夢を見るのは自由だよと君は哂った



 Mr.Sのミステリーショップで購入したケーキの入った真っ白い小箱を持つ。その小箱を両手で大事に抱きしめながらミステリーショップの前に設置してあるテラスに座る。ミステリーショップに集まる生徒達の喧騒をBGMに私は箱の中身を取り出す。季節限定の大きな栗の渋皮煮が飾ったモンブランケーキに頬が緩む。それから一緒に小箱の中に入っていたプラスチックのフォークを持ち、いただきますと小さく呟いた。まずは一口、くるくると巻かれているモンブランにフォークを伸ばす。栗の素朴な甘みと邪魔をしない甘さ控えめの生クリームが絶妙なバランスの味わいが舌に伝わる。幸せ。この一言に尽きる。

「あ!監督生さんだ!こんにちは」

 かわいらしい声が少し離れた場所から聞こえた。もうすっかり聞き慣れた呼び名に私はフォークを持ったまま顔を向ける。同級生や先輩達と比べると幾分か幼い顔立ちをした彼はにこにこと笑顔を浮かべながら私の座るテラスへやってきた。

「こんにちは、オルトくん。オルトくんもお買い物に来たの?」

「ううん、違うよ。僕はお散歩に来たんだ」

そう返しながら彼は私に断ることもなく私の向かいの席に座った。テラス席のテーブルはあまり大きくはないので向かい合わせに座ってもわりと相手との距離が近いなと思う。

「もうすっかり秋だから景色を楽しもうと思って。この辺りはだいぶ紅葉が進んでいるしね」

この辺りはミステリーショップを囲むように木々が生えている。葉の色は赤や黄に変わってはいるが、まだそんなに葉は落ちていない。確かに、今が見頃だ。

「ちょうどいい頃合いだね。オルトくんのお散歩のタイミングが合ってよかった」

会話してから私は再びモンブランケーキを一掬いして口に入れる。この生クリーム、砕いた栗が入っている。スポンジからも栗の香りが口いっぱいに広がった。このケーキ、贅沢にも栗尽くしだ。

「おいしい?」

私の様子をじっと観察した彼がこてんと首を傾げて問う。まるで幼い子供が目の前でケーキを食べられる様を見せつけられているような錯覚がして私は思わず罪悪感を感じた。

「おいしいよ」

「もう!急に表情を引き締めないでよ。せっかくかわいいお顔してたのに」

ぷりぷりと頬を膨らませる彼に私は眉を寄せる。すると、彼はさらに抗議してみせた。

「僕のことは気にしないでいいよ。そのうち、経口摂取機能を兄さんに取りつけてもらうから」

「それじゃあ、遠慮なく」

食べられないヒューマノイドを目の前に私一人で再びモンブランケーキを食べ進める。大きな栗の渋皮煮をフォークに刺し、口に入れた。口いっぱいに広がる栗の上品な甘さに自然と頬が緩んでいく。彼の視線は紅葉を見るわけではなく相変わらず私に向いていた。

「かわいいなあ、名前さん。とっても幸せそうだよ」

にこにこと彼の目尻が下がる。周りから呼ばれる監督生ではなく私の名前をするりと口にする彼に私は曖昧に笑みを浮かべるしかない。

「ありがとう、かな?」

一方彼は、私の返事に再び不満そうな顔をする。ずいと少しだけ身を乗り出した彼は内緒話をするように声を顰めて言った。

「名前さん、いつか制服デートがしたいって言ってたでしょう?だからね、夢を叶えにきたよ」

彼の格好は確かに制服を模したギアだ。ちなみに、只今の時間は平日の放課後なので私はいつもと同じように制服である。

「制服デートがしたいってオルトくんに話したことないけど」

苦笑いが溢れる。しかし彼は私の反応なんか気にせず自身の綺麗な指を折りながら自信満々に言ってのけたのだった。

「僕、名前さんのことだったらたくさん知ってるよ。制服デートに憧れていることもそうだし、好きな食べ物や苦手な食べ物も勿論。他には好きな異性のタイプがバルガス先生みたいな人のくせに、実は王子様に憧れていることも」

「その情報、どなたから提供されているの?」

「内緒」

えへへと言いつつ彼は人差し指をマスク型の部品の上から唇に当てる。真ん丸とした大きな瞳は今は意地悪に細められた。あざとくてかわいい彼には情報提供してくれる生徒達がたくさんいるのだろう。だから、困る。

