血は争えない




今日は午後から珍しく非番。正直、やらなきゃいけない急ぎの仕事は幸いなことに今はない。たまにはこんなのもいいかなと、散歩がてら外出することにした。

しかし別に何処かで用事があるわけでもない。目的を持たずになにをしようかとふらふら歩いていたら、朔名が働いている定食屋さんの近くまで来ていることに気付いた。そうだ、せっかくだし寄っていこう。お昼食べ損ねちゃってたし、これもなにかの縁だろう。

少し歩いて、お店に到着。…暖簾は出ているから開いてるようだ。朔名、居るかな。出ていないといいな。期待を込めて戸を開けた。


「いらっしゃー…あ、お兄ちゃん!」


暖簾をくぐると、よく知る眩しい笑顔があった。良かった、逢えた。


「朔名。今日もがんばってるね」

「うん!今日はまだ二回しか転んでない」

「どや顔して言うことなの?…ま、怪我ないならいいけど」


目線より下にある、小さい頭を撫でる。朔名は昔からこれが好きらしく、撫でられると凄く嬉しそうに笑う。自分の妹だけど、この可愛らしさは正直ずるい。これはついつい甘やかしたくもなる。


「それで、お兄ちゃん。どうしたの?」

「近くまで来たから、どうせなら此処でお昼にしようかなって。このあいだの朔名と一緒だね」

「ほんとだね。…で、なににする?」

「いつもの」

「はーい。唐揚げ定食に冷奴、薬味多めね」

「大正解」


さすが家族、僕の好みを完璧に憶えてくれている。しかし、この子は家族に限らず、ちょっと凄い特技を持っている。


「朔名ちゃん、こっちにも唐揚げ定食ひとつ寄越して」

「あれ、珍しい!今日は魚じゃないんですか」

「たまには気分を変えてみるよ」

「そっか。ま、うちはなんでも美味しいから。いろいろ試してください」

「俺らはいつものでいいよー」

「承知しました。…女将さん、唐揚げふたつと、とんかつ、鯖の味噌煮とご飯大盛り。あ、あと薬味たっぷり冷奴ー」

「はいよー」


同じお店に何回か通えば、店員さんにも"いつもの"で通じるだろう。でもこの子はそれが一発で出来てしまう。一度来たお客さんの顔を忘れないし、注文は勿論、それぞれの細かい嗜好まで憶えている。僕に似て勉強とかは全然なのに。なんとも不思議な特殊能力。


「なあお兄ちゃん、随分あの子と親しそうだけど、なに?これ?」


隣に座っていた強面のおじさんが、顔に似合わず陽気に話しかけてきた。小指を立てながらしきりに「これ?」と聞いてくる。…そう見えるのかな。確かに僕らは顔は似ていないから仕方ないのかもしれないが。でも、なんとなく留三郎くんに申し訳ない。


「いえ。妹です」

「ええ!?嘘だろ!?」

「だって全然似てないよ?」

「はい。よく言われますが、残念ながら本当に兄妹なんです」

「ちょっとお兄ちゃん、残念ながらってなに!わたしと兄妹、嫌なの?」

「ごめん朔名!嫌なわけじゃなうわああああっ!!」


弁解しようと勢い良く立ち上がった瞬間。バランスを崩して椅子ごと派手にひっくり返った。後頭部と尻が痛い。


「い、ってて…」

「ちょっと、お兄ちゃん大丈夫!?」

「うん、なんとかね……おー痛い…」

「もー…本当、せっかちなんだから」

「……ごめんよ兄ちゃん。その転びっぷり、きみは紛れもなく朔名ちゃんの兄貴だ…」

「ああ。間違いなく同じ遺伝子だ。疑って悪かったね兄ちゃん…」

「あ、いえ…お気になさらず…」


周りのお客さんがみんな詫びながら手を貸してくれる。大丈夫か、怪我ないかとも聞いてくれた。強面な見た目に反して優しい人たちばかりだ。


「いやしかし顔は似てないねー。中身は瓜二つだったけど」

「うんうん。転び方の有り得なさといい派手さといい、全く同じだ」

「そんなことないですー。わたしのがもう少し大人しいですって!」

「でも仲良いんだな」

「でしょ!そこは自信持って言えるよ」


料理が出来るまでお客さんと談笑することも仕事のうちらしい。朔名はどんな見た目の人相手にも、全く怖じ気付かない。危機感がないのか、先入観をもたないのか…いや、仕事がうまくいってるのは兄として嬉しい限りだけどね。

