春風センセーション
本日は用具委員の用事で外出。天気も良いので、しんべヱと喜三太を連れて出たのはいいが…案の定しんべヱが腹を空かせて動けなくなり、途中で近くのお店へエスケープ。
通してもらった席に着くなり、品書きをすごい勢いで見て、爆速で二人前注文したしんべヱ。なんでも食っていいと言ったが、ほんとに遠慮がねえな。
そしてしんべヱの食いっぷりは相変わらずで。まあ…元気になってくれたのは、なによりなんだが。
「まったく…よく食うなお前は…」
「ごちそうさまです食満先輩っ」
「はいはい」
伝票見ると苦笑いしか出てこないよほんと。委員会の為とは言えど連れてきたことを激しく後悔する瞬間。まあ…後輩だし、かわいいのは、かわいいんだが。また伊作のバイト手伝っておこぼれ貰うとするか。
随分高上がりになったお勘定を済ませ店を出ようと戸を開けた、そのときだった。
「きゃっ!」
「っと…!」
勢い良く誰かと激突した。人影が斜めにぐらっと崩れ、咄嗟に腕を伸ばして間一髪で支えた。良かった、転ばせずに済んだ。声から察するに、若い女の子かな。
「…っ、ご、ごめんなさい!大丈夫ですか!?」
ばっと勢い良く顔を上げた、女の子。顔を真っ赤にして、恥ずかしそうな、相手の俺を心配しているような、そんな表情。
大きな瞳に見つめられ、まるで金縛りに遭ったかと錯覚するくらい身動きが取れなくなり、呼吸すら忘れそうになった。たった一瞬で、なにもかもを忘れる衝撃を受ける。
身動き出来ないでいる俺を心配したのか奥から女将さんみたいな人が出てきて我に返った。
「まったく、いつもそそっかしいんだから。…すみません、大変ご迷惑をお掛けしました。お怪我はありませんか?」
「あ、いえ、俺はなんともないので。お気になさらず」
反射で受け答えしたが、それどころじゃない。なんなんだこの動悸は。しずまれ俺の心臓。これは違う。いきなりぶつかられて驚いただけであって、絶対違う。絶対そんなんじゃない。
「よし、ふたりとも行くぞ。じゃ、今度こそ失礼しま…」
「あ、あのっ」
いたたまれなくて立ち去ろうとしたら、彼女に呼び止められる。その声に、意識する前に足の動きが止まった。振り返ると先程と同様に、大きな目で見られていたたまれなくなる。…………なんかあるなら早く済ませてくれ。でないと、今度こそ心臓が口から飛び出そうだ。
「あの、本当に、ありがとうございました。…行ってらっしゃい」
ぺこっと頭を下げて、次の瞬間には眩し過ぎる笑顔。…これが、とどめの一撃となった。
認めるしかない。完全に一目惚れ。全身を雷で撃たれたような感覚だ、という意味がわかった。はっきり言って一目惚れなんて有り得ないと、自分には絶対無縁だと思っていた。しかし実際こうして体験してしまったのだから、どうしようもない。言い逃れもなにもできない。
あれ以来、彼女のことが頭から離れない。名前も、年齢も、どこに住んでいるのかも、なにも知らないのに。どんなに時間が経っても、あの笑顔が脳裏に焼き付いて忘れられない。
……もう一度、彼女に逢いたい。
はじめての感情に戸惑いつつも、その願望は捨てられなくて。どうにか外出の口実を作って、職場と思われるお店の近くまで来てしまった。けど来ただけで、あと一歩のところで足踏み。中へ入っていく勇気が出ない。軽々しく、この間は大丈夫でしたかと声を掛けて迷惑が掛からないか、もし向こうが忘れていたら…寧ろ不審者扱いされたら……そもそも今日彼女は、いるのか………
「あの、すみません」
「はい……あっ」
声を掛けられて振り返ると、まさに逢いたかった姿が、そこにあった。彼女だ、と理解した瞬間。どくん、と心臓が跳ね、一気に体温が上がった。
「やっぱり!このあいだのお客さまですね!人違いじゃなくて良かったー」
逢えたことは勿論だが、彼女が俺を憶えていてくれたことが嬉しい。確かにぶつかったことは衝撃的だったが、あの短時間のやり取りで、まさかここまで憶えていてくれるだなんて。そして「こんにちは!」の挨拶と一緒に浮かぶ、あの日見た眩しい笑顔。
「先日は助けてくださってありがとうございました」
「いえ。怪我がなくて良かったです」
「本当にお陰様で。今日は、おひとりですか」
「はい。近くで用事があって…そちらは?」
「わたしは買い出しの帰りです。…あ、ご用事、でしたよね?お時間取らせてしまってすみません。どうしてもお礼が言いたくて」
「大丈夫ですよ。わざわざご丁寧にどうも」
「こちらこそ。…では、そろそろ戻ります。またお時間があったら、是非いらしてくださいね。お待ちしてます」