「それなら、どうして私のところへ来るの?」

我ながら意地の悪いことを言っているのを理解している。棘のある言い方に罪悪感を覚えながら私を真っ直ぐに見つめる彼からそっと視線を外す。だけど彼は何てことないように口にするのだ。

「もう、意地悪だなあ。また僕に言わせたいの?名前さんのことが好きだからだよ。ってさ」

にこりと目を細める彼を見て、私は口を引き結ぶ。私は何度目になるか分からない返事を頭の中に浮かべつつ、口には出さなかった。

「イデア先輩に刺されそう」

「また話を逸らしちゃうんだから」

私はつい眉を寄せる。返事をしたところで無意味だ。そもそも私はこの世界の人間ではない。確かな未来を約束できないくせに、彼の期待に応えてはならない。

「僕、名前さんのことならたくさん知ってるって言ったよ」

彼がずいと再び身を乗り出した。今度は少しばかりではなくしっかりとこちらに身を寄せている。

「知ってはいるけど、全てじゃない」

ぴしゃりと言い放った。なんて冷たい言い方だろう。それでも、彼がこれ以上踏み込まないように。私ができることは彼が私を嫌うことだけだった。

「うん。そうだね」

少しだけ彼の声音が沈んだ。自分で言ったくせに胸が詰まる。身勝手な自分に辟易しながら私は残りのモンブランケーキを口に入れた。相変わらず、おいしい。こんな時でもおいしいこのケーキが憎い。

「そういえば、名前さんは知ってる?」

唐突に彼の声が明るく弾んだものになった。話題を変えたと思いながら彼を見ると、彼の目尻が再び下がった。

「言葉が少ないだけで、名前さんがとても優しい人だって自分でちゃんと分かってる?」

想像もしていなかった話に面食らう。私は食べ終えたモンブランケーキの乗っていた一式を片付けながら考え込む。ついつい眉間に皺が寄っていく。

「そういうところ、分かりやすいよね。ほんの少しだけ兄さんに似てるよ」

頭の中に瞬時に彼の兄の姿を浮かべた。残念ながら私はあんなに色白の肌ではないしインドア派でもない。

「私にはパソコンと睨めっこは無理かな」

「確かに、名前さんはパソコンの画面の前でおとなしくサバゲーするよりリアルでライフルぶっ放して敵陣に突っ込むタイプだもんね」

「これ私貶されてない?」

「え!褒めてるよ」

こてんと首を傾げる彼をさておき、私はごちそうさまでしたと呟いてからモンブランケーキのゴミを持って席を立つ。ミステリーショップの入口に設置されたゴミ箱に空になった真っ白い小箱を捨てる。それからテラス席に座ったままでいる彼の頭を無遠慮に軽く撫でてから口を開いた。

「制服デート、してくれるんでしょう?」

彼の真ん丸の目が大きく見開かれる。それからきゅっと瞼を閉じた。

「そういうところだよ。無自覚さんめ」

恨めしそうに呟いた彼は私の手を取りながら席を立つ。宙にふよふよと浮かんだまま進む彼に手を引っ張られた私も歩き出した。


 何処へ向かうとかは決めていない。私よりほんの少しだけ大きい彼の手と繋ぎながら当てもなくぶらぶらと歩いていく。宙に浮かぶ彼の代わりに時折落ちる枯れ葉を私が踏みしめ、空を飛べない私の代わりに彼が秋の風に吹かれながら感じてくれている。
 のんびりと進んでいると陸上部員で賑わう運動場へ辿り着く。白線を引いたグラウンドで準備体操をしていたデュースとジャックが私達に気がついてこちらに走ってきた。

「あれ?おまえ今日はミステリーショップの限定品買いに行くって言ってなかった?」

私と彼の顔を交互に見るなりデュースが首を傾げる。それを聞いたジャックはああと思い出したように口を開いた。

「あの例の放課後限定で僅かしか販売されない幻のモンブランケーキってやつか」

「うん。すっごくお値段よかったよ」

私の返事にマジかとデュースとジャックがあんぐりと口を開ける。私はつい苦笑いを浮かべた。

「たまにはいいじゃない。って、イデア先輩にごちそうになっちゃったの」

「え?僕、兄さんから聞いてないよ?」

「てっきり、知ってるからテラスに来たのかと思ってた」

デュースとジャック以上に彼が大層驚いた表情を浮かべた。
 そもそも私があの場所でモンブランケーキを食べていたのは昨日生身のイデア先輩がめっちゃくちゃ吃りながら廊下にいた私に押しつけるように予約と売却済みのモンブランケーキのチケットを渡してきたのが原因だった。まさか、弟の彼すら知らなかったとは。とはいえ、もしかしたら弟の恋の後押しってやつを兄は私にしてきたのかもしれない。あの雰囲気から察するに、とっても勇気を振り絞って。
 きゅっと握り直された手に彼を見ると彼の目つきがすっと鋭くなっていた。私と同じように彼の表情に気がついたデュースとジャックは硬直する。ビーム出しそうでちょっと怖い。

