健やかなる時も、病める時も、きっと傍には居られない
八九曰く、イギリスの夏が涼しいと思っていたらしい。らしいというのは気温が25度を超えると暑いかなの感覚でずっとこの土地で生きてきた私にはこれが普通なので特別涼しいと思ったことはない。しかし、とんでもないことが起きた。前線の影響でまさかの連日40度超えが起きたのだ。これには私を始めイギリス国民は大層驚き非常事態だと大騒ぎになった。勿論、士官学校でも教官達が武器庫に足を運び薬莢や火薬に熱が篭っていないか日々警戒する事態に発展している。残念ながら困惑するイギリス人達を高みの見物する日本人達もいた。八九曰く、30度超えて騒ぐとかイギリスって大丈夫か?という扱いを受けた。なんでも、日本の夏は連日40度超えの地域もあるので猛暑日どころか酷暑日でも今更気にならないらしい。邑田と在坂、そして十手すらもイギリス中の騒ぎに首を傾げるほどなので八九の言うことは本当だった。
さて、連日非常事態級に暑くても残念ながらアウトレイジャーやトルレ・シャフの活動がおとなしくなるわけではない。勿論、訓練もである。私はきっちりと着込んだ士官学校の制服のままロンドンにいた。どんなにハンカチで拭いても汗が首筋を伝いそのせいで制服のシャツが身体に張りついていく。本日何度目かの不快感に襲われながらも顔に出さないようにしながら口を引き結んだ。私と同じく世界連合軍の上官達の集まりのせいで護衛に駆り出された運の悪い一部の士官候補生達は長い時間外で待ちぼうけを食らっているせいで顔に疲労の色が見える。それもそうだ。これだけ暑いのだからどんなに水分補給をしててもつらいものはつらい。上官達は私達士官候補生なんぞ気にせず涼しいホテルのパーティー会場の一室で和やかに談笑しているのだから本音を言えば羨ましい。ふと、ホテルの出入口が開かれ、ホテルスタッフ総出で見送られる上官達が現れた。私を始めとした士官候補生達はぴしりと背筋を正して上官達に敬礼する。汗一つかかずにこやかに笑ってホテルスタッフ達に手を振る上官達に内心舌打ちしそうになった。
護衛の任務が終わり、士官学校に戻ってきた頃には夕方になっていた。汗だくの士官候補生達はあからさまに疲れた表情を浮かべながらそれぞれ寮の自室へ戻っていく。男子も女子も共同浴場があるが、私は自室に備えつけられたこじんまりとしたシャワーを浴びてさっさとベッドに倒れることにする。ヴィヴィアンがいた頃はどんなに疲れても共同浴場まで共に足を運んだけど、正直今はそこまで親しい人もいない。
疲れたし暑かったなあ。本日何度目になるか分からない愚痴を心の中に溢しながら自室の扉を開ける。すると、私の部屋からは匂わないはずのヘアーオイルの香りが鼻についた。
「お疲れー」
気怠げな声でかけられた言葉に私は思わず顔を顰める。開きかけた扉を閉め、一呼吸する。再び扉を開けて中に入ればたった今頭の中に思い描いていた親友がそこにいた。いや、正しくは似ても似つかないはずの親友の影と重なって見えたUL85A2が。ヴィヴィアンが残した一挺の銃は我が物顔で長い足を組んで椅子に座り、こちらを見た。
「汗だくじゃん。こんだけの暑さだもんな。つーか、こんなに異常な暑さの中、部下達をくそ暑い外で待たせて自分等はクーラーきいた部屋でパーティーって連合軍のおっさん達正気かっての」
やれやれと言わんばかりに盛大に溜息を吐いた。いや、溜息を吐きたいのは私の方だから。他人の部屋に勝手に入ってクーラーがんがんにきかせながらゆったり椅子に座ってテレビ見てるってどういう神経しているのやら。
「シャワー、浴びたいんだけど」
「浴びてこいよ」
あっさりと返された言葉に私は絶句する。女性がシャワー浴びたいの言っているのだから遠慮して部屋から出て行きなさいよと叫びたい。しかし、私は暑さのせいで疲れてぐったりしている。そんなことを言ってやる元気はない。
「何?恥ずかしがってるの?おまえ等の裸なんかとっくに見てるから気にするなよ」
