物語のコラージュ 六
夕食の片付けと入浴を済ませて名前と密が206号室に入ると、東と千景は既にいくらか飲んでいるようだった。机の上に何本も酒瓶が置いてあって、中身がそれぞれ少なくなっている。しかし部屋が酒臭いかというとそんなことはなく、畳と、焚かれているお香の混じったいい匂がする。

名前がお土産に買ってきたお酒で晩酌をしよう。皿洗いをしている二人にそう声をかけたのは東で、他にも適当に何人か団員を呼んだようだ。
東の部屋にはローテーブルを挟んで二人がけのソファが二つ置かれていて、東と千景が向かい合って座っている。密が東の隣に座ったので、名前は千景の隣に座った。

「買ってきてくれたコレを飲んでるんだ。名前もどう?」

どっしりとした黒い一升瓶を東が掲げて見せた。

「東さん、苗字は甘口しか飲めないんです」
「そうなの?じゃあ、こっちがいいかな」
「いただきます」

今度は大きな香水瓶のような洒落た日本酒を取り上げ、名前に注いでやった。
密は他の三人のやり取りを聞くでもなく、手近な缶ビールを開けてくぴくぴ飲み始める。ポップで可愛いラベルには目もくれない。一口で飲み終えるのではという勢いに、この人もお酒が強いのかな、と羨ましく名前は思った。
熟した果実のように芳醇なアルコールが舌に滲み、喉を通って胃に染みこむ。お腹のあたりが熱くなるが不快ではない。東がすすめてくれるのに従いおかわりをした。

「美味しい?」
「はい。東さんも、飲んでみませんか」
「じゃあ貰おうかな」

東がすぐにグラスを空にして名前に差し出し、そこへドボドボとお酒を注いでいく。「入れすぎだ」と千景が言うまで注ぎ続けて、ぽってりしたグラスは容量いっぱいになった。

「すみません……」
「ううん。ありがとう。……本当だ、これ美味しいね」

なみなみと酒の入ったグラスを持ちにくそうにすることなく口元に寄せひと口飲んで、丁寧に笑う。東の柔らかな言葉や雰囲気に名前は安心した。
名前が入れすぎた酒をあっさり飲み終えて、次を選びながら、東は名前に出張先の話を聞かせてと頼んだ。海外旅行が好きな東は名前が訪れた国の料理や言葉や芸術の話を何でも聞きたがり、名前も、聞き上手な東のおかげでたくさんの言葉を紡げた。
アルコールの力もあるだろうが、名前が心穏やかに過ごしている様子に千景は満足する。ここへ連れて来てよかった。家族や仲間たちが、名前をあたたかく受け入れてくれている。



酒盛りにと東が声かけをしたのは監督と月岡紬で、リーダー会議を終えた二人はそのまま佐久間咲也、皇天馬、そして万里の三人も連れて206号室へとやって来た。部屋が一気に賑やかになる。

「監督さん、座ってください」

名前がすっくと立ち上がろうとしてよろけるのを、隣に座っている千景が支えてやる。咲也と天馬は慌て、万里はぽっぽと顔が火照っている名前を「出来上がってんじゃん」とからかった。

「私はこっちで大丈夫だから、苗字くんは座っててください!」
「うん。名前は座ってて。監督さん、ボクのところにどうぞ」

東が席を譲り、じゃあ、と監督がソファに腰を下ろした。名前は自分も下に座りますと言いかけたが、グラスと飲み物の用意でがやがやとし始めたので言い出せない。
ここにいてもいいのだろうかとソワソワしていると、「そこにいろ」と千景が言い聞かせる。静かに笑っているようでいて、飼い主が愛犬に言い聞かせるような言い方にも聞こえる。少し離れたところに座っている紬が二人の様子を不思議そうに見ていた。

未成年はジュース、大人たちは酒の入ったグラスを持つ。

「名前、ようこそMANKAI寮へ。乾杯」

東が音頭をとって乾杯をする。「ありがとうございます」と返す名前は、昨晩と違い嬉しそうに顔をほころばせた。

「苗字くん、お酒弱いの?」
「そんなことないですよ」
「じゃあ大分飲んだのか?」
「そんなこともないけど」
「見栄をはるな。弱いだろ」

紬と天馬の問いかけに曖昧に答えると、先輩によって真実を明かされてしまった。基本的にいつも助けてくれるのに、妙なところで梯子を外される。なんでばらすんですかとジト目を向けるが、楽し気に笑われただけだった。

「監督さんはおさけ強いですか?」
「うーん、東さん達ほど強くないけど、弱くもないかな?」

と言いながらビールをぐびっと飲む監督が逞しく見える。

「名前さんは千景さんと至さんと同じ会社なんですよね。会社のお付き合いで飲み会があると大変じゃないですか?」

酒が弱いという名前を心配してくれる咲也。

「うん。多くて、最初は大変だったけど……今もとくいではないけど、おいしいお酒もおぼえたよ」

同意しながらも、前向きに答えた。嘘はない。卯木さんのおかげ、と言い足すと咲也は晴れやかに笑った。
咲也と名前のやり取りをにこにこと聞いていた監督。はて、と思いつくことがあり、正面の名前に向けて挙手して見せた。

