーのデザイン。劇団のホームページも一成が作ったと聞く。一成が才能やセンスをこれまでどのようにして磨いてきたのか、名前は興味があった。
自分が語学に没頭したように、一成も芸術に打ち込んできたのだろう。けれど、話せるようになった、検定に合格した……と達成度が明確な語学と違い、芸術は線引きも正解も無い。語学だって奥深いのは承知だけれど、不明瞭な芸術の世界に身を置く、というのが名前には過酷に思えた。

フライヤーでは主演の莇と準主演の万里が背中合わせに立っている。今回の秋組公演は、新入団員の莇が主演のゾンビもの、と名前は聞いていた。二人の衣装やメイクには違いがあって、顔や体につぎはぎのある莇は恐らくゾンビなのだろうが、万里はゾンビではなさそうだ。どんなストーリーなのだろうとフライヤーからも興味が掻き立てられる。
それに、そう、莇にお礼を言わなくちゃと名前は画面から顔を上げた。

「秋組の稽古は夜までですか?」
「いや、夕方には終わると思うよ」
「名前ー、夜ご飯までゲームしない?」
「茅ヶ崎。昨日も夜中までしてただろ」
「ゲーマーなんで」

今更何言うんですかと言わんばかりの笑みで、ソファにだらりと座ったまま、ゲーム画面から顔も上げず千景に返事をする至。千景にそんな態度を取る人は会社にはいない……少なくとも名前の知っている範囲では。千景と至が、これまで外で見てきた様子よりずっと親しげで名前は少し驚いた。
というか、この寮では驚くことばかりだ。
昨日は話せなかったけれど、外国からの留学生に、芸能人の皇天馬さん、監督に近寄るなと睨んでくる青年。みんなとてもキャラクターが濃い。

「ブラウォー?それともペンキ塗る?」
「すみません。俺、先に部屋探しをしたくて……夜でもいいですか?」
「部屋探し?早くない?」

それはそうだ。早くしないと、と思っている。引っ越しへの道のりは長い。

「希望条件は何かあるんですか?」

部屋探しと聞いて、綴が名前に声をかけた。真澄以外の他の学生たちは一人暮らしをしたことがない。その中でも、大家族という家柄、実家に一人部屋がなかった綴は一人暮らしの部屋探しに多少興味があるようだった。この寮を出ていくのはまだ遠い先のことだとしても。

「そうだな……オートロック、二階以上、リビングとは別に一部屋、会社まで乗換なし……」

綴に問われて、思いつく希望を挙げていく。
するとノートパソコンを使って、一成が物件を調べ始めた。物件情報サイトでは、他にも色々と条件を付けて検索することができる。画面を見ながら一成、三角、幸も口々に希望を付け足していった。

「部屋は南向きがいいっしょ〜!」
「猫さんと一緒に住めるところ〜!」
「ウォークインクローゼットあり」
「いや……そこにこだわりはないかな……」

どれも叶うなら嬉しい限りだ。けれど、平日はほぼ寝るだけの部屋。何日も帰らないこともあるし、設備面はそんなに豪華でなくていい。

「管理人常駐。テレビモニター付きインターフォン」
「あー、今回の引っ越し理由考えたらそれは必須かもですね。あと駅徒歩五分以内」

千景と至の挙げた三点を足して、一成が検索ボタンを押した。検索結果、ゼロ件。

「あれれ〜?なんでだろ?」
「猫可は厳しいでしょ!ウォークインクローゼットも!」
「ええ〜?」

綴の突っ込みに応じて、猫応相談、ウォークインクローゼット有り、の条件を外して一成が再検索をかける。二十件以上の物件が表示された。
上から下までざっと見るが、どれも、二十代前半の社会人が一人暮らしをするには高額な家賃だった。綴が思わず「たけー」とぼやく。

「でもインチキ二人と同じ会社なら、アンタもかなり稼いでるんじゃないの?」
「先輩と名前は海外出張手当もあるしね」

幸と至が言うことに何と答えてよいか分からず、名前は「うん」なのか「んん」なのか、曖昧に反応した。
確かに海外出張手当は毎月それなりに貰っているが、それを家賃に宛てたくはなかった。それと、インチキ二人というのも気になる。インチキって何のことだろう。

「広さの希望は無い感じ?1DKだと、60平米くらい?」
「そんなに広くなくていいよ……」

今の発言から、一成の家は広いのかもと勝手に推測し始める頭を振って、やんわり断った。一人暮らしで60平米もあるところに住んだら、変に孤独を感じそうだ。

「抑えられるところは抑えたい。その分課金する」
「禿同」
「なに。アンタもゲーマー?」

幸が呆れる。自他とも認める王子様フェイスだが寮では自堕落な重度のゲーマーでオタク。いつも柔和な笑みを浮かべているがデタラメを言って人を惑わせる胡散臭い奴。昨晩ここへ来た時は見せていた綺麗な顔を長い前髪と黒縁眼鏡ですっかり隠してボソボソ喋る奴。この男達が務める会社は一癖ある人間を集めているのだろうか。

「なら、劇団員になってここに住めばいんじゃね?」

ポンと投げかけられた声の方を向く。稽古を終えた万里がリビングに戻って来ていた。
冷蔵庫から冷たいお茶のペットボトルを出して、一口で飲み干す勢いで煽る。秋組は全員身体能力が高くアクションシーンが見どころらしいので、稽古も肉体的にハードなのだろう。
お疲れー、などと気軽に言う皆に混じって名前も「お疲れ様」と声をかけた。

「万里天才かよ」
「家賃浮くし俺らとゲームできるし。いい案でしょ」
「そんな不純な動機で入れません」

万里の提案と期待に満ちた至の目をさっくりお断りする名前に、不純な動機で入団した面々は苦笑いをする。後になってこのやり取りを聞いた監督は、きっかけは何でもいいんだよ、と明るく笑ったのだった。

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