懺悔など赦される筈も無く



 マスター、目を瞑って、力を抜いて、動かないで、さあ、楽に、ええ、ええ、その調子です、いいですね、目を開けてはいけません、私の声だけを聞いて、それだけに神経を注いでください。
 あなたは今何処に腰掛けていますか?はい、あなたの寝具、ベッドです、カルデアの設備のままのものです、あなたはとくにカスタマイズしなかったのですね、まあそんな余裕も有りませんでしたが…。あ、ダメですよマスター、私の問いかけへの回答以外、口を開いてはいけません、私の話に意識を向けて、いいですね。
 それでは…あなたが手を伸ばすと、少し離れたところにサイドテーブルがあります、丸く平たい板が乗っているだけの簡素な、しかしあなたもご存知頑丈なものです。サーヴァントの脚力を受け止めたことがありますね、ふふ、憶えていますか、私は憶えていますよ、あれは確か、四つ目の…いえ、この話はいずれまた。
 それからあなたはベッドから立ち上がり、振り返ります、沈黙する黒い液晶と、ボタンが一つ、押し込めば無機質な機械音の後に慌ただしく、優しい声が呼び掛けてくる事をあなたは知っていますね。ええ、あなたはボタンを押しません、彼らに不要な迷惑をかけるべきでないと分かっているから、あなたは物言わぬ画面から目を離して、さあ、右側に目を向けます。観葉植物の鉢の前に、あなたの部屋で唯一の、あなたが自分の意志で置いた家具である棚があります、そこに整然と、所狭しと並べられたものは分かりますか?はい、そうです、あなたの呼びかけに応えて召喚されたサーヴァントのからの贈り物、私はあまり近くに置くべきではないと忠告したのですが…まあ、問題がないなら今は良いでしょう、時々位置が変わっているのに気付いていましたか?気付いていた?そうですか、そういうこともある?そうですか…随分と脳天気な…いえ、それもあなたの良いところです、けれど気をつけてくださいね、いつあなたの身に刃を向けるかなんて知れたことで無いんですから。
 さて、曇りガラスのパーテーションに指を触れながら、此方を見てください、サイドテーブルに添えられた丸椅子に私が座っているのが見えますか?そうです、事務的なこれに腰掛けて話しているんですよ、この椅子、座面があまり柔らかくないですね、スタッフの方に言えば改修を検討してもらえるでしょうか。私の左手側のクローゼット、開けてもいいですか?おや、だめですか、普段から整理してないんですか?まさか普段は中身が見えないから誤魔化せているつもりなんですか?扉を開けてしまえばすぐに見えてしまうのに…まあいいでしょう、それはまた別の機会に。
 そろそろ飽きてきましたか、でも目を開けてはいけませんからね。あ、今私の後方に目を向けましたね?大丈夫ですよ、洗面台の照明はちゃんと消しましたから、マスターは妙なところで心配性ですね、もっと気遣うべきものがあるでしょうに。
 あなたは再びベッドに腰を下ろします、真っ白なシーツが冷たいでしょう、あ、ええ、横になっていただいて構いませんよ、目は閉じたままで。そうです、ブランケットもかけましょうか、私がかけて差し上げます、…失礼します、はい、これで宜しいですか?ゆっくり息を吸って、空気を体に取り込んで、肩の力を抜いて、布団に全て委ねるように、ええ、その調子です、あなたは何も案ずることは無いのですから。はい、私はここに居ますよ、消えたりなんかしません、何を言っているんですか、あなたに喚ばれたのですから、カルデアからあなたが故郷に帰るまで…いえ、着いて行っても良いのですが、あなたさえ宜しければ…良いのですか?それはありがとございます。人理は修復され人類は再び日常を享受する、あなたももうすぐ日本に帰るのでしょうね、あなたがこれからどんな人生を歩むのか、私も少し興味がありますので。
 灯りを落としますね、質の良い睡眠には暗闇が必要です、少し席を外しますが、直ぐに戻ります、目を開けてはいけませんよ。
 良い子ですね、私が子守唄を歌って差し上げましょうか?冗談ですよ、さあ、肺から空気を吐き出して、鼻から冷えた酸素を吸い込んで、あなたの胸元が膨らむのが分かります、深く呼吸できている証ですね、…見られているのが恥ずかしい?気にしてはいけませんよ。…手が、冷えていますね、眠い時は温くなるものだと思うのですが、空調の問題でしょうか、私にはどうにも出来ないですから、申し訳ありませんがこのままで。とん、…とん、…とん、…とん…、…こういうのは、苦手ですか?そうですか、良かった、一定のリズムで振動を与えられると安心すると聞いたので、あなたにも効くようで何より。
 明日は何をするんですか、ナーサリーさんとお茶会?それともジャックですか、おや、円卓と…仰々しいように聞こえますが、きっと楽しいのでしょうね、あなたは何かお茶請けを持っていくのですか?なるほど、クッキー、私も好きですよ、……、…、マスター…?ああ、お休みになられたんですね、良かった。
 それでは一時の安寧を。平穏な夢を。



 キィ、と細い音を立てて回転した椅子から腰を上げる。ベッドサイドの夜間照明に細い影が床を照らす。簡易的な低い寝具を振り返る。
 青白い肌。子どもの色を残した顔。自分とそう変わらない齢の、大きな責任を背負った小さな子ども。
「重ねてしまうのは罪でしょうか」
 零れ落ちた言の葉は唸り続けるモーター音に掻き消されていく。
 一体この拠点は何処を目指して走行しているのだろう。狭苦しい部屋に踵を返し、できるだけ音の立たないように(自動なので無意味だが)扉を開く。細い廊下。移動手段を兼ね備えた装甲車ではこれが限界なのだろう。
 パシュ、と微かな音を立てて閉ざされたマスターの部屋を見詰めて、それから目を伏せた。
 目覚めた時、あなたにまた絶望を与えてしまうのだろうか。否、初めから催眠など通じていないのだ、マスターは全てわかっていながら自分に付き合ってくれたに過ぎないのだ。それでも、一時でも、虚像だとしても、手品のように、騙してでも、幸福を見せたかった。

 これは独善でしかないのだ。

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唯繰