あのときと同じように、ぺこりと軽く頭を下げて帰っていった。今度は、さすがに転ばなかったな。一先ず安心。
にしても…またいらしてください、お待ちしてます…か。向こうからしたら社交辞令なんだろうけど、本当に行こうかな。
………なんて思っていたのに現実は残酷にも暫く暇を与えてくれなかった。口実作りに必死になった罰だというのか。あんまりだろ。
そして更に日が経ったある日の午後、ようやく本当に、外出する用事ができた。これで心置きなくあの場所に向かうことができると浮き足立ったのも束の間、その用事もなかなか終わらなく、全てを済ませられたのは夕方になってからだった。
久しぶりに彼女が勤めている店の前に来てみたが、明かりが消えている。…今日は少し早い店終いらしい。これはなんの因果応報だというのか。それとも本格的に不運が伝染してきたか。いやでも、まだ近くにいたり……しないか。それに随分間が空いてしまったし、今度こそ俺のこと忘れているかもしれない。
「そんな都合良い訳……あ」
前言撤回。なんと運がいいんだ。少し先に、見覚えのある後ろ姿を発見。思いきって声を掛けようと、足を踏み出した瞬間。ふいに彼女がこちらへ振り返った。そして目が合ったと思ったら、こちらへ小走りで来て、俺の前で足を止めた。しかもにこにこしてる。……まじか。これは…まだ俺のことを憶えてくれているらしい。それだけのことで、こんなに顔が緩みそうになるなんて。
「こんにちは。ご無沙汰してます」
「お、お疲れ様です。今からお帰りですか」
「はい。仕事終わりましたので」
「そうなんですね。…ちなみにどちら方面へ?」
「えと、西です」
「あ、実は、俺もそっちなんです。……あの、良かったら…暗くなりますでしょうし。途中まで、送りましょうか」
「いいんですか?遠回りかもしれませんよ」
「全然。構いません」
「…じゃあ、是非」
よっしゃあああ!と、すぐ近くで「よろしくお願いします」と頭を下げる彼女を見ながら心の中で盛大にガッツポーズ。人生で使う運の半分使い切ったといっても過言ではない豪運。逢えただけじゃなく、一緒にいられる時間が増えるだなんて。
そんなこんなで、内心めちゃめちゃ浮かれ気分で、合法的に彼女の隣に並んで歩き出した。彼女は普段は慌てんぼでそそっかしいようだが、歩くペースは随分ゆったり。歩幅も小さいんだろうな。……というか、ちっさ。
冷静に並んで話していると、まあ目線が合わない。…いや、いいんだけど。あまり目が合うと心臓もたないから全然構わないけど。そして隣に並んでわかったことは、彼女はとにかく背が小さい。よくよく見ると俺と頭ひとつ以上違う。でもこの背丈の小ささがまた可愛さの要因のひとつであることは間違いない。…まあ、仮に背が高かったとしても、可愛いことに変わりはないだろうけど。
「……ということがあったんですよ」
「へえ、大変でしたね」
「でもそれだけじゃ終わらなくて……あっ、ごめんなさい。わたしの話ばかり…」
「いえいえ。そのまま聞かせてください」
「…ありがとうございます」
彼女が話上手なお陰だろう、道中の会話は他愛のない話だけど途切れなくて楽しい。彼女も少しでも同じように思ってくれたら嬉しいが。
…だけど、彼女は知らない。俺が忍術学校の生徒であることを。それを隠して接している限り、彼女とのあいだの壁は、いつまでもなくならない。……果たして、それでいいのか。あんなに逢いたいと思っていた彼女と、そんな状況で。仕方ないの一言で片付けて、諦めていいのだろうか。
「あの、」
「はい」
「ちょっとだけ、俺が話しても、いいですか」
「はいはい。どうぞどうぞ」
自分の正体を一般のひとに晒すのは御法度だと、わかっている。だけど、それでも。少しだけ、あと、ほんの少しだけでいいから。この子に…近づきたい。
「実は…、俺は普段、ある学園に下宿しています」
「学園?」
「…忍術学園、というところです」
「忍術、学園……」
「ええ。…忍者になる為の、学校です」
隠すべきことだと重々わかっている。わかっているつもりだった。だけど、出来なかった。まだ親しくもない相手にバラすのは、相当リスクもある。それでも…俺を知ってほしいと、思った。
「すみません、いきなりこんなこと。何故だか、貴女には隠していたくなかったんです。……でも驚かれたでしょう。…怖い、ですよね」
「…ごめんなさい」
「…ですよね」
「実は、知ってます」
「だから…………へっ?」
開いた口が塞がらないとは、こういうことだろうか。予想の斜め上を行くまさかの回答に、俺が逆に驚かされる。…え、まって、空耳?
