- 世界はきっと、俺たちのもの。 -


公安所属になって、一か月目のある日。
結真は室伏に呼ばれて、会議室の扉をノックした。

「失礼します」
「あぁ、来たか。ま、どこでもいいから座ってくれ」
「はい」

最近やっと公安の仕事に慣れてきた所で、ミスして叱られるほどの大きな仕事はまだ任されていない。
一体、なんの用だろう。

係長の席から一つ置いて、横に座る。そんな私を、いつもの怠そうな表情で見ていた係長は、藪から棒にとんでもないことを言いだした。

「お前、明日から警護課に配属だ」
「…はい?」

今、なんて。
もう一度頭の中で、係長の言葉を反芻する。
警護課に、配属……、って、配置換え?
うそ。
私、追い出されるのっ?

「え、あのっ」
「勘違いするな、別にお前が使えないから追い出そうって事じゃない。歴とした仕事だ」
「はぁ、仕事、ですか…」

私たち公安の仕事は、主に正体を隠しての情報収集だ。その対象は基本的に一般人だろうと、身内だろうとその区別はない。
だがこのやり方では、あからさまに身内を疑ってるようなものだ。正体も隠してないし…。
しかもそんな重要な仕事を任されるのは初めてなのに…それが身内の調査とは…。
気が重くなる私に、係長はふっと笑った。

「お前、本当に向いてないな、公安」
「えっ」
「調査が気乗りしないと、顔に書いてある」

なんたること。
対象に悟られる事はご法度なのに、顔に出てしまうなんて。

「心配するな。今回は身内の調査じゃない。安心しろ」

あ、違うんだ。
ほっとして頬が緩むのを今度は自分で感じ取って、気を引き締めた。
顔に出さない、顔に出さないっと。
そうした努力すら係長にはバレているらしく、くくっと笑いを堪える始末。私はむっとして、笑わないでください、と小さくかみついた。

「誰もが最初から完璧じゃないからな。あまり気にするな。で、仕事の話なんだが」

そう言ってぱさり、と薄い資料を滑らせて私に寄越した。

「来月、一時帰国する人物の警護を四係が担当する。そこでお前は四係の人間として奴を護りながら、奴と周囲に居る人間を調査しろ」
「未来企画、手塚慧…、この人と周囲の人物、ですか?」
「そうだ」

資料をめくると、手塚慧と未来企画についての記述が並んでいる。

未来企画は環境問題や教育、福祉問題について訴えるNPO法人を取りまとめている団体で、表向きは東都大学所属の研究会となっている。研究会の代表を務める手塚慧は、東都大で教授に就任している人物だ。

「この未来企画は、NPO法人と省庁との調整役だ。表向きは、な」

言葉尻に不穏さを感じて、結真は眉を顰める。

「奴の周辺の人間が、どうもおかしな動きをしていると報告が入った。だが確証がない。それをお前に調べてほしいんだ」

難しい任務になりそうだと予感して、僅かに不安がよぎった。
そして浮かんだのは、単純な疑問。

「どうして、私なんですか?」

難しい仕事なら、新人である私より適任者がいるはず。それなのに係長は私を名指ししてきた。

「理由は二つ。第一にお前はまだ、面割れしてない。第二に、独特の匂いがしない。
 要するに、公安カラーがついた奴は逆に不向きなんだよ」

田中とかな。

と、最後に付け足した名を聞いて、結真はふふっと笑う。
確かに独特さでは、先輩である田中は群を抜いている。とても優秀だけど。

「その田中がお前のバックアップにつく。ただし、SP業務は『ついで仕事』ではできない。命すら、危ういこともある。
 このヤマ、やれるか?」

いつもの係長なら、やれるか、なんて聞かない。やれ、と命令するだけ。
それなのに意味深な笑みを浮かべて判断を任せるのは、私への期待だと受け取った。

結真は室伏の真似をして、にやりと笑う。

「見えないもの全部、暴いてみせます」


翌日から結真は、公安兼SPとしての生活をスタートさせた。





「おはようございますっ」

結真はいつも通りを心がけて、四係のオフィスに入った。室伏係長から任務を受けて一か月。今日は予定していた手塚が帰国する日だ。

「おはよう、佐藤はいつも早いな」

そう言って柔らかい笑顔を向けてくれるのは石田さん。年長者で落ち着いていて、頼りになる先輩だ。
結真は荷物を置いてすぐに給湯室へ入り、お茶の支度をする。どうぞ、と石田に差し出せば、微笑んで受け取ってくれた。

