あの頃のまま、という残酷さ



「また別れたの? ウケる」
「ウケねーよ馬鹿」

ずずず、と不機嫌そうにフラペチーノを啜る目の前の男は、なんでもつい1週間前に彼女と別れたらしい。「付き合ったのいつだっけ」「半年前」「短っ」腹を抱えて笑ってやれば、時重はフンと鼻を鳴らしてテーブルに頬杖をついた。

一体全体どういう訳か、この男はそれなりにモテるらしい。というのも、いつもすぐに彼女ができるのだ。そしてすぐに振られる。年に2、3回訪れるこの一連のイベントは、彼には悪いが私の楽しみの一つとなっている。もちろん彼が振られてナンボなので、彼女ができた云々の時点では面白くもなんともないのだが。

ただまァ「3ヶ月未満」「うーん、クリスマス前に別れる」「5月の連休明けかな」なんて予想を立てるのはそれなりに楽しい。完全な当てずっぽうなので当たることは殆どないけれど。彼が今しがた飲み干したフラペチーノだって、今回の賭けに負けた私が奢ってやったものだ。秋の新作、マロン味のそれは彼曰く「甘すぎる」。よくもまぁ人が買ってやったものにいけしゃあしゃあと文句を言えるものだ。もっと美味しそうな顔しろよ馬鹿、とは思うけれど、彼には随分楽しませてもらっているのでそれでチャラにしてやろう。それと多少なりとも傷心中であろう彼を、一応は慰めてやる気持ちも添えて。

「で、今度の理由は何?」

そう言ってアップルパイの最後のひと口を放り込む。林檎の酸味よりもカスタードの甘さが少し勝るそれは、一緒に買ったアイスコーヒーとの組み合わせがぴったりだった。いつもはシロップを入れる派だけれど、今回は入れなくて正解だったな、と内心独りごちる。

「看病しに行ったら振られた」
「ハハ、なにそれ。激辛カップ麺でも買っていった? それか首にネギ巻くタイプの看病だったとか」
「そんな訳ないでしょ。ポカリとゼリー持って行ってお粥まで作ってやったよ」
「あらやだ甲斐甲斐しい。なんでそれで振られるの」
「シラネ、『もっと心配して欲しかった」だってさ。これ以上どうしろって言うんだよ」

イライラした様子で貧乏揺すりまで始めた時重に曖昧な笑みを返す。随分と我儘な女に当たってしまったのもあるだろうが、この男をよく知っているが故になんとなく彼女の気持ちも分かる。きっと極淡々と、事務的に看病してやったであろうことが容易く想像出来るのだ。たぶん看病としては完璧で、否、完璧すぎるというか。心配してオロオロするだとか、同情して背中をさすってやるだとか、そういう彼の姿はとんと思い浮かばないのだ。助言さえすればそれらも(内心渋々と)やってのけるのだろうが、それを教えてやるつもりはない。だって時重にはそのままの彼でいて欲しいから。

「ふふ、相変わらずで何よりだよ」
「ハァ?」
「時重が長続きするの想像できないし」
「うるさい、お前なんか彼氏もできないくせに。ブースブース」
「うっざ、このハゲ」

くだらないいつもの軽口を交わしたのちに、少しだけ残っていたコーヒーを飲み干す。溶けた氷のせいで随分と味が薄くなっていて、もはやコーヒー風味の水みたいだった。「そろそろ出よっか、ちょっと買い物付き合ってよ」そう言って彼の返事を待たずに立ち上がる。そのままダストコーナーへと向かえば、彼は黙ってその後ろを着いてきた。

「わ、寒。秋どこ行ったー?」

店を出てすぐ、冬の訪れを感じさせる風に晒されぶるりと震える。暦の上ではまだ秋だと言うのに、今年も去年と同様早急に衣替えをする必要がありそうだ。

「何買うの」
「冬用インナー」
「あー、僕も買っとこうかな」

お目当ての店はここから歩いて十分もかからない。そのまま2人並んで歩いていれば、すぐに体は温まった。じっとしていると寒いけれど歩くと暑い、なんとも体温調節の難しい季節だ。羽織っていた薄手のカーディガンの袖を捲れば、ひんやりとした風が優しく私の腕を撫でていった。

