夏めく絵葉書


疎遠になっていた幼馴染から一通の絵葉書が届いた。苗字名前様、と力強く書かれた宛名は彼の性格を表しているようで思わず口元が緩んだ。筆ではなく鉛筆で書いている所為か、潰れた芯の粉が所々に付着し表面は黒く汚れていた。きっと彼の右手も黒くなったに違いない。わざわざ任務先から送ってくれたらしいということは、消印に記された地名から分かった。もうずっと会っていない彼の髪はどのくらい伸びたのか。そんなことを考え、懐かしい気持ちを抱き、差出人の名前を指でそっと撫ぜてから葉書を裏返すと、大きな富士山が水彩絵具で丁寧に描かれていた。添えられているのは“富士山はとても大きい”というたったの一文だけで、その字もまた力強いものだった。絵心のない彼のことだから、大きな富士は彼が描いたものではない。何処かの露店で売っていたのものに目を奪われ、そのまま勢いで買ってしまったであろうことが容易に窺える。

最後に会ったのはいつだったか。彼が柱に任命されるずっと前だから、もう一年は安否すら知る由もなかったが、随分と会っていない幼馴染に突然の絵葉書を送れるくらいには元気にしているらしい。
思い立ったが吉日とばかりに絵葉書を送ってきた彼を真似、絵葉書を受け取ったその日のうちに返事を書いた。富士山どころか、何の景色も描かれていない真っ白な葉書に同じく一文だけ、“元気そうで何よりです”。しかしそれだけでは寂しいので、栞にしようと思い分厚い本に挟んでいたままの押し花をふたつ、丁寧に糊付けをした。赤と黄色の小さな花びらが重なると、より鮮明に彼の姿が思い浮かんだ。留守にしがちの彼のことだから、この葉書を手にするのはきっと何日も後になり、忙しい彼の代わりにこの葉書を受け取る彼の弟が、その日まで大切に保管しておいてくれるだろう。

それからひと月が経つ頃に再び絵葉書が届いた。今度は青い海原が描かれているが、それもやはり鉛筆の粉で薄く汚れていた。
“元気でやっている。久方ぶりに見た大きな海は随分と青々していた。夏が来たな”
消印は富士よりも西にある小さな漁村だった。いったいいつの間に東京に戻り、私が送った葉書を受け取ったのだろう。絵葉書を送るだけでなく、たまには顔を見せにきてくれてもいいじゃないか、と思いつつも、束の間の休息は家族とゆっくり過ごしてほしいと、そう願わずにはいられない。
その絵葉書が届いてから三日後、遂に夏が本番を見せ始めた。朝から泣き喚く蝉の声で目が覚め、昼にかけ上がる気温に目眩がしそうだった。縁側で寝転ぶ猫も茹だる暑さに相当参っているようで、太陽の動きに合わせ日陰と共に移動を繰り返している。この季節で一番元気な生物はそこら中にいる蝉だけではないのかと思うほどの暑さは、これからしばらく続くという。
夏になると杏寿郎を思い出す。逆に、杏寿郎といると冬でも夏を感じる。夏の生まれでもないのに彼と夏を結びつけたくなるのは、彼のあの誰よりも眩しい性格がそうさせるのだろう。杏寿郎と瓜二つの弟も父君も、夏を感じさせることはない。どちらかというと父君は寒さの厳しい冬を、弟はうららかな春を思わせるから、恐らく見た目は全く関係がない。



二階にある自室の畳に寝転び、窓から見える青空の遠くでじわじわと発達していく入道雲を眺めながら、次に送る葉書の内容を考えていた。もうすこしで太陽がてっぺんに昇る時刻だった。

「名前!」

ふと、蝉の声に紛れて懐かしい声が聞こえた。慌てて体を起こし、窓から通りを見下ろす。

「杏寿郎?どうしたの?久しぶりだね」
「久方ぶりだな。元気にしていたか?」
「元気だよ」

あなたも元気そうで何より、と言うと、彼はやはり夏の眩しさを連想させる笑顔を見せた。着込んだ隊服がより暑苦しそうにも見えるが、意外にも夏は涼しく、冬は暖かく、一年を通して快適に過ごせる作りとなっていると聞いたことがある。しかしこちらとしてはどうにも暑そうに見えて仕方がない。

「麦茶を淹れるから上がってきて」
「ああ、助かる」

杏寿郎が頷いたのを見てから階段を駆け降りた。既に玄関に入り上がり框に腰掛け草履を脱いでいた彼に、駆けると危ないぞ、と背中を向けたまま声をかけられたので、大丈夫よ、と適当に返事だけして台所へと向かう。

「どうぞ」
「ありがとう」

喉が乾いていたのか、彼はなみなみと注いだ麦茶を一気に仰いだ。おかわりを注いで、二人で縁側に並んで腰掛けた。手にもつ水飲みには既にちいさな水滴が浮かんでいる。

「絵葉書を送ってくれてありがとう」
「こちらこそ。まさか返事をもらえるとは思ってもいなかったから驚いた」

聞くと、私が出した葉書は彼の弟がしっかりと保管してくれていたのだと。ゆっくりする間もなく次の任務地へと向かったため、家族との団欒は些とも出来なかったらしい。今回の帰都では私に会いに来てくれるくらいの時間はあるのだろう。

「先程屋敷に付いて、名前からの葉書が来ていないかと千寿郎に聞いたんだ」
「ごめん、今から書くところだったの」
「いやいいんだ。急かしているわけじゃない」
「あとでちゃんと出すから」
「楽しみにしていよう」

杏寿郎が再び麦茶を飲み干し、衣嚢から一枚の葉書を取り出した。小さな花が張り付けられているそれは、私が彼に送った葉書だった。ずっと持ち歩いていたのだろう、四隅にはちいさな折り目が付き、郵便に出したときのぴんと伸びた状態と違って全体が緩やかによれていた。

「綺麗な花をありがとう」

押し花にする前はもっと鮮やかで瑞々しく美しかった花びらを、彼は愛おしむ指付きで何度も撫ぜていた。
彼の母君も美しい夏の花が似合うひとだったことを思い出したときに、戸に付けた風鈴が風に揺れた。つられたのか、いつの間にか私たちの近くで寝ていた猫も、にゃん、とひとつ鳴いた。

「でもどうして急に絵葉書を出そうと思ったの?」
「どうしてだろうな」

葉書に目を落としたまま彼が恍ける。伏せられた目の奥は、てっぺんに登り切った太陽と同じ熱を持っていて、ああやっぱり彼は夏と同じだ、と改めて思った。

「名前に会いたくても忙しくて会いに行く暇がなくてな」
「うん」
「会えない代わりに文を送りたくなったんだ」

善は急げを地で行く彼のことだから、想像通り思い立ったときにすぐに送ってくれたのだろう。二通の絵葉書にたくさんの想いを込めて、彼は私に夏を届けてくれたのだ。

「文を送ると今度はどうしても会いに行きたくなってしまったんだ!」

熱せられたぬるいそよ風が私たちの間を通り抜けるとき、彼の長い髪が風に揺れた。夏が来る前に送った押し花と同じ色のその髪の毛は、一年前より少しだけ伸びていた。
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夢の通い路