不意打ちクリティカル





俺は数日前、まるで運命と思える出逢いを果たした。ほんとに一瞬の出来事で。急に目の前に現れた女の子に、目も心も、すべて奪われた。

一緒に帰って、会話を交わして、名前を知って。俺にとって一生忘れない出来事が舞い降りたあの日から、朔名とは文通が続いている。

主な内容は互いのこと、それぞれの家族、その日の出来事など…とにかくごく普通のこと。いわゆる交換日記って、こんな感じなんだと思う。

何回かのやりとりの中で、朔名について幾つかの情報を得た。朔名は小松田さんのふたつ年下、つまり俺のひとつ下。普段は職場の近くでひとり暮らしをしていて、休みには大抵実家に帰って優作さんのお手伝いをしていることを教えてくれた。ついでに優作さんが過保護過ぎることも。まあ…あんだけ可愛けりゃ心配したくもなるのだろうが…その心配の種が俺だよな。

朔名はその日にあったことを、いつも丁寧に手紙に書いてくれる。朔名がどんなものを見て、そのときにどんなことを思ったのか、とにかく事細かに教えてくれる。例えば、店に蝿が飛んでいて、蝿叩きを振りかぶったら天道虫だったとか、バッタが跳んできたかと思って反射的に白刃取りしたら雨蛙だったとか。そして今回は店の前を掃除していたら肩に雀が止まってたそうで。しかもお客さんに指摘されるまで気が付かなかったらしい。まるで小説みたいな話だ。

最近暖かくなってきたからか、生物関係の話題が多いのは置いといて。あの可愛い顔に似合わず随分度胸がある。天道虫は近付いてよく見たら背中に星模様があったとか、雨蛙は意外とぺたぺたしてひんやりしてて可愛かったとか。くのたまたちと違って爬虫類や両生類が怖くないようだ。すげえな。

こうして何度かやり取りを重ねていくうちに、朔名のことを少しずつ知れている気がした。朔名も、俺のことも知ってくれているといいのだが。

そしてなにより、話せば話す程、朔名の飾らない、そのままの性格にどんどん惹かれていった。知り合ってまだそんな時間は経ってないのに。こんなことって、現実に起こり得るんだなあ…と、しみじみ。





「……ふう。こっちは終わった…と。後は…」


今日中にやるべき復習と明日の予習も終わらせ、手紙の返事をゆっくり書く。朔名からの手紙が届いた日は、これが習慣となりつつあった。あとは、朔名のおかげで自分が思っていたより筆まめになれることも知った。

さて、今日はどんなことを取り上げようかな…


「なにしてるの留三郎」

「ぬおあっ!!いいい伊作!まだ起きてたのかよ!!」

「起きてちゃまずい?」

「いいいいや!!べ、別に!!まずいようなことは、なんもないが!!」

「…順調そうだね」

「はっ!!?」

「あれ、留三郎顔真っ赤。どうしたの」


ちくしょう伊作の野郎、わかっててからかってきやがる。いつの間にこんな性悪になりやがった。気持ちを少々落ち着かせる為にも、近くの茶を口にした。


「ね、どんな子なの?朔名ちゃん」

「ぶふうっ!!!」


伊作から発せられた言葉に思わず茶を吹き出した。ちょっと待てなんで知ってる?どこから洩れた?その情報!


「な、なななな…!!?」

「寝言で言ってた」

「…そ、そうか。……誰にも言ってねーだろうな」

「僕は言ってないけど、小松田さん経由で知ってる人は、いるんじゃない?」

「ああ、そう…」


そういやバレた当初は、あいつらともその話題で持ちきりで随分大変な思いをしたっけな。ま、人の噂も七十五日、いや実際はそんな経ってないが。とにかく今はだいぶ落ち着いてきた。そして相変わらず小松田さんは学園ではへっぽこしているが、手紙は嫌な顔ひとつしないで取り次いでくれる。しかも結構応援してくれているらしい。朔名からの手紙にもよく兄妹の昔話が出てくるし、朔名にとって、小松田さんは結構良い兄貴みたいだ。


「じゃ、僕は邪魔しないように寝るよ」

「おう。んで今度から気付いても茶々入れんな」

「はいはい。じゃ、朔名ちゃんに宜しくね」

「っ!!」


最後のは明らかにわざとやりやがった。名前聞くだけで反応するのわかっててやりやがった。やっぱり性悪……っと、伊作に構っている場合ではない。返事、書かなきゃな。只でさえまだ慣れないから時間掛かるってのに、余計なことをしている場合じゃない。