そして人徳なのか、すぐに誰からも好かれる。どんな悪党面の人も、朔名を相手にするとたちまち表情が緩まる。向こうからすれば娘や孫感覚なのだろう。

こうして見ていると、朔名にとって接客業は天職なんだろうなって思う。留三郎くんとも此処で出逢ったみたいだし。…月並みな表現だけど…運命、なのかなあ。

それにしても…まさか転び方で兄妹認定されるなんて。いつもこんな派手に転んでるの?こりゃ優作兄ちゃんが心配で手放せないと発狂寸前になるのも無理ないか。


暫くして注文したものを朔名が持ってきてくれた。朔名って、不思議となにか、物を持ってるときって転ばないんだよなあ…これも特殊能力のひとつかな。で、ここのご飯はいつも美味しい。…食堂のおばちゃんの味付けの方が好みだけど。でもそれは比較対象が悪い。ここは、近所のお店の中では群を抜いていると思う。

ご飯を完食したころ、残っていた強面なお客さんも笑顔で満足そうに帰っていった。…漸く僕も朔名とゆっくり話せる。


「ね、朔名。今日はまだお仕事?」

「うん」

「そっかー…」


一緒に帰れたら良かったんだけどな。いろいろ話したいことがあったけど、お仕事なら仕方ない。…いや待てよ。僕はこの後も時間あるじゃないか。待ってていいかなと提案しようとした、そのとき。台所から女将さんが上機嫌そうに顔を出した。


「朔名ー。お兄さん来てくれたんだから、たまにはなかよく帰ったら?」

「え、そんな、大丈夫です!」

「すみません!僕も変なこと聞いたりして。時間までみっちり働かせてやってください」

「いいのいいの。暫く暇な時間帯だし、朔名はいつもがんばってるから。それ片付け終わったら、今日は帰っていいよ。その代わり、また明日から倍がんばってもらうからね」

「……はい!明日から三倍がんばります」

「素直でよろしい。…あ、皿割るんじゃないよ」

「気を付けます。…お兄ちゃん!そーいうことだから、すぐ終わらせるから待ってて…ぎゃっ!!」

「……えええっ!!?」


皿こそ持っていなかったものの、振り返った瞬間、なにもないとこでいきなり顔面からすっ転んだ。なにこれ曲芸?


「ちょっと、大丈夫!?」

「うう…、平気。なんとかおでこからいけたから……」

「そういう問題じゃないよ。…まったく…石頭だからって頭からいかないの」

「朔名も、お兄さんのこと言えないね」

「まったくもって…」


毎日こうなのか。さっきの僕と同じ…いや寧ろ僕より派手な気もするけど。僕たち、今までよくやって来られたよ、ほんと。

その後はなんとか転ばず、無事にお皿も割らず。きちんと後片付けを終わらせて。すぐ着替えてくるから!と裏手へ駆け込んでいった。女将さんに挨拶してから僕も裏へ行ったのだが…なんか、どたどたと凄い物音がする。どんな勢いで着替えてんのよ朔名ちゃん…


「ごめんお兄ちゃんお待たせ!」


息が切れてる。随分と慌てた様子で出てきた。急かしてなんかないのだから、ゆっくり来ればいいのに。きっと僕に気を遣ってくれたのだろう。


「こらこら慌てない。時間ない訳じゃないから」

「待ってる時間って、やたら長く感じるから…出来る限り待たせたくなくて」

「ゆっくりでいいよ。またさっきみたいに転ぶでしょ」

「失敬な。まるで朔名がいつも転んでるみたいに!」

「いやでも事実だからなあ…」


自分のことを名前で呼ぶ…朔名の小さい頃からの癖。ある程度大きくなってからは、人前では一人称はわたしになったけど、僕ら家族には未だに名前呼びが抜けないらしい。相変わらず甘えん坊。本人に言うと怒るから言わないけど。