「兄さんからでもダメ。嫉妬しちゃうなあ。名前さんにあんなにかわいい表情をさせるだなんて。僕からプレゼントしてあげたかった」

「かわいい表情?名前が?」

「ぜんっぜん想像つかねえ」

ひそひそと失礼なことを二人が言っている間にも彼の胸の位置にある炎と髪色が青色から変化していく。なんかまずい雰囲気を察したデュースとジャックは私に目配せした。なんとかしろと言わんばかりに。思わず私は小さく息を吐く。イデア先輩に対して嫉妬されても困るのだけど。

「でも、そのおかげでオルトくんと制服デートできたんだよ。ね?」

ぴくりと反応した彼が私を凝視する。それからぱっと表情を明るくさせながら大きな目を細めた。

「うん!兄さんに感謝しなきゃ!」

彼の変化にデュースとジャックがあからさまに安堵した表情を浮かべた。すると、彼が二人に視線を向けた。

「ところで、僕達デート中なんだけど?」

再び彼の目がすっと細められる。びくりと肩を揺らしたデュースとジャックはすぐに私の顔を見る。目が合った私は二人に苦笑いを浮かべながらばいばいと空いている方の手を横に振った。

「わ、悪かったな!オルト!それじゃあ二人とも!デート楽しんで!」

「お、おう!また明日な!」

たっぷりの動揺を見せつけたデュースとジャックはダッシュでグラウンドに戻り物凄い勢いでクラウチングスタートを切った。残された私がぼんやりとそれを眺めているとかわいらしい顔立ちが下から覗き込んできた。

「デート中だよ。他の男なんかより、僕を見てよね」

きゅるんと動く大きな瞳に私は眉を下げる。誰かに好かれるというのは大変だなと思った。


 再びのんびりと進み、メインストリートへやって来た。この場所はだいぶ落ち葉が増えている。グレートセブン像を一つ一つ眺めては彼の解説に耳を傾けた。全ての像の解説が終わったあと、彼がくるりと私に振り向く。ふと、寂しそうに瞼を伏せた。

「名前さん、楽しくなさそう」

「そんなことないよ」

「だって、名前さんの心音、全く変わらないんだもん。ヒトは恋人と一緒に手を繋いだりデートしたりする時、心拍数が急激に増える生き物でしょう?」

彼の言いたいことは分かる。私の心臓がどきどきしないのは彼が生身の人間ではなくヒューマノイドだからと思っているのだろう。ほら、だから彼は私を好きになってはいけないのだ。現実を突きつけられて傷つく彼がかわいそうだから。

「ねえ、オルトくん。私といても幸せにはなれないよ」

もう何度目になるか分からない言葉を口にした。
 最初は無邪気に大好きと言われるだけだった。それがいつしか好きだよに変わり、最近は開き直ったように愛してると言われるようになった。断っても、否定しても、冷たく返しても、真っ直ぐに好きだよと私に伝えてくる彼に、胸が詰まる。早く、諦めてくれればいいのにと私はもうずっと願っている。
 口を引き結んで彼を見る。大きくて真ん丸の瞳が私に向けられる。繋がれた手がゆるゆると動き、指が絡む。絡められた指に力を入れてしまう私はずるい人間だ。

「僕、名前さんのことならたくさん知ってるよ」

テラス席で言った言葉をまた言われた。私はうーんと思いながら眉を寄せる。彼は目を細めてみせた。

「名前さんがとても優しい人だって知ってるよ。異世界人である名前さんはいつか異世界に戻るし、ヒトである名前さんにはいつか必ず死が訪れる。いずれにせよ僕は必ず名前さんに置いてかれる存在だ。それを、心配してくれてるのも分かってる」

ぴくりと私の頬が動く。絡めた私の指が僅かに震えた。でも、彼は震える私の指を逃がさないとばかりに自らの指に力を込める。相変わらず体温を感じないつるりと滑らかな指だった。