朔名からの手紙の話がいつも面白い分、俺も退屈させないようにと頭をフル稼働させる。俺ばかり楽しませてもらってはいけないと思うし、なにより朔名につまらない男と思われたくない。

さ、今夜もがんばれ俺の右腕&文章力。今夜中に絶対書き終わらせて、早く朔名から次の話を聞きたい。その一心を原動力に、手と頭を働かせる。





「……よし。こんなもんだろ」


書き終えて一息ついた頃。鳥の囀りが耳に届いた。戸を開けると外も明るくなってた。…徹夜かよ。それだけ相当集中してるってことなんだろうが、まさか自分が忍者の修行以外にも努力できることがあるなんて。しかも、こんな自分は存外嫌いじゃない。朔名が教えてくれたことだ。

手紙を書き終えたら、朝のうちに小松田さんに手紙を渡して、出しておいてもらう。これも習慣になってきていた。今日は朝はタイミングが合わなくて放課後になったが。取り敢えず今日中に出せれば問題無い。いつものように門の前で待機している小松田さんのもとへ向かった。


「小松田さん」

「あ、留三郎くん。いつものかな」

「はい。お願いします」

「いつも朔名と仲良くしてくれてありがと。でもごめんね、今日は引き受けてあげられないんだ」

「なにか事情が?」

「事情っていうか…」


意味有りげな表情の小松田さん。ちょっと意味がわからない。そして得意げに見せてくれた入門票には、なんと朔名の名前が載ってある。


「え、ちょ、まじすか…!」

「うん。ちょうど今来てるんだ。留三郎くん捜してるだろうから見付けてやって。入れ違いになってもここで引き留めておくから、少ししたら戻っておいでよ」

「はい!有難う御座います!」


なんて気が利くんだ!有難う小松田さん!暫くへっぽこなんて言わないから!思っても絶対言わないから!

ていうか、朔名に逢える。顔を見られるのは久しぶりな気がしてならない。どうしようすっげえ嬉しい。むちゃくちゃ逢いたい。急いで捜しに行かなければ。










「んー…居ない、か」


ざっと一周してみたが朔名の姿は見当たらない。あの可愛い姿でうろうろしてたらすぐわかるだろうし、それで見付からないということは多分入れ違いになってる。一度小松田さんとこ戻ってみてもいいかもな。

引き返してみようとすると、なんだか近くが騒がしいことに気付いた。声のする方へ歩いていくと、小さいが人だかりが出来ている。低学年の生徒中心に、野次馬が。なにかあったらしい。隅の方に居る平太に声を掛けてみるか。


「平太、なんの騒ぎだ?」

「あ、食満先輩。あの…人が、倒れてて…」

「人?どうした……っ!!!」


その騒動の真ん中に居た人物を見た瞬間、血の気が一瞬で引いた。そこにいるのは、まさに捜していた人物。考えるより、身体が先に動く。無意識に人だかりを押し退けて駆け寄った。


「おい!朔名!朔名っ!!しっかりしろ!」


息こそしているが幾ら呼んでも身体を揺すっても意識が戻ってこない。体調不良か?病気か? なにがあったかと考える間もなく、朔名の足元に見覚えのある骸骨が転がっているのが視界に入った。医務室や部屋で毎日のように見ている、伊作の私物の骨格標本が、ごろんと落ちている。

…朔名のことだ、こいつを踏んでひっくり返ったか、はたまたこれに驚いて気絶したか。状況的に、この二択だと思うが、どちらにしても一大事に変わりはない。この骸骨の持ち主は…恐らく今は部屋で薬草でも煎じてるだろう。しかも今日は確か新野先生居ないとか言ってたし……もう朔名の顔がバレるとか言ってる場合じゃない。万が一手遅れになるくらいなら、茶化されて全然構わない。迷うことなく朔名を抱えた。


「……!?」


軽っ!え、軽っ!!ちょっと待て、どういうことだ!?どうなってんだ?なんつー身体の構造してんだ!?普段なに食ってんだ!?持ち上げる感覚が無さすぎて、危うく力入れすぎて逆に投げ飛ばすとこだった。女の子ってみんなこうなのか!?抱えたことないから知らんけど!一年坊主らと変わらないくらいじゃないか、これ!……って、驚いている場合か。なるべく衝撃を与えないように、でも迅速に。長屋へ向かって走り出した。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