「あなたのことは、前から存じ上げてました。……食満留三郎さん」
「…!!」
なんで俺の名前を…と言いたかったが、なにも言葉を発することができなかった。驚きのあまり声が出なかったのだろう。
「あ、ごめんなさい。わたしだけお名前知ってるのは、さすがに不公平ですよね。わたし、小松田朔名と申します」
彼女の名前が聞けたのは良いのだが、なぜこのタイミングなの。いやありがとうございますだけど。しかし、小松田か………どこかで聞き覚えのあるような。まだ整理のつかない頭で思考を巡らせると、漸くぼんやり、ひとりの顔と名前が浮かんできた。
「……え、まさか…」
「はい。小松田秀作の妹です」
「………ええええっ!!!?」
嘘だろおい。なんてこった。あの迷惑でお人好し、朗らかな小松田さんの妹さんだなんて。
あの人に兄がいることは知っていたが、まさか妹までいらっしゃるなんて。しかもなんだこれ、遺伝子どうなってるんだ。
「わたしこそ、今まで黙っててごめんなさい。あなたのことを知っていながら、ろくに名乗りもせず…」
「あ、いや、とんでもない。むしろ当たり前の対応だと思います。……にしても、あまり似てませんね」
「よく言われます」
本当によく言われるのか、えへへ〜と苦笑いを浮かべてる。…だろうな。見れば見るほど似てない。それにそそっかしいと言えど恐らく彼女のが中身も兄貴の百倍しっかりしてる。そりゃ気付けないわけだ。
「兄から、たびたび学園の方々の話はよく聞いてます。あと実は、何度か学園にお邪魔したこともあって。このあいだも伺ったのですが、そのときに偶然お見掛けして。そこで、兄から、貴方の名前を伺いました」
しかも何度か来てたのか…全然気が付かなかった。くそ、惜しいことしたな。というか話し掛けてくれて良かったのに。
「兄の話でも、よくお名前が挙がります。食満留三郎さん。用具委員会の委員長さんで、武闘派で勝負好きで、でも後輩の面倒見が凄く良い方だと伺ってます。でも…」
「……でも?」
「…今日、実際にお話してみて…とても楽しかったです。……なので、また、ゆっくりお話したいなあ、って……よかったら、おともだちに、なりたいです」
だめですかと遠慮がちに聞かれる。身長差のせいか、自然な上目遣いが可愛すぎる。…のは今は置いといて。
なんとなく自分の都合のいいように解釈すると、小松田さんから聞く俺の話より、直接こうして話をしたほうが楽しい、と…思ってくれたのだろうか。そんな嬉しいこと、あるだろうか。………彼女がここまで伝えてくれるなら。…俺も、もう一歩、踏み出してみようか。烏滸がましくも、もう少しだけ、近づいていいだろうか。
「…俺も、あなたの……いえ、朔名さんのお話を、たくさん、伺いたいです」
もっと話がしたい。少しずつでいいから仲良くなっていきたい。そしていつか、誰よりもあなたの近くにいられるようになれたら。それは、どんなに幸せなことだろうか。
「…では…朔名って、遠慮なく呼んでください」
目を細めて笑う彼女の頬がほんのり赤いのは、夕陽のせいだろうか。…いや、心なしか嬉しそうにも見える。俺は同級生や某後輩ほど自惚れてはいないと思っていたが、どうやらそうでもなかったらしい。
今はまだたった一歩進んだだけ。でも、これからもっともっと、彼女…いや、朔名のことを好きになっていく。そう確信した。
数日後。
食「ん?なんだお前ら、廊下で集まったりして」
立「お、噂の男のお出ましだな」
食「なんだよ噂って」
潮「留三郎おおお!!!貴様いつの間にどこぞの女子と仲良くなりやがって!!」
食「……は!?」
潮「全く以て弛んどる!!!勝負馬鹿で脳筋馬鹿なのがお前の取り柄だろう!!!認めん!!俺は断じて認めんんんんん!!!」
立「案ずるな。脳筋馬鹿はお前も同じだ文次郎。というか悔しいなら悔しいと素直に言え」
食「ちょっと待て!"も"ってなんだよ少なくとも俺は脳筋馬鹿じゃねえぞ!!そして文次郎お前は壁に頭をぶつけるな!!誰が修補する羽目になると思っていやがる!!」
善「水くさいなあ留三郎。同室の僕にすら言ってくれないなんて。今度紹介してよ」
食「誰が言うか!ていうかお前らなんで…!?」
七「今朝お前宛に手紙が届いていてな。面白そうだから皆と見たのだ。ついでに読んだぞ」
食「お前の馬鹿でかい声で読んだら学園中に聞こえるだろ馬鹿小平太!!!つーか人様の手紙取り返して読むな!!手紙じゃなくて空気を読め!!!」
七「取り返すもなにも私らの部屋に届いていたぞ。な、長次」
中「……(頷)」
七「ちなみに読んだのは嘘だ。お前の反応が見たかっただけだ」
食「んだよ、趣味悪い嘘つくなって。つーか、中身見てないなら、なんで女の子ってわかったんだよ」
善「いや、さすがに字でわかるよ、これは」
立「そういうことだ。観念して詳しく聞かせろ」
食「あ…っんのへっぽこ事務員!!妹の手紙間違えるってどーいうことだよ馬鹿なのかな知ってたけど!!」
善「へえ、小松田さんの妹さん?」
食「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!!」
結論:自爆
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