- ねぇ… -





ねぇ


今 君は誰を想っているの?




私は


君を 想っているよ…








耳に流れ込んできた歌詞に、私は身体を硬直させた。息が詰まりそうな切なさに、自然と涙が頬を伝う。

「っ…」






ねぇ

今 君は誰を想っているの?



私は

君を 想っているよ…







私が想う、あの人。
でも、あの人の心に…







私は、居ない。






もう、半年も前になるだろうか。
私はその頃、直属の上司である尾形さんに対して、密かな憧れと好意を抱いていた。それはこっそりと想う程度で、自分でも小学生かよと突っ込みたくなるほどの純粋なものだった。

だから、かもしれない。
任務中の車の中で見つけた尾形さんの隣で、美しく微笑む女性を視界に捉えてしまい、数分の間、頭が真っ白になっていた。
それからなんとか、その日組んでいた井上さんのフォローを受けて任務はこなしたものの、正直どうやって家に帰ったのかすら覚えてない始末で。


部屋にぺたりと座り込み、胸にキリキリとした痛みを自覚して…漸く事態を飲み込んだ。



尾形さんには、恋人がいるんだ…。



…だよね、当然だよね。
だってあんなに格好良くて、優しくて、大人で、素敵な人だもん…。
恋人くらい、いて当然だよね…。


自分を慰めるように思考を切り替えようとするけれど。


普段あまり見せないような甘い顔を、あの彼女には向けていて。
当然だと分かっていても、自分には向けられない事実が悲しくて。

溜息とともに、ぽつり、と涙が一つ、流れ落ちた。




それからもう、半年だ。
半年経ったのに、未だ尾形さんをひっそりと想い続け、あの事実に胸を痛めている。
半年も、というべきなのか。まだ半年、というべきなのか。
半年という時間の流れは、学生時代なら結構な昔のように感じるが、仕事を始めてからはそんなに昔だとは思えない。

そんな感覚になりませんか、と飲み会の席で先輩方に訊ねたら。

「え?もう?佐藤さんまだ25だよね?笹本さんが言うなら分からないでもないけど、早くない?」

目を丸くして言う山本さんの手を、笹本さんは無言で引っ張り、鉄板へ押し付けようとしている。
ちなみに今日の飲み会の場所は、焼き肉店だ。

「わぁっ!!なななにするんすかっ!!火傷しますよっ」
「余分な脂肪を落としてやろうかと思って」

苛々した様子を隠そうともせず、山本さんを睨む笹本さん。山本さんはごめんなさいと繰り返して、漸く火あぶりの刑から逃れられた。
そんなやり取りを後目に、井上さんは黙々と食べ続けている。手元の皿が空になったのか、鉄板の上で焼かれている肉へと箸を伸ばしていた。
それを目敏く見つけた笹本さんが、抗議の声をあげる。

「それ、私の肉なんだけど」
「いいじゃないですかぁ、これくらい後輩に譲ってくださいよ」

笹本さんの睨みをスルーして、井上さんはぱくりと肉を口へと運んだ。笹本さんは呆れて、手元のビールを飲み干す。

「ったく、あんたの為に焼いたわけじゃないのに…はい、焼けたよ、結真」
「…えっ」
「あんたさっきから野菜ばっかりじゃない。ちゃんと肉食べなきゃ、身体もたないよ」

ほれほれ、と皿に移される肉に、私は仕方なく箸を伸ばして口に運んだ。
うん、普通に美味しい。

「なんかさ、滅入ってるみたいだけど」

心配そうな笹本さんの声に顔を上げると、ばっちりと目が合う。咀嚼した肉をごくりと飲み込んで、私ですか、と訊ねてみれば、そうよ、と返事が返ってきた。

「係長と喧嘩でもした?」
「はひっ?」

なんですか、それは。
どうしていきなり、係長なんですか。

「あー、それとも、この間の怪我で怒られたとか」
「あの怪我は隠す間もなく見破られましたし、説教はその時に」
「相変わらず敏いな、あの人」
「本当ですね。隠し事がまるで通用しないってどれだけ勘がいいんですか」
「でもそれ、結真限定だもんね」
「…ん?」


私、限定?


目を瞬かせて首を傾げる。
笹本さんは、さっきから何を言っているのだろう。

「結真、そんなに可愛い顔しちゃダメ。食べちゃうよ?」
「食べっ!?」

美しい笑みに顔が赤くなるが、誤魔化されてはいけない。今重要なのは、笹本さんの意味深な微笑でも、『食べちゃうぞ』宣言でもなく。

「尾形さんの目敏さが私限定って、どういうことですか?」

きょとんと訊き返した私に、今度は先輩方が固まる番だった。

「え、佐藤さんと係長は付き合ってるんだよね?」

山本さんが、あまりにもあっさりというものだから、思わずスルリと流してしまうところだった。



え、なに。
付き合ってる…?
私と…係長、が…っ?!




「なに、何ですか、何の冗談ですかっ。
 ないですよ、全然そんな事実、全く持ってないですよっ」
「いや、そんな全力で否定しなくても…」

今まで静かに呑んでいた石田さんが苦笑いしてい会話に加わる。

係長が居たら、傷ついてるよ?
お前に拒絶されたって。

穏やかな笑みを口元に湛えたままそう続けて、石田さんは手元の杯を飲み干した。

「あ、いや。
 係長が嫌いとかじゃなくてですね」
「ほぅ。嫌いじゃないんだ?」

しかし穏やかだと思っていた笑みが、今はなぜか意味深に見えてきて、私は軽く混乱する。

あれ?
おかしいな。
石田さんって、こんな表情する人だったっけ…?

心なしか追い詰められている気分になって、視線を逸らす。

「き、嫌いじゃないです、けど…」
「なら、好き?」
「…は?」
「佐藤は係長を、レンアイの意味で好きなのかって訊いてるんだけど?」

石田さんは笑みを浮かべたまま、少し首を傾けて訊ねる。
訊ね方は実に可愛らしいが、言われた内容は全然可愛くない。

なんてことを言ってるんだこの人はっ!
というか、今のこの状況で、そういうこと訊きますかっ?!

返答に窮している私を、石田さんは尚も楽しそうに眺めて訊ねる。

「佐藤は係長を…特別に想ってる?」

この人完全に、私で遊んでるっ!!

楽しさを滲ませた口調と目元が、何よりの証拠。私はむぅ、と唇を引き結んで恨めしそうに石田さんを睨んだ。
まぁ、私程度の睨みで怯む石田さんではないと解っていたけれど、微塵も気配が変わらないのは、悔しい。

悔しい、ので。

「尾形さんには、綺麗な恋人がちゃんといるみたいですよ」


おそらく私だけが知っているであろう上司のプライベートを、話の種に持ち出した。




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