部屋の前に着いて、手で開けようとしたが思い留まった。万が一手が滑って朔名を落としてしまったら洒落にならない。行儀悪いのは重々承知だが仕方ない、朔名を抱え直して足で開けた。


「伊作居るか!」

「うわっ!!…なんだ留三郎か。僕が居るのわかってるだろ、もっと静かに……って、あれ?その子は…」

「悪い、話は後だ!倒れてるところを見つけたんだ。診てくれ、頼む!」

「わかった。留三郎、布団借りるよ」

「おう」


手際よく布団を用意してくれた。そして伊作の手を借りて、極力衝撃を与えないように寝かせる。俺の様子から伊作は状況を悟ったらしく、なにも聞かずに診察してくれる。…俺にも医学の知識があれば良かったのにと心底後悔。今、無力な自分が歯痒い。心配することしか出来ない自分が腹立たしい。今ほど保健委員会に入りたかった日は無いだろう。


「なあ、どうだ…?」

「……んー、倒れたときに出来たと思われる擦り傷が腕に幾つか。でも大きな怪我は無さそうだし、骨も折れてないよ。頭も打ってなさそつ」

「そうか…よかった」

「だね。……で、この子が例の、女の子だね」


例の女の子。その言葉の意味は、みなまで言わなくてもわかる。肯定の意味として、ひとつ頷いた。


「ついでに、もともと病気してないかも診てくれ。俺は一応学園長に報告してくる」

「待った。僕が行く。留三郎はついててあげな。その方が朔名ちゃんも安心するだろうし。目が覚めたときに、いてあげたら?」

「いや、俺には医術のことはわからないから、手遅れにならないようによく診てくれ。…あ、診察のふりしてさわるなよ」

「信用されてるのか怪しまれてるのか…」

「さすがにそこは信用してるから任せる。じゃ、頼んだぞ」


部屋を出て、急いで学園長の庵に行き一連の出来事を報告。部外者なのは重々承知だが、小松田さんの身内でもあるし、事件の原因は学園の備品の可能性もあることを伝える。もしかしたら命にもかかわるかもしれないので、朔名の意識が戻るまで休ませて欲しいと頼むと意外にもあっさり許可が出た。終始にやにやしていたが…学園長にもバレてるのか。噂の力、恐るべし。一応、御自身にも楓さんと如月さんが居るから女の子には寛容なのかな。そうだとしたら今だけは感謝しなきゃな。いつもは迷惑極まりないが。

それにしても……朔名、大丈夫かな。なにもないと良いが。早く診断の結果が知りたくて、再び急ぎ足で部屋に戻った。先程とは違い、戸に静かに手を掛ける。両手が空いているのもそうだが、今はこの向こうで朔名が休んでいる。早く目を覚まして欲しいが、もし異常事態だとしたら休ませてやりたいのも事実。ひっくり返った以上、なにもないということはないだろうし。寝ている朔名の妨げにならないように、出来るだけ静かに最小限の開閉を心掛けた。


「おかえり留三郎」

「おう。学園長先生に事情説明して許可貰ってきた。暫く休ませてやってくれ」

「大丈夫。もう元気いっぱいだよ」

「もう?……朔名!!」


伊作の向こうには、こちらを見ている朔名が居た。ああ良かった、目を覚ましたようだ。気付いた時には駆け寄っていて、朔名と目線を合わせる為にしゃがんでいた。この一瞬の移動で、どたばたと凄い音がした気がした。先程まではあれだけ細心の注意を払っていたのに。


「大丈夫か?怪我ないか?どこか、痛むか」

「え?う、うん。平気…だよ」

「そうか。…熱も無いな」

「ちゃんと僕診たのに…留三郎ったら心配性」


心配するのは当たり前だろ。…惚れてんだから。自分でも驚くほどに、大切で仕方ないのだから。


「で、倒れた原因はなんだったんだ」

「コーちゃんに驚いてそのまま腰抜かして気絶、だって」

「恥ずかしい限りです…」

「そうか。…とにかく、無事で良かった」


病気じゃないなら、とにかく、安心。頭も打ってないし目立った外傷も無い。良かったの一言に尽きる。


「じゃ、僕は委員会あるから席外すね。留三郎、後は頼むよ」

「ああ。ありがとな」


気を利かせてくれたのか本当に委員会なのか、伊作はあっさり出ていった。

…ていうかこれ…よくよく考えると部屋にふたりきり…だよな。なにこの美味しい展開。朔名が倒れたという、状況的には全然喜ばしいことではないはずなのに。

それ以前に久しぶりに逢った…よな。落ち着け俺。 でも朔名もなんだか落ち着かない様子。目がきょろきょろしている。ちくしょう可愛いな。って、そんなこと言ってる場合か。