上を見れば少し前まであったはずの入道雲はすっかり姿を消して、空がいつもより高いように思えた。秋の空がそう見えるのは空気が澄んでいるからだ、と教えてくれたのは教師だったか、親だったか。いや、毎朝お目にかかるあの気象予報士だったかもしれない。ぼんやりとその人の喋る姿を思い浮かべていれば、ふとつい最近テレビで見た内容が頭を過ぎった。

「そういやテレビでやってたんだけどさ、人の性格って遺伝と環境どっちの影響が強いと思う?」
「⋯⋯遺伝?」
「ブー、環境だってさ。6割から7割って言ってたかな」
「へー⋯⋯、ていうか急になんの話?」
「性格の話」
「そういうことじゃなくて」
「ええ、おもしろくない?」

つい先日、つけていたテレビからたまたま流れてきたその内容に私はついつい見入ってしまった。

―――ああ、どおりで皆ちょっと同じでちょっと違うのだ、と。

単に優しい上司となってしまった鶴見部長も、何かと面倒見のいい月島課長も、丸くなったなぁと思うと同時にどうしても物足りなさを感じてしまう。あの頃に見ていた彼らは、あの時代のあの環境だったからこそ形成されたものだったのだ。ドラマチックな言い方をすれば、悲劇が彼らを生んだ、といったところか。それでいくと今の彼らがあることは喜ばしいことなのかもしれない。それでも、どうしても、私は寂しさを感じてしまうのだ。

「ちょっとボタンの掛け違いがあったら全然違う人になってたかもって考えたらさ、なんかおもしろいじゃん」
「⋯⋯そう?」
「鶴見部長が狂気じみてたり、月島課長がロボットみたいだったり、尾形が一匹狼の嫌な奴だったり」
「百之助だけそのままじゃん」
「もっとだよ。もっと嫌な奴」
「ええ、あれ以上?」
「うん、あれ以上」

「あれ以上」を想像したのか、時重は分かりやすく嫌そうな顔をした。「今より友達減るんじゃない」と彼は言う。むしろ友達のいる今の彼の方が私にとっては新鮮なのだけれど。兎にも角にも、そんな具合に皆あの頃とは少しずつ違っているのだ。それは多分、世間的には良い意味で。

だけどただ一人、時重だけは昔のままだ。私はそれに酷く安堵している。相変わらずどこか感情が欠落している様を垣間見る度に、不謹慎ながら私は懐かしさと共に喜びを感じてしまうのだ。

「時重はきっとどんな環境でも時重のままだね」
「何それ、褒めてんの貶してんの」
「両方」
「うざ」

あはは、とひとつ笑ってはたと歩みを止める。右手で指鉄砲を作って、数歩先に行った彼の背中にとんっと指先を押し当てる。

「バァン」
「⋯⋯ハ? 何?」

戸惑った様子でこちらを振り返った時重に、ニヤリと笑う。

「そろそろ思い出さないかなぁって」
「え、こわ。何を?」

若干引いている様子の彼を他所に、止めていた足を動かして「なんでもなーい」と追い抜いた。

「⋯⋯なんか今、百之助が頭に浮かんだんだけど」

今度は私が彼を振り返る番だった。戸惑った様子で胸に手を当てて「すげぇ嫌な顔して笑ってる百之助」と付け加えた彼に、思わず目を丸くする。

「いつものあれ以上?」
「ウン、あれ以上」

「あ、なんか腹立ってきた」と零した彼に笑ってしまう。尾形には悪いが、これも因果応報というやつだ。まぁ、今の彼は知る由もないだろうが。

「前世で尾形に撃ち殺されたんじゃない?」
「はは、何それ」

彼は馬鹿らしいとでも言うように鼻で笑った。その笑い方だってあの頃のままだよ。ねぇ、宇佐美さん。
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夢の通い路