すでに運命のはじまり






わたしが普段なにもないところで転んだり、躓いたり、壁や柱にぶつかったり。そんなのは日常茶飯事の光景で、転んだあとは常連さんたちがよく手を貸してくれた。朔名が転ぶのは愛嬌って言われる。きっと、周りにとってもそれが日常茶飯事。そんなことが当たり前になっていた毎日で、あのひとは突如現れた。

いつものように、なんにもない店内で躓き転びそうになったところを、間一髪で助けてくれた。躓いたのに転ばずに済んだのは、あれがはじめてだった。不慮の事故だったとは言え、咄嗟にあんなスマートに受け止めてしまわれたことは、今でも全部憶えてる。更に言うと、あのあとは動転しすぎていつも以上にすっ転んだことも憶えてる。


その数日後にまた店の前で姿を見かけて、思い切って声を掛けてみた。挨拶と、怪我せずに済んだことを感謝していると改めて言えた。いたわりの言葉を添えて、普通に会話してくれた。

それにしてもあの人、なんだか前に他の場所で見たことがあるような気がしたんだけど……気のせいかな。他人の空似かな。




あれからは特別変わったことは無く、いつもの日常に戻った。すっ転んで、周りのひとたちに助けてもらっての繰り返し。そんな忙しい毎日を送っていると、気が付いたらかなりの日数が経過していたというのはザラだったりする。

そして今日は定休日ということで、無難に休みがもらえた。いや忙しいのはいいことなんだけど。お給料いっぱい貰えるし。休日は身体を休められる数少ない貴重な日のはずなんだけど…いつも動いているからか、逆になんにもしないでいると違和感がすごい。そわそわしてしまう。………少し、お散歩しようかな。気が向くままに、暗くならないうちに。遠くへ行きすぎないように。ほどほどに出かけようと、身支度を整えて家を出た。










「……あれ?」


適当に歩いてて気が付いた。こっちは忍術学園方面だ。…わたし、自然と秀作お兄ちゃんに逢いに向かってるのかな。自分の無意識さに思わず苦笑い。ブラコンかよ。知ってるけど。

お兄ちゃん…いるかな?ここまで来たついでだ、ちょっと覗いていこう。


「えっと…ここを細い道を、右…っと」


もう歩き慣れた道のりだ。最初は優作兄さんにくっついてきたのが始まり。ひとりで来られるようになって、実家からの荷物運びの担当になって二年くらいかな。

お兄ちゃんは……あ、いた。よくわからない歌を口ずさみながら門の前をせっせと掃き掃除してた。随分ご機嫌だ。


「お兄ちゃん」

「ん?……あれ、朔名?どしたの?」

「あのね、散歩してたら無意識に近くまで来てたの。それで、ここまで来たことだし、お兄ちゃんの顔見に来た」

「あらあら。でも周りには充分気を付けるんだよ。この辺は竹やぶとか林多いから、死角も多いし、こういう場所だしね。変な輩が潜んでるかもしれないからね」


お兄ちゃんは心配性だなあ。優作兄さんほどじゃないけど。ちなみに優作兄さんのそれは、最早心配性とは呼べない。病的な過保護。


「そういえば今日はお仕事ないの?」

「んだ。定休日」

「そっか。よかったね。…じゃあ、このあと暇?」

「うん、なんもないよ」

「良かった。最近、この近くに新しくお茶屋ができたらしいんだよね。一緒に行かない?」

「ほんと?行く!絶対行く!」


やった!お兄ちゃんとお茶屋!当たり前のようにご馳走してくれるのも嬉しいけど、お兄ちゃんとお出掛けできることがなにより嬉しい。


「じゃあ着替えて、事務のおばちゃんに外出するって声掛けてくる。危ないから中で待ってなね」

「はーい」


門をくぐるだけで入門票にサインさせられる。真面目か。まあ仕方ない。ここの決まりなら従うし、これがお兄ちゃんの仕事だし。

お兄ちゃんが席を外すと、途端に静かになった。…暇だなあ。待ってる時間って長く感じるのは何故なんだろう。ぼーっとしていると、遠くから微かに人の声が聞こえる。視線を向けると屋根の上を華麗に跳ぶ人たちが。深緑色…あの装束は確か、六年生だ。ここで学び始めて六年目の方々か…凄いなあ。




