※ヒロイン≠P

――初めて出会った日は、大粒の雨が降っている日だった。
たまたま雨宿りした樹の下で、私はあなたに出会った。

“雨、止まないですね”

名前も知らない私達は、あの日あなたが貸してくれた傘と私が貸したハンカチを返すために、もう一度同じ樹の下で再会した。

“この間は、本当にありがとう。お陰で助かった”

お礼にと、彼の知り合いがやっているという喫茶店で美味しい紅茶をご馳走してもらった事を、今でも覚えている。他愛ない会話をしながら、私の話に何度も頷き相槌を打って聞いてくれる姿に、彼のおおらかな人柄があふれていた。

“良ければ、また会えないだろうか”
“……君の話は、聞いていてとても楽しいから”

帰り際、少し意を決したように連絡先を渡された。その姿があまりにも緊張しているものだから思わず吹き出したら、ちょっとだけふてくされたようになったのを今でも覚えてる。


その日の夜、たまたま見ていたドラマで、あなたがアイドルの信玄誠司と同一人物だと知った。知らなかったの?なんて後から友達に何度も言われたけれど、ちょっと世間の話題に疎かったところがあったのは認める。だからこそ、本当にびっくりした。

“……もしもし?”

初めて電話した時、声は上ずってなかっただろうか。
凄く凄く緊張していて、手も震えていて、何を話したか覚えていなくて。多分、直前に見ていたドラマの感想を言ったような気がする。

“……ありがとう、そうやって見た人から直に言われる感想が凄く嬉しい”

その時の安堵した声色に、連絡して良かったと思った。彼は常に評価をされる世界の人間なのだから。
それからも、幾度となく連絡を取り合った。彼のお仕事のお話に、歌のこと。CDを買った報告に歌の感想を送ると、律儀に返事をくれた。ライブで可愛いと言われ凄く照れている姿には、何故か私も照れてしまい焦った。後日可愛かったですよと言ったら目の前でしゃがみ込まれてしまい、申し訳ない事をしたなと思った。

“受け取って、くれないか”

幾度目かの逢瀬で、俺の気持ちだと言われ差し出されたのは赤いアネモネの花束。彼の知り合いの方が見繕ったというそれはとても鮮やかな赤で、どんな贈り物よりも輝いて見えた。
……私は、なんて言って受け取っただろうか。その後すぐに、『大好きだ!』って抱き締められてしまい、彼の体温を間近に感じて凄くどきどきしたのを覚えている。

そして、それから――



「――つむぎ?」

背後から声がする。振り返ると、扉を開けて誠司さんが立っていた。
彼が、白い衣装を着ることはステージでよく見ていたからそう珍しいことではないのに、今日のタキシードはひどく眩しく見えて、少しだけ目を細めた。

「何か、あったか?声をかけてもなかなか振り返らなくて心配した。」
「え、あ、……ちょっと、振り返っていました。」
「振り返る?」
「初めて会ったときの事とか、初めて行ったデートのこととか。」
「……はは、あの時は大変だったな。色々と迷惑をかけた。」


初めてのデートの日。誠司さんが仕事の時間が押し、連絡がつかないまま夜になってしまったのだ。結果として私は長い時間待ちぼうけを食らうことになった。

「でも、私は誠司さんは必ず来てくれるって、信じていましたから。」

“――つむぎ!今どこだ!”

着信に震える手で応え、スマートフォン越しに聞こえた彼の声にどれだけ安心した事だろうか。
走りながらこちらへ向かってくる彼の姿を目にした時は思わず涙がこぼれ、立ち尽くす事しか出来なかった。
待たせてすまなかった、私を抱きしめながら呟く声は少し震えていた。優しい人と、私は思った。

“仕切り直しというわけではないが、一緒にイルミネーションを見に行かないか?”

そう言いながら少しだけ照れたように頬をかいて、手を伸ばしてくれた彼の背中にキラキラと電飾の光が溢れる。まるで映画のワンシーンみたいで、私の心は酷く高鳴ったものだ。


「今までも、大変だっただろう?」
「そんなことないです。……みんなみんな、素敵な思い出です。」

――大変なこともあった。だけど、私にとっては誠司さんと歩いて来た大切な道のりだから。

「……そうか。なあ、つむぎ。改めて言わせて欲しい。」

そう言いながら、彼は私の前で膝をついた。

「ここから先も、俺に、その笑顔をずっと守らせてくれないか?」

真っ白な手袋に包まれた右手を差し伸べられる。その様が、物語の中の王子様みたいで、とても素敵だった。

「守ってください。私も、同じだけあなたを思い出で包んでいきます。」

手を重ねると、ぎゅっと握り返しながら彼が立ち上がる。あの日と変わらぬ照れた優しい笑顔が、そこにあった。

「あの、誠司さん。」

そういいながら袖を掴むと私は少しだけ背伸びをし、誠司さんは少しだけ屈んでくれて。

一言だけ、たった一言だけ。でも、今ならこの気持ちを正直に言えるから。

“愛しています”

そっと離れようとしたら抱きしめられ、真っ赤な顔の誠司さんの顔が近づいてきて、

“愛している”

なんて、いうものだから、私達は、お互い真っ赤で笑い合った。

少しだけ開いた窓から爽やかな風が通る。窓辺に活けられた赤いアネモネが、風に合わせてそっと揺れていた。

Sing of love