小さな王の終わりは近い


「おまたせ」

杖の先の灯りを消して俺の隣、冷たい石の上に腰を下ろした名前さんが今日は星が綺麗だねと空を見上げた。夜になっても雲ひとつない冬の空には無数の星が細かく震えるように瞬いている。



課題が思ったよりも早く終わり、さてどうするかと思いながら適当に選んだ本を読んでいたら思いの外没入してしまっていたらしい。自分が座っている向かいの椅子を誰かが引いて、ふと集中が途切れた。誰か、なんて確認しなくてもわかる。いつもは降ろされている髪がひとつにまとめられていたから、おそらく先ほどまでクディッチの練習をしていたんだろう。着替える時に慌てて結んだであろうネクタイが歪んでいるのがやけに気になった。

机から身を乗り出してそれを一度解いてから結び直すと、レギュラスはお母さんみたいだねと小さな声で笑う名前さんが少しだけ嫌いだ。

「俺の娘ならネクタイぐらい自分でちゃんと締められるように教育しますけどね」
「冗談だって」

レギュラスに早く会いたくて急いで着替えたの、なんてそんなことは言われなくても分かっていたけれど。綺麗に結び直した名前さんのネクタイから手を離し、再び椅子に腰掛けた。

「もう課題終わったの?」
「はい。今日は少なかったんで」
「いいなー。わたし夕飯までに終わるかなあ」

名前さんは小さくぼやきながら羊皮紙を広げると羽根ペンを持ち、先端をインクに浸した。

「なんの課題ですか?」
「天文学」
「あぁ」

前から天文学が苦手だと話していた名前さん曰く、スケールが大きすぎるのだそう。魔法すら飛び越えた世界に眩暈がする、と参考図書をペラペラと捲りながらその内容を書き写していく名前さんに呆れてしまった。

「丸写しですか」
「そういうときもあるよ」

ひたすら本の内容を書き写し続ける名前さんが羊皮紙にペンを滑らせる度にカリカリという小さな音がやけに耳についてしまい、さっきまで読んでいた本の続きを目で追うものの内容は頭に全く入ってこなかった。

あ、と小さく声を上げた名前さんが机の上に乗せた俺の腕を控えめにつついた。本から顔を上げると、これってレギュラスだよね、と星座が載っているページを彼女の白くて細い指が差す。

「これレギュラスでしょ?」
「正確にはレグルスですけどね」

獅子座を構成する星を線で結んだ右下、他の星より一等小さい光の粒を名前さんが指でなぞった。

「星座とか興味ないけどこれだけは覚えてる」

そんな小さな星を覚えてどうするんですか、と言おうとしてやめた。


ぽた、と羊皮紙に黒い小さなシミが出来て、レギュラスのせいだよ、と怒る名前さんがちっとも怒ったよう顔をしていなかったからもう一度唇を奪っておいた。





「なんでマフラーしてないんですか」
「慌てて出てきたから部屋に忘れちゃった」

リリーが寝るの待ってたら遅くなっちゃったから、と話す名前さんに小さく溜息を吐いてから自分のマフラーを外すと、外気に晒された首を冷たい風が撫ぜた。

「…緑、似合いませんね」
「そうかな?」

外したそれを名前さんの首にぐるぐると巻き付けると見慣れない姿に酷く違和感を抱いてしまい思わず苦笑いした俺に、彼女は気付いただろうか。でもマフラーに顔を埋めた名前さんが少し恥ずかしそうにありがとうと笑って、その顔に結局胸が満たされてしまった。


冬の天文台は寒い。夜中なら尚更。ぴったりとくっ付いて俺の隣に座る彼女の体温すらほとんど感じない。時折強く吹く風がマフラーに埋もれた名前さんの髪の先を揺らして、それがたまに俺の頬をかすめるのがくすぐったかった。

「ねぇねぇ、獅子座ってどれ?」
「……今は冬ですよ」
「獅子座っていつの星座?」
「春です」
「へぇ、それは知らなかった」

思わず呆れたような溜息が漏れ出てしまったのは仕方のないことだと思う。

「冬は何座が見えるの?」
「ふたご座、おうし座、こいぬ座、うさぎ座…あとはオリオン座と大いぬ座も冬の星座です」
「ふーん」

やはりあまり星には興味がないらしい。そう思うと天文学が1番苦手だと図書館で羊皮紙の上に項垂れていた名前さんが、俺の名前が獅子座の一部であると覚えてくれたのはやはり感心するべきことなのかもしれない。

「赤いのがオリオン座のペテルギウス、あっちがこいぬ座のプロキオン。あの1番明るいのが…シリウスです」

冬の大三角形と称される3つの星を順番に指差して辿る。シリウス、という単語に名前さんがぴくりと反応をしたのはどうか気のせいであってほしい。

「レギュラス詳しいね」
「これぐらい誰でも知ってますよ」
「わたしは知らなかったけど」

レギュラスと話してると賢くなれる気がする、といかにも頭の悪そうなことを言う名前さんだけど、この人は別に馬鹿じゃない。勉強もクディッチも魔法だって…人並み以上にできるのは"血筋"だと言ってしまえばそれまでだ。いくら努力しても血筋がそうさせるのかと言われるのを酷く嫌うのは、何もうちの兄だけではない。

「今度はさ、」

「レギュラスが見れる季節にまた来ようね」

俺の肩に身を預けた名前さんがゆっくりと目を瞑る。レグルスですって、と声に呆れたような色を乗せれば、彼女はまた楽しそうにくすくすと笑った。

名前さんの体温を感じながら、左腕がチリッと痛んだ。
back

夢の通い路