砂糖に紛れた愛とかなんとか


一晩中付けっぱなしにしていた冷房が効きすぎて少し寒いぐらいの部屋で、薄い毛布に包まったまま目覚めるちょっと贅沢な夏の朝。段々と覚醒してきた頭で、どうにか今日が休日であるということを思い出す。外はもう明るいけれど、枕元にあるスマホを確認するとまだ起きるには早い時間だった。せっかく休みだしもう一眠りしようと毛布を軽く引っ張ると、隣で眠っていた名前さんが「んん…」と小さく唸った。毛布からはみ出た剥き出しの肩と太ももが目に優しくない。いつもは俺より早起きな名前さんがまだ起きていないのを珍しい、と思ったのと同時に昨夜のことを思い返し名前さんに毛布をかけ直して、起こさないようにそろりとベッドから抜け出した。うん、朝飯でも用意しよう。名前さんがなかなか起きてこないことに関して、思い当たることはありすぎるぐらいある。調子に乗って色々とやりすぎた。何を、とは言わないけど。

朝起きてリビングに行き、まずテレビをつけてしまうのは完全に実家にいるときからのクセだ。いつもならろくに観もしないテレビは名前さんがすぐに消してしまう。最初こそ「これ観てるの?」と聞いていた名前さんも、いつからか何も言わず無言でブチっとテレビの電源を切るようになった。悪いとは思ってる。スマホの画面の上ですいすいと指を動かし「彼女が喜ぶ朝食」と検索して1番上に出てきたページをタップ。こういうベタなことをするのが好きな自覚はある。1番簡単そうなレシピを開き、冷蔵庫に一通りの材料が揃っていることを確認してから、先日名前さんが買ってきたちょっとお高い食パンを切り分けた。いつもなら薄くスライスしてそのままトースターに突っ込んでしまうそれを4等分にして、砂糖と牛乳と卵を混ぜ合わせた液体と一緒にバットに入れて浸す。

「あ、」

フライパンを出そうとしたとき、昨日の夜洗濯機のスイッチを入れた名前さんをかなり強引にベッドに引っ張り込んだことを思い出した。やばい、洗濯機そのままじゃん。食パンを浸したバットにとりあえずラップをかけて冷蔵庫の隙間に突っ込み、キッチンの隣にある脱衣所で洗濯機の蓋を開ける。……異臭はしない。ギリギリセーフか?と自分のTシャツを一枚取り出してくんくんと嗅いでみる。まぁ、いっか。名前さんなら多分もう一度洗濯機を回すんだろうけど、俺的には許容範囲内ということで。キッチンに置きっぱなしにしていたスマホをポケットに突っ込み、洗濯物でいっぱいになったカゴを抱えた。

南向きの大きな窓から続くベランダに出ると、湿気を含んだ熱に包まれた。出しっぱなしにされているスリッパに足を突っ込み、重たい籠を下ろす。ろくに風も吹いていないけれど天気も良いし、朝でこの気温なら2時間もすればほとんどの洗濯物が乾くだろう。視界の上の方で大きな入道雲がのんびりと移動しているのが見えた。リビングのテレビから聞こえる天気予報では、最近変わったらしい初々しいお天気お姉さんが、今日は新月だからナントカ座流星群がよく見えると元気よく話している。星と聞くと中学生の頃に流行った、朝には似つかわしくないアップテンポな曲が頭に流れ出す。あの曲が入ったアルバムをMDに落としてよく聴いたな、とポケットに突っ込んでいたスマホを操作して赤ともピンクともつかない音符のアイコンをタップして検索する。すぐに出てきたその曲を自分だけに聞こえるぐらいの音量で流しながら、室外機の上にスマホを置いて洗濯物を干す作業を再開した。

着古してすっかり色落ちした寝巻きがわりの水色のTシャツ、最近買い替えたばかりのまだふかふかのバスタオル、名前さんお気に入りの某ブランドのTシャツは裏返しで。洋服をハンガーに通すときはちゃんと下からくぐらせるようにと、一緒に暮らし始めた頃は何度怒られただろうか。じんわりと額に滲む汗をそのままに、懐かしい歌を口ずさみながらもくもくと洗濯物を干していると、寝室の方から聞こえてきたのんびりした足音に振り返る前に背中にぶつかるやわらかい感触。

「おはよ」
「…おはよう」
「声やば」
「誰のせいだと思ってんの」
「隣から壁ドンされなかったのが奇跡だよな」
「ねぇ、ほんと最低」

ごめんって、と頭に手を乗せると掠れた声で「その歌懐かしいね」と小さく笑ったのが背中越しに伝わった。ぎゅっと腰に回された腕は毎日せっせと日焼け止めを塗っているだけあって未だに真っ白だ。いっそ不健康なほどである。薄っぺらいキャミソール越しに押し付けられた柔らかいそれに思わず反応しそうになるのは、男に生まれた以上は仕方のないことだと開き直る。つーかノーブラでベランダ出て来んのはやめてほしい。

「おーい、千冬さん?」
「なに?」
「なにじゃなくて、手」
「だめ?」

だめだよ、と苦笑いする名前さんの柔らかい膨らみから大人しく手を退けると「千冬くんっておっぱいすきだよね」と言われたけれど、その言い方には語弊があると思う。そりゃおっぱいは好きだけども、その持ち主がいちばん重要なワケで。

