順序が逆になってしまいましたが





今日の授業は午前中で終わり、午後からは特段委員会を含めた用事がない。ようやく時間に余裕が出来たので、思い切って朔名の職場を訪ねに来た。また逢いに行くと約束していたし、なにより俺が逢いたかった。


「……ふうっ」


この向こうに朔名がいると思うと緊張する。一度深呼吸をして、戸に手を掛けた。

───そのときだった。店の裏手から凄い音。なにかが激突したような、そしてなにかが崩れたような……なんかもう嫌な予感しかしない。急いで音の発生源に向かった。


「──朔名!?」


なんかやらかしたことはわかってたが、流石に顔面からすっ転んでいるとは思わなんだ。即座に駆け寄って身体を起こした。


「おい、大丈夫か」

「………」

「…朔名?」


俺の問いかけに反応することなく、でっかい目を更にでっかくさせて、無言でじっと俺を見ている。これだけで可愛いとか、なんなんだもうこいつは。心配しなきゃいけないだろうに、こうして目が合うだけで、心臓が、きゅっと掴まれたような感覚。

もう一度名前を呼ぼうとした瞬間。朔名は、あろうことか、いきなり自分で自分の頬をつねった。さすがにこの突飛すぎる行動に焦る。咄嗟に朔名の手を掴み、頬から離させた。


「ばか!なにやってんだ!……あーあ、赤くなっちまっただろ。どんだけ力入れたんだ」

「い…っ、たああ………あれ、夢じゃ、ない?」

「少なくとも、俺の目は冴えてるぞ」

「てことは…本物の、留三郎さん…?」

「お、…おう」

「留三郎さん!」


さっきまでの表情とは打って変わって、ぱあっと回りに花を咲かせ、眩しい笑顔で手を握ってきた。おいこらちょっと待てなにこの不意打ち。か、かっっっわい……


「わあ!本当に来てくださったんですね!」

「あ、ああ…そうだな。約束、したからな」

「嬉しいです。ありがと、留三郎さん」


にこにこしながら俺の手をぎゅっと握って離さない。…なんなんだこいつは。相変わらず俺を殺したいらしい。頼むからその可愛さ自重しろ。まじで俺どうにかなる。

にしても…ちっこい手だな。両手いっぱい使って俺の片手をようやく包めるくらい。この間は気付けなかったが、か弱くて華奢で、柔らかくて。俺のと全然違うんだな…


「───ちょっと朔名〜?いつまで地面と友達のつもり?早く戻っておいで…」


裏口から女将さんがひょっこり顔を出した。ていうか今の口振りだと転んだとわかっていたらしい。流石だ。そして俺たちを交互に見ると、なんとなく状況を察したらしい。


「あらお兄さん、前にもこの子とぶつかってる方ね。またこの子が迷惑掛けて、すみませんね」

「いえ、全然。…朔名、ほんとに怪我ないか」

「うん、大丈夫です」

「…あら?いつの間に仲良くなってたの」

「それが、兄と知り合いだったみたいで」

「そうだったの。…そうだお兄さん、お昼は済んでます?」

「いえ。此処でいただくつもりでしたので」

「なら話は早いね。今回はうちがご馳走するわ。なんでも好きなもの食べていって」

「いえ、そんな!」

「大丈夫ですよ留三郎さん。女将さんお金持ちですし!ご馳走になっても平気だよ」

「変なこと言わないの」


朔名の額をぺちっと叩く女将さん。勿論軽くだが、いい音。


「そしたら朔名、案内して差し上げて」

「承知しました」


…あらまあ、なんだか逆らえない流れ。そんな図々しいことは考えて無かったんだが…仕方ない。割り切ろう。

適当に席に着くと、お品書きと水を持ってきてくれる。…ほお……朔名が仕事してる。……新鮮。直接、こうして見るのは…はじめてだ。


「どれにします?」

「朔名の一押しは?」

「そうだなー…今日は、お魚の煮付けか、とんかつかな」

「それあんたが今食べたいやつだね」

「なんでバレてるの!」


奥から女将さんの鋭い突っ込み。朔名の慌てようも凄い。そんな姿も可愛いが、それ以上に面白い。思わず吹き出して笑った。


「ちょっと!笑わないでください!」

「いや、おもしろすぎだろ今の…ふっ」

「んもう!べ、別に、わたし、いつもそんなに食い意地張ってないですからね!そんな食いしんぼうじゃないです!」


否定すればするほどドツボなんだよなあ…俺は別に、朔名が仮に食いしんぼうだとしても全然構わないんだけど。可愛いことに変わりないし。

最初におすすめに挙がったこともあり、今回は煮付けを頼んだ。客が俺だけということもあって、朔名はずっと近くで話してくれる。相変わらず可愛いのなんの。

煮付けも朔名が推すだけあって美味かった。飯は美味いし、朔名はやっぱり可愛いし。本当に来て良かった。



暫く話し込んでいると、店内が急に騒がしくなる。いきなり十数人の団体客がぞろぞろときた。



「ごめんね留三郎さん、また話そう」

「おう。がんばれ」


急な客に慌てるかと思いきや、朔名は全く動じない。慣れてんのかな。にしてもあの人数…暫くは忙しそうだ。ぽけーっと待ってるってのも、なんだかな……あ。目の前の空になった食器を見て、思い付いた。