「だけどね」

彼が言葉を続ける。私は口を引き結んだまま彼を見る。彼は少しだけ瞼を伏せ、再びゆっくりと開いた。

「もっと欲しがってよ。もっと欲張りになってよ。いつかのことなんて考えないで、今だけでもいいから、僕を求めてよ」

私に言っているようで、彼自身に言っているような気がした。確証はないけど、なんとなく、ゆらゆらと揺れる彼の大きな瞳を見つめてそう思う。私は瞼を伏せる。ゆっくりと息を吸った。秋の冷たい風が鼻の奥につく。そのせいで、肺が苦しくなった。

「私はとっくに欲張りだよ」

瞼を開けて彼を見る。彼がきゅるんと瞳を動かして私を凝視した。私はやんわりと頬を緩める。それから絡めた指をほんの少しだけ動かした。

「オルトくんのことを突き放すくせに、手を繋ぐことすら拒まない」

 私だって、オルトくんのことが好き。弟みたいで大好きというわけではない。異世界人のくせにこの世界のヒューマノイドを愛してしまった。
 彼が目尻を下げた。それはそれはとてもかわいらしくにこやかに。

「それが欲張りなの?僕にとってはちっとも欲に思えないけどね」

えっへんと彼が強気になった。一方私はそろそろ寒いなあと思いながら辺りを窺う。暗くなりつつある夕空に今日の夕食の準備を思い出した。だから、気がつかなかった。無邪気な瞳が悪戯に満ち溢れたことを。

「僕にはいっぱい夢があるんだ。口を隠す部品を兄さんに黙って好き勝手に外せるようになったら、名前さんといつでもキスがしたい。人目を憚らず路チューだってしたい。経口摂取が自由にできるようになったら、名前さんと一緒にモンブランケーキが食べたいなあ」

へえーと話半分で聞いてから彼に視線を戻した。何故だろう。今、聞いてはいけないことを聞いた気がする。そんな私に構わず彼がさらに口走った。

「この身体も大人のヒトみたいに大きくしてみたいし、大きくならなくてもいいから名前さんとキス以上もできるようになりたい。名前さんに僕がかわいいロボットの男の子ではなくかっこよくて逞ましいロボットの男性だって分からせてやるんだから」

ん?今気のせいかな?と思いつつ彼のかわいらしい顔を凝視する。目の前でえへへと笑う彼を見るとなんだ気のせいかと私の脳が強制的に処理した。

「待って待って待って。いや、待って。本当に待ってね。え?あれ?まさか、そんなはずは。いやいやいや」

「名前さんの心拍数が急上昇中!とっても取り乱してるね!僕、初めて見た!狼狽える名前さん、すっごくかわいいなあ」

動揺しない人間はまずいないだろう。彼の兄も今の発言を聞いたら青白い顔がさらに真っ青になって確実にぶっ倒れる。と、思った瞬間、ガシャーン、と鳴った。私達から数メートル離れた場所にいた噂の彼の兄の足下にはイデア先輩の分身ともいえるタブレットが落下し、液晶画面にひびが入っていた。

「そんな。まさか。オルトが。嘘。嘘だ」

両手を合わせてがたがたと震える生身のイデア先輩の反応に私でさえも同情する。だって、例えるなら、近所に住むかわいがっている小学生の男の子の頭の中がエロ漫画で詰まっていたわけだし。

「あ!兄さん!あのね、」

動揺しまくる兄をさておき彼はたった今私に言ってのけた夢とやらをイデア先輩に改めて口走った。いや、本当、やめてあげて。

「兄さんなら僕の夢、叶えてくれるよね?」

純粋無垢に訴える彼の隣で私はイデア先輩に目配せした。絶対にやめてね。ね?おわかりだね?という思いをしっかりと込めて。

「うっわ。オルトの願い叶えないと拙者ビームで撃破されそうですしもし叶えたら名前氏から首をはねられそうですしというか頭の中に何故かリドル氏がちらついてきて拙者のライフが削られまくるんですが。何これ?どっちについても拙者に得はないうえに死あるのみとかつらすぎてやばい」

涙目でぶつぶつ早口で呟く兄に対して彼は小首を傾げて不思議そうにしている。一方私は苦笑いを浮かべながらもう一度彼の手を握り直した。
 欲張りな夢でもいいか、今だけなら。そう思った私の頬が自然と緩んでいた。


(お題:chocolate sea)


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夢の通い路