「苗字くん」
「はい」
「同年代だし、私にも敬語じゃなくていいよ?」
「はい、あ、うん」

自分には真似できない早さで距離を縮めようとする監督にぎこちなく頷く。彼女は気さくで友好的な人だ。自分にない快活さがとても眩しい。

「劇団に入らないなら監督さんじゃなくて名前で呼んでもらっていいし」
「え?いえ、うーん」
「おや。戸惑ってるね」
「そういや名前さん、彼女いねぇの?」

万里から思わぬ質問をされ、目をぱちぱちする。

「そっか、他の子を名前で呼ぶのはちょっと、ってことかな」

監督から追撃が来た。目をらんらんと輝かせている。今現在演劇が恋人という状況にある監督だが、人の恋愛には大いに興味がある。逆に、そういった話に全く興味がない密はマシュマロを口に含んで、ソファの上で足をたたんで寝る体制に入った。

「彼女も彼氏もいません」

ほぼ全員の好奇心いっぱいの目が自分に集まったので、気を紛らわすためにグラスに残ったお酒を飲んだ。

「彼氏って、名前さん男いけんの?」
「性別は、なんでも」
「……なんつーか、名前さんて色々と寛容だよな」

咲也や監督が、へええ、というような感嘆の声を小さく漏らす。
最近は日本でもジェンダーについて社会的に認知され広く捉え直されているところではあるが、自分から明らかにするのは未だ珍しい。海外育ちの名前はそのあたりの感覚がやや日本人離れしているのか、そこそこ心を開いている人に聞かれれば素直に答える。けれど自分のことを積極的に話す性格ではないので、聞かれなければ言うこともない。
つまり恋愛対象は性別不問という情報を千景が明確に入手したのは、今だった。
あからさまな反応はしない。一瞬、ごく僅かに目を見開く。千景のそんな変化に気が付いたのは紬だけだった。

監督からの恋の質問は続く。さっき話題に出たところから、お付き合いしている人がいる時その他の子を名前で呼ぶか否か、ということを聞かれた。密は相変わらず寝続けている。
咲也は質問の状況を想像してみて赤面し、わからないです、と音を上げた。彼の初心な反応は、出会って間もない名前も可愛らしい人だなと好感を抱く。

「千景さんはどうですか!?」

監督から見て百戦錬磨の経験者に思えるのが東と千景だったので、斜め前で足を組んでゆったり座っている千景に聞いてみる。千景は悩む素振りも見せず、さあ、と首を傾げた。

「どうかな?時と場合によるとしか言いようがないな」
「誤魔化しのプロだな」
「流石、ペテン師オズワルド……」

万里に続き天馬が感心したように言う。
ペテン師オズワルド、と聞いて名前は犬の耳がピンと立つ勢いで千景に話しかけた。

「あの舞台、再演しないんですか?おれ、またみたいです」

青い目が熱くきらめく。真っすぐ見つめられて少しも心が動かないわけではないけれど、やっぱり上手に誤魔化す千景。

「それは監督さんに聞かなきゃね」
「春組も、地方再演は計画しますよ。まずは新生秋組をやり遂げますけど、その間に他の組も色々準備を始めます!」
「たのしみです。今度の秋組もたのしみにしてるね、万里」

随分酒が回ってにこにこしている名前に、万里は「おう」と言って見せる。実は、新入団員の莇が演劇に夢中になっているわけではないことに引っ掛かりはあるのだが、万里もこの場では何も言わなかった。

しばらくして万里や監督らが眠気に負けて部屋に引き上げた。最初からいた四人だけが残っている。
密は起き上がってまた酒を次々飲み干しながら、時折名前にも飲ませている。

「うつきさん、全然かおいろかわらないですね」

肩が触れそうな距離でまじまじと見られる。同じように千景も見返した。

「苗字は首まで赤いな」

頬だけでなく、首も耳も火照って赤い。アルコールのおかげで血がずくずくと疼くような感覚もあった。反対に頭の中はもやがかかったように白む。

「名前、お酒強くなりたいんだって」

密が言う。皿洗いの時にそう聞いていた。

「そうなの?今のままがいいよ。折角可愛いんだから。ねえ、千景?」
「そうですね」
「おれは、男ですよ。うつきさんみたいに、たよれる、かっこいい、おとなの男になりたいです」
「べた褒めだね」

誰に言うでもなく、怪しい呂律で力説する名前。先輩だからといって忖度をするような性格じゃないと千景が一番よく知っている。
心のポーカーフェイスが吹き飛ばされて、嬉しい、という気持ちが残る。特別な好意はなく純粋に言葉通りの意味だけだとしても、好きな子に格好いいと言われて嬉しくないわけがない。

「……千景は大人じゃない。すぐ怒る」
「お前に比べたら大人だ」

理解できないという顔で密が言うと、千景がむっとして言い返す。険悪な雰囲気ではなかった。気心の知れた仲らしい。
それからも何かにつけて小さな口論をする二人が面白く、ふにゃふにゃ笑って先輩を見ていたら、いつの間にか心地よい眠りについていた。

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