「ご馳走様でした」

「あら、わざわざ持ってきてくれたの。ありがとう」

「いえ。忙しそうですので、これくらいは全然」

「わあああっ!ごめんね留三郎さん!すっかり忘れてた…」

「気にするな。でさ…俺で良ければ、手伝わせてくれないか」

「えっ!?」

「とは言っても皿洗いと、簡単な作業程度しか出来ないが。でも上手いもんだよ」

「だめです!留三郎さんはお客さんなんだから、そんなことしなくていいんです」

「ご馳走して貰ったんだ、これくらい当然だよ。それに、俺が手伝いたいんだ」

「…もう!タダ働きでも知りません」


朔名はまだ納得していない様子。客として大事に扱ってくれるのは嬉しいが、俺に出来ることなら手伝わせてもらいたい。


「お兄さん、本当にいいの?こちらは凄く助かっちゃうけど…」

「任せてください」

「頼りになるわ。ありがとう」


早速台所に案内して貰う。さて、ご馳走になった分、しっかり働くか。


皿洗いの合間に、時々店内の様子を伺う。朔名は驚くほどてきぱきと仕事をこなしていく。いつものドジは何処へやら。転ぶ気配が全くない。寧ろ頼もしい。…ああやって毎日がんばってるんだな。


「…お兄さんは、随分優しい目で朔名を見てくれるのね」

「え、えっ?」

「お兄さんでしょう?最近あの子と仲良くしてくれてるのは」

「あ、いや!えっと、その…っ、…………はい」


しどろもどろな返答になってしまった。自分で認めるのも見透かされたこともなんだか恥ずかしい。


「…あの、そんなにわかりやすかったですか」

「そうねえ、どっちかっていうと、朔名がね。幾ら暇だからって、あんなにひとりのお客さんに貼り付いて話すことなんて、今までなかったもの。お兄さんと話してる朔名、凄く嬉しそうだったし」


…なにそれ。俺、もしかしなくても特別扱いってこと?それに、嬉しそう…か。……これ、自惚れていいのかな。今日逢えた瞬間も、凄く嬉しそうに笑って、俺の手を握ってくれたっけ。仕事中の、満面の笑顔も素敵だと思うが…さっきは、もっと、こう……可愛さが爆発してて…俺以外には、見せてほしくないって、思うような…



「ふふ、驚いた?あの子、時々ああやってスイッチ入って化けるのよ」

「確かに…まるで別人みたいに、しっかりしてますね」

「でも仕事憶えるのは時間掛かったし、いつもはそれこそドジだし大変なのよ。まあ違う意味でも大変なんだけどね…」


いかんせん可愛いからナンパ目当ての冷やかしも居て困るわーなんてサラッと言う女将さん。ちょ、困るわーって。俺も困るんですが。


「でも仕事こそ憶えるのは遅かったけど、お客さんの顔はよく憶えてる子でね。しかも注文の内容まで憶えてて。あれには驚いたわ」

「へえ…」


ひとに対する記憶力が良いのか。どうやらこの兄妹は、なにか一部分だけ抜きん出て凄い血筋らしい。朔名にも凄い特技発覚。…あー……確かに、俺のことも、よく覚えててくれたなあ、そういえば。


「お客さんも憶えてもらうと嬉しいんでしょうね。もともと愛想もいいから、今ではあの子に逢いに通うお客さんも多いのよ」


…言われてみれば確かに。殆どの客に話しかけられてる。周りから好かれやすい体質まで兄貴譲りか。そこは、似なくてほしかった。


「でも安心して。勿論いかがわしいことはないし、逆に常連のお客さんが、朔名をナンパから遠退けてくれるのよ。みんな、朔名が娘か孫みたいで可愛いのよね」


心配がないと言えば嘘になるが、ああやって毎日元気に仕事できて、環境にも恵まれているらしくて良かった。朔名と話してるお客の顔は、みんな晴れやかだ。確かに、あいつと話していると癒されるもんな。気持ちはわかる。



「それにしても朔名ちゃん、ちょっと見ないうちに可愛くなったな」

「ふふ、ほんとですか?」

「ああ。さては恋してるな?」


突然、耳に届いた会話。作業しながら思わず聞き耳を立ててしまう。朔名、なんて返すつもりしてるんだ?うまくかわすのか、それとも……


「えへへ、わかっちゃいました?」


恥ずかしそうに、でも誤魔化すことなく答えた。にしても…本当にすぐバレた。女将さんは仕方ないとして、おっさん客にもバレるとか。みんなよく見てんだな。


「お、本当かい?」

「いやいや、朔名ちゃんの面倒見るのは骨が要るぞー。こりゃ男が苦労するな」

「そんなことないですよー!……多分」


いや、骨は要る。確実に要る。苦労もする。間違いなく。実際もう幾つか苦労してる。可愛すぎも考え物だとつくづく思う。…それでも。その苦労も心配も全部覚悟するから、朔名には、俺と………