「優作兄ちゃん程じゃないけど、僕も心配なんだよ。そそっかしいとこは似ちゃったから」

「うー…確かに、それはそうだね…」

「わかったなら宜しい。じゃ、帰ろっか」

「うん!」


大きく頷いて僕の隣に来た。朔名は先程の忠告を律儀に聞いて、いつもより歩く速さを少し遅くしているようだ。


「お兄ちゃんは、最近どうなの?」

「僕?僕はあんまり変わらないよ」

「そっか。あまり先生や生徒さんの迷惑になっちゃだめだよ」

「朔名もね」

「朔名は…もうね、手遅れかもしれない」

「自分で言う?」


…さて。世間話はこのくらいにしておいて。そろそろ…一番、聞いておきたいことを聞こう。


「…ね、朔名」

「ん?」

「留三郎くんとは、どうなの〜?」


留三郎くんの名前を出した途端、肩がぴくっと跳ねて、顔がみるみる赤くなった。…あらまあ、これはなかなかに意識してるな。こんなに可愛い我が妹だけど、今まで同年代の異性とはあまり関わり合いはなかったし、耐性がないだけと言われればそうなんだけど…なんか、違う気がするんだよな。これは、兄の勘。


「え、あの、どうっていうのは…?」

「んー、普通に話せてるかなって、なんとなく気になってさ。ま、手紙続いてるところを見ると、仲良くしてるのかなって思ってるけど」

「仲良く、なのかな…」


うーん…と返事を渋る朔名。もしかして…仲良くやれてないのかな。相手が相手なだけに、ちょっと心配だ。


「大丈夫?留三郎くん、怖くない?酷いこと言ったりしない?」

「全然!怖くないよ。逆に優し過ぎて拍子抜けしてるくらい」

「本当?無理してない?」

「うん。留三郎さんが、どう思っていらっしゃるかはわからないけど…でも、少なくとも朔名は、お話しててすっごく楽しい!」


朔名は顔を赤らめながら、でもはっきりと、笑ってそう言い切った。

僕も朔名の兄だ、優作兄ちゃんの気持ちがわからないわけではない。僕にとっても朔名は大切な可愛い妹だ。出来ることなら手元に置いておきたい。でも、大切な朔名がこうして笑っていられるなら。幸せだと、満面の笑顔で言えるのなら。僕はその幸せを見守ってあげたい。それが僕の役目なんだと思う。


「……そっか。良かったね!」


留三郎くんとの交流が楽しそうでなにより。ま、向こうも僕に堂々と啖呵切ったんだから、これくらいは当然なのかな。


「うん。お兄ちゃんのおかげだね。いつもありがと」

「いいえ。いつだって朔名の味方してあげられるのはお兄ちゃんだけでしょ」

「そうだね。秀作お兄ちゃん、だいすき〜」

「へへ。僕も〜」


いつか、この子の『だいすき』が、他の誰かのものになってしまうのは、覚悟しなければならないのだろう。遅かれ早かれ、そういうときがくるのは、わかっている。その相手が果たして例の彼なのか、はたまた違う誰かなのかは、わからないけど。僕としては、この子がいつも元気で幸せで、笑顔になれる人生を送れるなら、それでいい。僕たち家族の手元から離れていったとしても。この子が笑顔と幸せにあふれるなら、それがいい。

それまでは…ううん、死ぬまで僕はなるべく朔名の考えを理解して甘やかす。いつだって最高の理解者でいてあげようと思う。朔名の為にも、僕の為にも。

その代わり、厳しく躾けたり叱ったり諭すような憎まれ役は今後も兄ちゃんに任せることにする。ごめんね優作兄ちゃん。




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