「本当に、大丈夫か」


問い掛けたことで、きょろきょろしていた瞳が俺へと落ち着いた。…でっかい目。やっぱり可愛いな。なんだろ、小動物みてえだ。


「あ、はい。善法寺さんが丁寧に診てくださって。異常無しだそうです」

「そうか。…にしても、驚いたよな」

「あ、はい。いきなり骸骨が足元に転がってきて、一瞬、本物かと、思っ……」

「……えっ!?ど、どうした!!?」


顔色がみるみる曇っていったと思いきや、その大きな両目から突如、大粒の涙がぼろぼろ零れる。突然過ぎる光景に慌てない訳がなかった。泣き出した朔名の目元を咄嗟に親指の腹で拭った。人様の、しかも女の子の涙を拭くだなんて、はじめてだが…力加減はこれでいいか。痛くないと良いが。


「だ、大丈夫か?やっぱり、怖かったか…?」

「ご、めんなさ…っ、わたし、ああいうの、苦手で…ううーっ」

「誰にだって苦手なもんのひとつやふたつある。気にすんな」


どうやら朔名はホラー系は滅法だめらしい。憶えておかなくては。申し訳ないが斜堂先生には絶対逢わせないようにしなきゃ。いい先生なんだが、あのおどろおどろしい雰囲気を見たら恐らく腰抜かすだろう。


「でもね…」

「ん?」

「留三郎さんに逢えない方が、もっと、やだ…」


予想外の一言に思わず手が止まった。だってこれ、裏を返せば俺に逢いたかったってことだろ。なにそれ。


「だから、今ね、逢えて嬉しいんだ。今日、学園中捜してたけど、留三郎さん見付からなくて…」

「え、あの、朔名…?」

「わたし…留三郎さんのこと、すき、だもん…っ」


……え。今、なんて?

すき?え、すき?隙?鋤?…もしかして、『好き』…?都合がいいように聞き間違いしてねえか?あと変換してねえか?


「…最初、秀作お兄ちゃんは、留三郎さんは好戦的で短気っていうから、どんな乱暴な人にぶつかっちゃったんだろうって、凄く心配だったけど…」


おいおい。小松田さん、どんだけマイナスイメージ付けるんだよ…勘弁して。…まあ、あの人のことだ、悪気は無かっただろう。それに残念ながら事実だし。


「でも…実際話してみたら、聞いていたことと全然違くて…声掛けても嫌な顔しないでくれたし、まだよく知らないうちから、わざわざ家まで送ってくれたし……いつもわたしの話聞いてくれて、お手紙だって徹夜してまできちんと返してくれて……

「…ち、ちょっと待て。なんで徹夜って…」

「善法寺さんが教えてくれた」

「な…っ、あいつ…」


なにやってんだよ余計なこと言ってんじゃねーよ伊作ううう!!!朔名がんなこと知ったら余計な気ィ遣うだろうが!!


「…留三郎さんは六年生で、忙しいのはわかってるつもりでした。だけど、お手紙が届く度に嬉しくて、お返事が待ち遠しくて、実際にお返事もらえるとすごく嬉しくて。もっと留三郎さんと話したい、もっと知りたいって、欲張りなことばかり思うようになって…」

「……」

「それで………わたし、好きなんだなって気付いた」


待て待て待て。なにこの流れ。なにこの可愛さ。なにこの可愛い台詞。殺す気か。萌え殺す気か。寧ろ今なら喜んで死ねる。朔名が俺を好いてくれていると知れた今、死んだとしても我が生涯に一片の悔い無し。いやしかしなんで俺先越されてんの。好きになったのは俺のが早かったはずなのに。訂正、結構な悔いあった。


「…なんで無言なの」

「あ、いや…っ」

「わたしに好かれても嬉しくない?わたしなんか、やっぱりどうでもいい…?」

「馬鹿言うな!」


わたしなんかって、やっぱりってどういうことだ。最初からどうでもいいなんて微塵も思っちゃいねーぞ。なんでそこでネガる?……だが裏を返せば俺の気持ちがまだ朔名に伝わっていないってこと、だよな。