「どんな人なんだい?」

「んー…ぱっと見、顔つきちょっと怖いけど…真面目で面倒見良くて、わたしには凄く優しい人だよ」


顔つき怖いって評価としてどうなのと思ったけど…真面目で優しい…か。そんなの、はじめて言われた。


「そこまで太鼓判押すなんて、余程いい男なんだな」

「うん!格好いい!」


ここまで迷いなく、格好いいと言われたのも初めてだ。……やばい、顔から火が出るって、こういうことか。あいつ、ここに俺がいること忘れてねえ…よな。こっち側にも声ぜんぶ筒抜けなの、わかってんのかよ。あー………くっそ…なんでお前は、そんな嬉しいこと言ってくれるんだろうな。

女将さんに軽く肩を叩かれ、漸く我に返った。どうしようもなく恥ずかしくて、ただ無心で手を動かすことにした。







「ふう、乗りきったー」

「よくがんばったね。お兄さんもありがとう。助かったわ」

「とんでもないです」


団体客を無事に送り出し、手伝い完了。皿洗いと、本当に簡単な仕込みしかしていないのに凄く感謝された。たまに食堂のおばちゃんの手伝いをしていたのが、まさかこんなとこで役立つなんて。


「そういえば朔名、仕事いつ終わる?」

「間もなくです。片付け終わったら今日は上がりかな」

「…待ってていいか」

「えっ」

「だから、その…一緒に帰るか」

「…はい!」


再び周りに花が咲くくらいの笑顔。そしてまたスイッチが入ったらしく、尋常じゃない速さで作業を済ませていく。女将さん曰く史上最速タイムで片付けを終えた朔名は、勢いそのままに裏へ駆け込み、再び最速タイムで出てきた。…うん、見慣れた格好だ。


「お待たせしました!」

「お疲れさん。…じゃ、帰るか」

「はいっ」


小走りで隣に来る。相変わらず小っこくて可愛い。前に通った道を、並んで歩き出す。しかし……会話がない。お互い無言で足を動かす。もしかして、話題がなくなった?

そりゃそうだよな、さっき仕事中、沢山話してくれた反動かな……あ、仕事といえば。


「そういえば」

「はい」

「朔名が仕事してる姿、はじめて見た気がする」

「ほんと?そうでしたっけ?」

「だと思う。出前帰りに行き合ったりはしたが、ああやって働いてるのは、はじめて見た。がんばってんだな」

「ふふ、ありがとう。…なんか、恥ずかしい」

「なんでだよ」

「留三郎さんがいると思ったら、なんか変に意識しちゃって。かっこ悪いとこ、見せたくないなあって……実は今日、緊張しっぱなしだったんですよ。ドジ踏まないか、ずっと心配で」


えへへ、と困ったような、でも照れたような顔で俺を見る朔名。……あ、これは、はじめて見る顔だ。なんだこれ、可愛い。ほんっとうに、可愛い。

他にも、この子はどんな顔をするんだろう。俺が知らない朔名が、まだまだ居るに違いない。もっといろんな表情を見たい。……そして、独り占めしたい。だなんて。俺も大概、欲張りだったんだな。


「…朔名」

「はい」

「その……少し、真面目な話が、あるんだが。少し、いいか?」

「…はい」


さっきまでの朔名の明るい表情が、一気に強張った。



好きだと打ち明けるのは朔名に先手を打たれてしまった。だったらせめて、これくらいは俺から言いたい。だって今日はこの言葉を伝えに来たのだから。あいつらに唆されたからじゃない。これは、自分自身の意志。俺が、ずっと、この子の傍にいるために。この子の、いちばん傍で、笑顔を見るために。



「朔名のことが、好きです。……正式に、俺と付き合ってください」


朔名とは、きちんとした関係になりたい。ちゃんと、恋人として、傍にいさせて欲しい。だが、朔名はどうだろう。俺を好いてくれているのは知ってるが、付き合うとなったら話は別だろう。俺はいつも逢えるわけじゃないし、なにかあってもすぐ駆け付けてやれる自信もない。恋人としてはかなり不向きだろう。

それでも…もし、こんな俺でもいいと思ってくれるなら。どうか、俺の手を取ってほしい。誰よりも大切にすると、俺のすべてを懸けて護ると、約束するから。



「…わたしで良ければ、喜んで」


よろしくお願いしますと、俺の手を握りながら満面の笑顔で頷いてくれた朔名は、今まででいちばん可愛くて。きらきらした目で、俺を見つめてくれて。願った通りの最高の展開に、拳を握り締めて歓喜に浸ったのは、言うまでもない。




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