「それ、マークスに聞かれでもしたら厄介だし誤解されるからやめてよね」
「憎まれ口叩く元気あるなら早くシャワー浴びてこい。今日の俺は、すっごく優しいから楽しみにしてな」
じとりと彼を見るが彼は鼻をハンと鳴らしている。かわいくないなあと思いながらバスタオルと着替えを持ってシャワー室に向かった。
ようやく気持ち悪い汗とおさらばして、髪を乾かしてからシャワー室を出る。Tシャツにハーフパンツに着替えたままで戻ると彼は相変わらず寛いでそこにいた。
「おまえ、開き直りすぎじゃね?」
テーブルに頬杖をつきながら私を見た彼はあからさまに顔を顰めながら口を開いた。その理由を私は知っている。Tシャツの下にキャミソールを着ているが下着はつけていない。というか、私は元々寝る時は下着はつけない派だ。勿論、ショーツは穿いてますが。
「私達の裸は見慣れているんでしょう?」
意地の悪い返事をしながら私は彼の向かいの席に座る。彼曰く、貴銃士として目覚める前の銃だった頃に私とヴィヴィアンがお互いの部屋で頻繁にお泊まり会を開いていたので全部知っているらしい。例えば、私とヴィヴィアンそれぞれの身体の何処にほくろがあるとか。
「まあな。でも、少しは恥じらい持ってもいいと思うけど?」
「気にするなって言ったり、恥じらい持てって言ったり、どっちなの?」
「じゃあ、両方」
にやりと彼の口角が上がる。彼の返答に少しだけ呆れつつも私は苦笑いを浮かべた。一方彼はこの話題に興味を失せたらしくその場から立ち上がる。相変わらず勝手知ったる顔で備え付けの冷蔵庫へ行き開けては何かを漁り出した。それを咎めることなく私は彼がつけっぱなしにしていたテレビに視線を向ける。彼が観ていたのは古い恋愛映画だった。
「ほらよ」
私の目の前に置かれたのはジェラートだった。パッケージにはレモンとオレンジの文字が記されている。
「もしかして、これがお楽しみってやつ?」
「任務もなかったし暇潰しに買っただけ」
コトンと今度はあたたかいハーブティーを淹れたティーカップが置かれた。彼、本当に今日は優しい気分らしい。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ぶっきらぼうに返事した彼は再び私の向かいの席に戻る。彼が頬杖をついたかと思えば視線をテレビに戻した。映画はクライマックスを迎えている。純白のウェディングドレスを着たヒロインは教会から一人走って逃げ出した。逃げ出した先には結婚式に参列した男がタクシーに乗り込んでいる。ヒロインは涙を一粒流してから走り去る車に向かって男の名前を呼んだ。
「あーあ。これで終わりか」
彼はつまらなさそうに呟いた。私は彼が買ってきてくれたジェラートをスプーンで掬って口に入れる。甘酸っぱいというより、酸っぱい。嫌な酸っぱさではないけど。ジェラートで冷えた身体をあたためるようにティーカップに口をつける。その頃にはテレビの映像がエンドロールに切り替わっていた。
「普通はさ、ここで男が女に振り向けよって思わない?」
流れていくエンドロールから私に視線を向けた彼が同意を求めてくるので意外に思う。もしかして、彼って意外とロマンチストだったりするのかも。
「どうだろう?これはこれで一つの結末だと思うけど」
「じゃあ、おまえだったらどうするの?」
じっと彼が私を見る。茶化すわけでもなく、彼の瞳は真剣そのものだった。私はジェラートを口に運びながら考える。オレンジとレモンの皮が含まれているせいか酸っぱさの中に苦みがあった。
「そもそも、私は教会から逃げないかな」
「はぁ?」
「だってさ、過程はどうであれ一度は自分で決めたことじゃないの。それなら、そのままおとなしく結婚するべきだと思う」