「…朔名のこと、どうでもいいわけないだろ」

「……そうなの?」

「ああ。俺も、つまり、その…っ」


俺だって、朔名のことが好きだ。初めて逢ったときから好きなんだ。手紙を通して話す度に、人柄を知る度に、また好きになる。際限がないのか、と自分でも驚かされる。いや実際にない。一目惚れだけど、この子の全部が愛おしく思える。本当に『運命』なんだろう。


「…俺も、逢いたかった」

「ほんと…?」

「ああ。…俺だって、本当は朔名の顔見に行きたかったよ」


手紙だけでなく、直接逢って話がしたかった。どんな内容でもいいから、朔名と顔を合わせて、ころころ変わるであろう表情を見ながら話したかった。俺だって、もっともっと朔名を知りたい。俺を知ってほしい。時間が無いとわかっていても話がしたい。欲張りなのは、おあいこだ。


「だが、実際は、その…なかなか時間取れなくて。言い訳がましいのはわかってるんだが…本当に、悪かった」

「…ううん。忙しいのは、わかっています」

「朔名…」

「お気持ちが伺えただけで、充分嬉しいです」


穏やかな口調に、あの優しい笑顔。本当にわかってくれているのだろう。だが…逢えないことを忙しさのせいにしたくない。逢いたいもんは逢いたいんだ。手紙だけでなく………手紙、あ、そうだ。


「…っと。忘れるとこだった」

「ん?」

「これ、渡そうと思って。俺も、朔名来てるって聞いて…捜してたんだ」

「あ…っ」


直接渡されるとは思っていなかったのだろう。朔名は驚いたような表情で手紙を受け取った。…綺麗な手してんな。俺のそれとは大違いだ。


「ありがとうございます。帰ったらゆっくり読みますね」

「ああ。…その件で、朔名、ひとつだけ頼みがある」

「わたしに出来ることかな」

「おう。…朔名も忙しいだろうけどさ。返事、出来るだけ早く寄越してくれるか?」

「…はいっ!」


歯切れの良い返事。眩しいその笑顔に、つられて俺も表情が緩んだ。手紙が届くと嬉しくて。返事を書いた後は次の朔名の話が待ち遠しくて。やり取りを楽しんでいるのは、存外俺の方かもしれない。

それから暫く会話をして、体調が回復したのか、朔名は長居すると迷惑になるからと帰ることを決めた。…別に迷惑なんてことないのに。


「本当に、大丈夫か」

「はい。擦り剥いたとこが少し痛む程度で、あとは全然。えっと、善法寺さんに宜しくお伝えください」

「はいよ、わかった。…なあ、朔名」

「はい」

「今度また、食堂に行ってもいいか」

「勿論です!…あ、でも」

「でも?」

「えと、わたしね、留三郎さんに来て貰ったら、その…嬉しくて、にやけちゃうと思うの。だから…わたしたちが知り合いって、周りにばれちゃうと思う。それでも平気…?」

「俺は全然。別に隠すことでもないだろ」

「…そっか。じゃあ、わかってる限りの予定、お返事と一緒にすぐ送るね」

「わかった。…じゃ、気を付けろよ」

「はい。では、また」


ぺこっと頭を下げて、朔名は背を向けて帰っていった。あんなことがあったばかりだ、帰りに転ばないといいんだが。……こうして背中を見送るのって、なんか切ないな。今すぐ追い掛けていけたり、あの隣を一緒に歩けたらどんなに良いか………


「いいの?送らなくて」

「うおっ!………いつからそこに居た?」

「今さっき。一息ついただろうから朔名ちゃんの体調の確認に来たんだけど。自力で帰れるくらい元気になったんだね」

「ああ。…悪かったな、伊作。いろいろ、ありがとな。朔名も礼言ってた」

「いいえ。僕の仕事だしね。で、留三郎。追わないの?」


そりゃ追い掛けたい。凄く。朔名も言ってくれたが、逢いたかったのは俺も同じ。いや…恐らく俺の方が、もっと逢いたい。

もう少しだけでいい、一緒に居たい。それに朔名に言わなきゃならないこともある。俺には、追い掛けていい理由があるじゃないか。


「…ちょっと出てくる」

「気を付けてね」

「おうっ」


急いで部屋に戻り着替えを済ませ、外出届も用意し準備完了。まだそう遠くないはずの朔名の背中を追い掛けた。



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