「ん、ありがとう。佐藤はいつも気が利くな。他の連中も、もう少し佐藤を見習ってほしいよ」
「そんな事ないです。私が一番下なので、こうした事は当たり前ですから」
「昨日だって遅くまで任務についていたのに…、あまり無理するなよ」

結真は先輩の気遣いを嬉しく思い、自然と微笑みを浮かべる。それを硝子越しに見つけた井上が、後から来た笹本に何かを言われたらしく、二人揃って賑やかに登場した。

「そんなことないですって!」
「ないない、絶対ないから」
「そんなの分からないじゃないですかぁ」
「お前さぁ、こういう見極めができないからいつもフラれんだろ」
「ずっと彼氏がいない笹本さんに言われたくないですっ」
「んだとっ?!」
「おはようございます、井上さん、笹本さん。何の話で盛り上がってるんですか?」
「おはよ、結真。聞いてよ、実は井上が…」
「ああーっ、なに余計なこと喋ってるんですかっ!」

朝の賑やかな一幕は、しかしすぐに終わってしまう。

「おはよう」

尾形が挨拶をしながら入ってくる。皆その姿を認めた途端、社会人らしく空気を変え、おはようございます、と挨拶を返した。

結真はこの空気感が好きだった。
室伏よりも若い尾形だが、その存在感だけで場が引き締まる。そして尾形を慕い、信頼する石田、笹本、山本、井上らの存在も、結真にとってはとても心強かった。

公安所属の結真を、尾形を始めとする皆が、最初からすんなりと快く受け入れてくれた。冷たい扱いになるだろうと覚悟していただけに、それは些か拍子抜けするほどだった。

尾形から直接指導を受けていた結真は、ある日、その疑問を尾形に訊ねた。すると尾形は、じっと結真を見た後、視線を逸らして口を開いた。

「お前の覚悟を知っていたからな」
「覚悟、ですか」
「SPは激務の上に、自らの命も保障されない。それを仕事の為とはいえ、腹を括ってやると言ったお前の覚悟を、皆が気に入った。あいつらは、そういう奴らだ」
「尾形さん…、いえ、係長も、そう思われたんですか?」

結真の問いに尾形は答えず、薄く笑う。

「明日からは、笹本と組んで訓練をしてもらう。射撃の鬼は、容赦ないぞ」
「係長…」
「あいつらは、単にお前を気に入ってるだけじゃない。信頼しているし、仲間として認めている。
 そこまでの信頼を、どうして来たばかりのお前が得られるのか…分かるか?」

結真は分からないと言う様に、軽く首を振った。尾形は結真に微笑む。

「それは、俺がお前を認めたからだ」
「私を、ですか?」
「そうだ。俺はこの仕事に相応しいと思う人間しか受け入れない。上の命令であろうと、命取りになる様な足手まといは必要ないからな」

命取り。
さらりと言われた言葉が、結真の胸に残る。

そう、彼らは命を張っている。
それは例外なく、私もという事だ。

「お前には素質があった。だから使ってみたくなった」
「…それは、光栄です」
「偏屈な俺が認めた人間は少ない。俺が認めたお前だから、彼らもお前を仲間として受け入れているんだ」
「要するに、尾形係長のお墨付きなんですね」
「まぁ、前向きに考えたらな」

警護課屈指のスペシャリストに認められた結真は、綻びそうになる顔を引き締めて、尾形に向かって敬礼をする。

「より一層、ご期待に応えられるよう精進いたしますっ」
「あぁ、期待してるぞ」

そんな事もあった実地訓練期間は、約一カ月。その間、尾形とメンバーは、結真を着実に『使えるSP』へと鍛え上げていった。




「石田、井上、佐藤、必要な装備を素早く行え」

結真は尾形の号令に従って、装備品を身に着ける。
あの日、尾形の言ったあるべきSPの姿から今の自分はまだまだ遠いけれど、心に深く残った言葉を忘れたことは一度もない。


足手まといは、命取り。
そして。
先輩たちと、尾形係長が認めてくれた自分自身を信じて。


「いってきますっ」


見送る笹本さんに背を向けて、彼らと共にオフィスを後にした。




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