それは私自身にも言えることだ。両親を亡くし孤児院で育った私はダンローおじさんの後ろ楯があって今がある。士官学校に入学することも、偶然とはいえ貴銃士のマスターになると決めたことも、亡き親友の銃を勝手に引き取ったことも、全部私が決めたこと。その決めたことから逃げるのは、どんな理由があっても許されない。
「あっそ。それがおまえの答えか」
途端に彼が興味をなくしたように視線を外し、テレビに向けた。リモコンを取った彼がチャンネルを変えると明日の天気予報の放送を始めたところだった。
「ライク・ツーだったらどうする?さっき言ってたみたいに、自分を追ってきた女性に振り向くの?」
お返しに彼に尋ねてみた。彼はテレビから視線を外さないまま少しだけ考える素振りを見せた。
「俺だったら、そもそも結婚が決まった女のところなんか行かない」
「そこからなの?ラストシーンじゃなくて」
「おまえだってその前の段階から話したじゃん」
「いや、まあ。そうだけどさ」
「一度覚悟を決めたやつの心を揺さぶる気は俺にはないし、偶然とはいえ顔を合わせてしまってもそれ以上は踏み込まない」
妙に説得力のある答えに私は相槌を打ちながら残りのジェラートを口に入れる。相変わらず甘くないなあと心の中でジェラートの感想を述べながらティーカップを持ち上げた。
「だけど、」
急に彼の視線が私に向けられる。私は持っていたティーカップをソーサーに戻した。それを続きを話す合図と捉えたのか彼は再び口を開く。
「それでもそいつが俺を選んでくれたなら、俺も覚悟を決める。そいつが望む時には傍にいられないだろうし、そいつが望まない時に限って傍にいるかもしれない。そんな関係でも構わないって言ってくれるなら、俺もそいつの手を取って一緒に教会から逃げてやるよ」
そう言った彼は口角を上げてみせた。私は数回瞬きをしてからそっかと頷く。今度こそティーカップを持ち口に含んだ。冷えた身体がじんわりとあたたまる。ハーブティーを全部飲み干した私はティーカップをソーサーの上に戻した。
「ジェラートとハーブティー、ごちそうさまでした」
「どういたしまして。で、味は?」
「おいしかったよ。甘酸っぱいような、苦いような。さっぱりとした味」
ふーんと彼は鼻を鳴らす。私は彼から視線を外してテレビを見た。明日の天気は晴れ、気温は少しだけ下がって最高気温は35度の予報らしい。それでもイギリス国民にとってまだまだ暑いけれど。
「明日は任務も授業もないし、プールにでも行ってこようかな」
思わずうーんと伸びをする。彼は私の様子を見て呆れたらしくあからさまに大きな溜息を吐いてみせた。
「日焼けするじゃん、やめとけっての。だいたい、誰と行く気?いつのまに男でもできたわけ?」
「別にいないけど。一人で行ってこようと思ってさ」
「うっわ。寂しいやつ」
私がじとりと彼を睨むと彼は鼻で笑った。失礼な人だなと内心悪態をつく。彼はふいっとテレビに視線を向けて、眉間に皺を寄せた。
「プールは嫌だからな。焼けるとか絶対無理だし。だから、ほら、」
彼の耳が僅かに赤く染まった。私は余計なことを言わず彼の言葉の続きを待つ。彼はもごもごと気恥ずかしそうにしながら再度口を開いた。
「そこの店のジェラート食いに行くのは、付き合ってやるよ」
そこの店とは彼が今日買ってきてくれたジェラートのお店のことだろう。私は数回瞬きを繰り返してから、思わず頬を緩ませる。彼がじとりと私を睨むが赤くなった顔で睨まれても残念ながら怖くはない。
「返事は?」
私は緩んだ頬をそのままに頷いてみせた。
「勿論、いいよ」
私の返事を聞いた彼は満足そうに目元を緩ませた。それからいつもの調子で言ってのけたのだった。
「せっかくこの俺がデートに誘ったんだからさ、気合入れてこいよな」
ふふふと笑い声が溢れるが彼に咎められることはなかった。彼と同じであまり素直ではない私は意地の悪いことを言ってやったのだった。
「じゃあさ、ライク・ツーの隣を歩いても恥ずかしくないように綺麗にする。だから、私の手を取って逃げてくれますか?」
(お題:chocolate sea様)