「………ん?」


あれ、あのひと…どこかで見たことある。気がする。わたし筋金入りの馬鹿だけど、視力にはそれなりの自信がある。こんな遠目から見てそう思うんだから…割と最近、逢ってるに違いない。



「………」



少しだけなら、いいよね。興味に負けて、もう少し近くで見てみることにした。


「うわあ…っ」


近くで見て、最早人間の動きじゃないと一層思った。忍者って凄いな。お兄ちゃんも、順調に行けばこうなっていたのかな、なんて。それよりさっきのひとは、どこに行っちゃったのかな………あ、あのひとかな。

黒髪の吊り目さん…うん、間違いないな。目を凝らしてよーく観察開始。


「…あっ」


あの吊り目さん、この間わたしのこと助けてくれた人だ!道理で絶対逢ったことあると思ったわけだ。それに正面衝突というなんとも衝撃的な初対面を繰り広げてしまっていては、そうそう忘れない訳だ。……ほお〜、ここの生徒さんだったんだ。世間は狭いなあ。向こうもまさかわたしがここの職員の血縁だとは微塵も思っていないだろうね。ていうか、まだ憶えててくれてるかどうかすら怪しい。たまたま激突して助けてくれて、ほんの数回話しただけだし。…激突のインパクトで覚えられてる可能性は、あるか。

にしても…忍者、格好いいな。暫く見とれているといきなり手首を掴まれた。やばい、邪魔しちゃったかな。慌てて振り返ると、そこに居たのは着替えを済ませたお兄ちゃんだった。


「こら。このあたりは演習場近いし、危ないよ」

「あ、お兄ちゃん…」

「勝手に歩き回ったらだめだよ。朔名は僕より迷子になりやすいんだから」

「えへへ。ごめんなさい」

「まったく。僕だって学園内じゃないと見つけてあげられないからね。…で、なに見て……あ、六年生か」

「このあいだのお客様に似ているひとがいたから、つい」

「そうなんだ。よく憶えてるね」

「うん、あの人。黒髪で、吊り目で、ヌンチャク持ってる…」

「吊り目でヌンチャク……、ああ。食満くんかな」

「食満さん…?」

「そう。食満留三郎くん。用具委員会の委員長さんで、学園きっての勝負好きな武闘派」

「あ、そ、そう……」


なんかめっちゃやばそう。わたし、そんな危なっかしいひとに激突しちゃったんだ。よく無事だったものだ。機嫌良かったのかな。いやぶつかられた時点で機嫌悪くなるだろ。ほんと、わたしはつくづく運が良かったに違いない。

でも転びそうだったわたしを受け止めてくれたし、二回目に挨拶したときも普通だったし、そんな危ない人には見えなかったけどなあ…人は見掛けによらないのかな…やだ、なんか急に不安になってきた。


「…どしたの?そんな青ざめて」

「いや、あの……実は、そのひとに、このあいだ激突しちゃって…一応事故みたいなものだし、すぐ謝ったけど……もし、そのひとで合ってたら、内心めちゃくちゃ不機嫌になってないかな、って……」

「そうだったんだ。確かに短気で血の気多くて喧嘩っ早いけど、根っこはさっぱりしてるから引き摺らないと思うよ。後輩の面倒見もいいし、そこまで怖くもない」

「…そっかあ」


そう言われれば確かあのとき、一緒に小さい子がふたりいたような。あの子たちは委員会の後輩だったのかな。


「でもやっぱり大部分は好戦的で熱血な勝負馬鹿なんだけどね」

「酷い言われようだ」

「残念ながら事実なんだよ。……一言、挨拶してく?」

「ううん。今忙しそうだし、迷惑になっちゃうから。…人違いの可能性も、あるし」

「そっか。じゃあ、行こうか」

「はーい」


立ち去る寸前に、食満さんをちらっと横目で見た。相変わらず激しい実技の授業をこなされているようだった。短気で好戦的で血の気多い…お兄ちゃんはあんなふうに言ってたけど、わたしはそう思わなかった。だってあのとき、全然怖くなんてなかった。

食満さん。食満留三郎さん。どんな人なのかな。なんか、凄く気になる。……もう一度、話してみたいな。

なんて、まだ全然親しくないのに贅沢なことを思う。でも大丈夫。きっと、また逢える。また街でばったり逢えて、ゆっくりお話できる。信憑性なんてない漠然とした確信だけど、何故かそう思った。




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