「別に、誰でもってわけじゃねーし」
「でも大きいのすきでしょ?」
「それはそう」
「正直」

続きは夜にして、と頬に唇を寄せてきたあざとい彼女を有無を言わさず再びベッドに連れて行ってやろうかと思ったところで、さっきの天気予報でお姉さんが言っていた言葉を思い出す。

「そういえば今日流星群が見えるんだって」
「えー、都内じゃ無理じゃない?」
「名前さんの地元ぐらい田舎ならきれいに見えそうだけど」
「……わたしの地元バカにしてる?」
「冗談だって」

何度か行ったことのある名前さんの地元は東京から新幹線と在来線を乗り継いで2時間半ほどかかる、まぁそれなりの田舎だ。生まれてこの方都内以外に住んだことのない俺にしてみれば、田舎の夕焼けや田畑が広がる景色に東京にはないノスタルジーを感じてみたりして。老後は移住してもいいかも、と何の気なしに口にしたら「絶対やだよ。するなら1人でして」と本気で嫌そうな顔をされた。名前さん曰く、田舎暮らしには都会にはない面倒があるらしい。

「なー、夜星見に行かない?」
「午前2時の踏切に望遠鏡担いで?」
「いや、普通に車で」

俺のスマホから流れ続ける歌の歌詞を楽しそうに紡ぐ名前さんにそう提案すると「いーね、行きたい」と言ってリビングに戻った。

「でもその前に予備知識欲しくない?」
「予備知識?」
「プラネタリウム行きたい」
「いいじゃん」
「ついでに買い物もしたい」

昨日の夜からテーブルに置きっぱなしにされていた名前さんのスマホでスカイツリー、プラネタリウム、と検索していたから恐らくこっちが本音だろう。数日前から新しいサンダルが欲しいと言って、ショッピングアプリで気に入ったものに片っ端からハートマークをつけていたことを思い出す。長い買い物に付き合わされるのは勘弁してほしい。洗濯物を干し終えて名前さんの後を追いかけるようにリビングに戻ると、エアコンの風が汗をかいた身体を冷やした。あ、食パン冷蔵庫入れっぱなしだ。

「いいけど、買うもん決めてからにして」
「それができたら苦労しないんだよね」

キッチンに向かい、冷蔵庫から先程の食パンを取り出すと、後ろから覗いてきた名前さんが「やった」と嬉しそうに頬を綻ばせた。かわいい。切り分けたバターを温めたフライパンに滑らせると、途端に立ち昇る匂いが食欲をそそった。卵液を十分に吸い込んだ食パンをフライパンに乗せてもう一度レシピを確認する。あとは焼くだけ?めっちゃ簡単じゃん。と思ったけれど、多分次にこれを作るのは数ヶ月後だろうな。料理を作っても後片付けをせずに放置して怒られる、というのも既に何度も経験済みなので、めんどくさくならないうちに洗い物を済ませた。

隣でアイスコーヒーに大量の牛乳をぶち込みながら「買い物中は別行動でいいよ」と言う名前さんが俺を見上げてにやりと緩ませた頬を、まだ濡れたままの手で痛くない程度に抓る。いひゃい、と言われてすぐに離したけど、俺が嫌がるの分かってて言ってんのバレバレだから。全てを見透かしたように目を細めて「かわいい」と笑った。

「だーかーら、可愛いは嬉しくない」
「そういうところだって」
「昨日の名前さんのがかわいかったじゃん」
「ばか」

無理やりベッドに引き摺り込まれたにしてはえろい下着を着けていた名前さんも、しっかりそういうつもりだったらしい。昨夜のいつになく積極的な姿を思い出して、今度はこっちが頬を緩ませる番だった。綺麗に焼き色のついたフレンチトーストを皿に移す。するとすかさず横から「粉糖かけたい」と言われた。

「ふんとうってなに」
「粉砂糖」
「あんの?」
「あるよ」

戸棚を漁った名前さんが小麦粉みたいな白い粉を取り出して、茶漉しを使ってそれをふりかけた途端にお洒落度が倍増した。それを見て「カフェのやつみてー」と言えば「ふふ、でしょ?」とちょっと得意げなのがかわいい。

「今日、この前千冬くんに買ってもらったワンピ着ようかな」

口の端に付いたメープルシロップをぺろりと舐めた名前さんが言った。取り分ける皿を出すのが面倒で、せっかくカフェみたいに飾り付けたフレンチトーストを2人で両側から突きながら食べた。この前2人で買い物に行ったときに見かけた淡いブルーのワンピース。あれもこれもといつまでも悩む彼女に付き合うのに疲れて「さっきのが1番似合ってたから、あれにしよ」と無理やり切り上げさせるために俺が買ったワンピースだ。「そういやまだ着てんの見たことない」と言えば少し照れくさそうに「勿体なくてまだ着れてない」と笑う。こんな可愛い顔してそんなことを言うのなら、もっとちゃんと選んであげれば良かったと思った。

ちょっと早く起きた休日の朝、窓の外に目をやると2人分の洗濯物と相変わらずゆっくり動く入道雲。やっぱりろくに観ないテレビはいつのまにか消されていた。茹だるように暑い外と違い適温の室内、彼女のためにせっせと作ったフレンチトーストの上で少し溶けた粉糖。嬉しそうにそれを頬張る彼女に、胸の奥がやけにむずむずした。幸せって、多分こういうこと。恥ずかしいから言わねーけど。
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夢の通い路