
ある昼下がり、俺は李道の部屋を訪ねていた。
「構わないが、何の用だ?」
「猫の事なんだが、医者から検査の結果が届いたもんでな。」
俺は手元のカルテの入ったファイルをひらひらと振ると、デスクでキセルを咥えている李道へ差し出す。
「身体検査?」
「あいつが女だって分かった瞬間に検査させろって言ったのはあんただろ。」
そうだったかと呟く李道に、俺は軽くため息をつく。
脳裏に、数日前の会話が蘇る。
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猫が女だと判明した後、俺は李道から身体検査を受けさせるよう命令を受けた。
『検査?どうするんですそんな事をして。』
『…飼い猫の体調くらい、しっかり管理してやれ。あいつに、商品としての価値があるのか把握をしておきたくてだな。』
――商品。この界隈において、貧民がモノとして扱われることは日常茶飯事だ。奴隷として売られるモノ、金持ちの愛玩用として一生を過ごすモノ。はたまた、使い捨ての鉄砲玉にさせられるモノもいるし、女であれば客を取らさせられるモノもいた。
『…猫の、商品価値、ですか。』
李道の前で後ろ手を組んで立ちながら、俺は窓の向こうで王伯母と絵本を読む猫へ視線を向ける。
王伯母が何かと世話を焼きたがるのもあり、現在の猫は最初に出会ったボロ切れのようなものからは想像できないくらい洗練されたものになっている。…確かに、今の猫であれば高値がつくのだろうか?などとぼんやり考えていた。
『それに、まだ猫の声が出ないのだろう?』
『っ、』
指摘されて、動揺した。
『…俺が気づいていないとでも思ったか、馬金。』
李道の視線がすっと細められる。俺は、身体に視線が突き立てられるような感覚に冷たい汗が流れた。
『…育てているのはお前かもしれないが、拾い育てろと言ったのは私だ。無下な扱いをするつもりか?』
『っ、そんなつもりは!』
『なら受けさせろ。ついでに、他に障害がないか調べさせるいい機会だろう。…分かったな?』
『は、い。』
かろうじて、返事をすると頭を下げる。隠し事はできない、そう改めて思い知らされたのだった。
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「……ふむ。心因性の可能性あり、か。」
室内に響く李道の声に意識を引き戻される。カルテをめくる手は止まっていた。
「ああ、猫の声な。一応医者にも確認したが、障害とかではないって話でしたわ。」
「成る程な。…まあ貧民区にいたのだから、何か心に傷を負うようなものを見ていても不思議ではないな。」
李道は軽く頷くと、読み終わったのだろうか、カルテを閉じた。
「馬金、王静へ感謝をしておくのだな。今の猫は、声が出ないことを除けば健康そのものだ。」
「…分かってますよ。正直、俺だけじゃ、猫を今の状態には出来なかったと思っていますからね。」
「おや、素直だな。」
「そりゃ…まあ、ね。」
あいつに、日々生活をする上での知識やマナーを教え、しっかりとした食事を摂れるよう手をかけたのは王伯母だ。素直にもなる。
その上、今は猫に本を読ませ、文字の書き方を教えているというのだから、彼女の行動力には脱帽をせざるを得ない。
「このままでは、猫が王静に懐きかねないな。」
「…その辺りは、ちゃんと教え込んでるみたいですわ。」
「…馬金、お前ますます彼女に頭が上がらなくなるな。」
「……ごもっとも、です。」
あははと苦笑すると、李道のため息が聞こえた。…やめてくれ、地味に刺さる。
「…まあ良い。馬金、あいつの声が出たら報告を忘れるなよ。」
「はい。」
「それと、猫の養育をこれからも王静に続けさせろ。何か必要なものがあれば、報告を寄越せ。」
「――李道、あんた。」
思わぬ言葉に顔を上げると、なんだと言わんばかりの表情の彼と目があった。
「…猫には投資する価値がある、そう判断したまでだ。深い意味はない。」
話は以上だ、そう告げると椅子の背を向けられた。
投資する価値がある、それをするだけの価値が、今の猫にはあると彼は言った。彼の態度の変化に色々言いたいことはあったのだが、ひとまず飲み込み一言だけ告げた。
「…猫が、あんたのお眼鏡に叶うよう、頑張りますよ。」
椅子の陰から、ひらひらと手を振られたのを確認すると、俺は部屋を出た。
そして、李道からの言葉を王伯母に伝える為に、足早に邸内を歩き出すのだった。
(扉が閉まった時、何故かほっとしていた。その理由を、俺はまだ知らない。)