たぶん、君が初めての事だよ


 とある刀が修行の旅より帰還してすぐの頃であった。
 彼が不在の数日の間、出陣の命が下っていない内は近侍を務めていた、彼と同派の刀は言う。
「そういえば、今回の修行の間の主は、珍しく元気だったな。いつもなら、常本丸に居る筈の刀が一振りでも欠けようものなら“寂しんぼ”を発動させていたというのに」
「あ〜っ、言われてみれば確かにそうかもしんない……! いやはや、不思議な事もあるもんだ」
「ふふっ……流石は、大包平だ。あの寂しがりの主に、寂しさを与える間も無く帰ってくるとは……やはり、大包平は他の刀達とは一味違うという事だな」
 いつもの如く、ふらりと執務室に現れたかと思いきや、近侍役を代わるでもなく部屋に居座り、茶を淹れ始めた鶯丸。相変わらずのマイペースさで、何を考えているのか読めない。そして、口を開いたかと思えば、冒頭の会話であった。
 何気無く寄越された茶を受け取りつつ会話に応じれば、鶯丸は何やら愉しげに顔をにやつかせて言う。
「無自覚か……。相変わらず其方の方には鈍いようで、大包平も苦労するな」
「あの、御免……何の話?」
「ふふふっ、に分かるさ」
「いや、意味分からんし……」
 自分だけが分かった風な口を利かれて、よく分からぬ謎と蟠りを残していくのは止めて欲しい。率直に言って、微妙な心持ちである。
 まぁ、この刀にはよくある事なので、然して気にも留めないが……。
 そうこう他愛の無い会話をしつつ日常業務をこなしていると、不意に母屋の方からのしのしと歩いてくる足音が近付いてきた。この力強く床板を踏み締めて歩く歩き方をするのは、あの刀しか居ない。今しがたの話題に挙がった、彼である。
 程無くして、離れの間の戸が勢い良く開け放たれた。
「おい、鶯丸ゥ!! 貴様、畑仕事はどうしたんだ!! 今日は、この俺大包平と内番を任されていたのを忘れたとは言わせんぞ!!」
「うわ、お前またおサボりしに来てたんか……? 仕事はちゃんとしてくんないと困るぞーっ」
「ふっ……仕事というものは、休み休みやるもんだ」
「そんな屁理屈誰が聞くかっっっ!! ほら、さっさと立て!! 畑当番に行くぞ!!」
「ああ〜、ちょっと待ってくれ。せめてこの茶を飲み切ってからにしたい。でないと、せっかくの茶が冷めてしまうからな」
「此れ以上サボる気ならば、問答無用でへし切長谷部に報告するが、良いのか……?」
「おら、うぐ。早よ内番こなしに行ってやれ。大包平がおこだぞ」
「仕方がない。では、そろそろ自分の仕事を片付けに向かうとするかな」
「始めからそうしていれば良いんだ!! 始めからァ!!」
「大包平よ、声がデカイぞ。もう少しぼりゅーむを落としてくれ。間近でその音量は少し耳が痛い」
「誰のせいでこうなってると思っとるんだっっっ!!」
「大包平、どうどう……っ」
 度々煽り癖のある鶯丸(無自覚)に翻弄される兄弟刀の大包平には称賛を贈ってやりたい気分だと、此れまでの流れを横目に眺めて思う。
 一先ず、怒り心頭らしき彼を宥めてやるべく、一旦クールダウンを挟ませてやる事にした。朝からそんなに声を張っては咽が疲れたろうと、手短にあった空き湯呑みに茶を注いでやり、其れを差し出す。すると、真面目な男は、此れを素直に受け取り、言葉短めに感謝の言葉を告げて口を付けた。
 恐らく、此れを見越しての事だったのだろう。二つの湯呑みとは別にもう一つの湯呑みが用意されてあったのは。全く、用意周到過ぎる奴だ。
 しれっと元の位置に腰を落ち着けた状態で暢気に茶をしばく目の前の刀を見遣る。ジトリと向けた小さな非難の意の込もる此方の視線など、全く意に介さぬ様子で何気無く口を開いた茶っ葉色の刀は言った。
「嗚呼……そういえば、今しがたまでお前の話をしていたぞ」
「白々しいにも程がある誤魔化し方だな」
「まぁ、聞け。主の寂しがりな性格は、皆の知る話だろう? 誰かしらが修行の旅に出るとなる度に、毎度の如くショボくれては元気を無くしていたのも、最早通行儀礼のようなものだ」
「……さっきから何が言いたいんだ、お前は?」
「ふふっ、まぁそう急かすな。今回、目出度くお前も極の修行を終えて帰ってきた訳だが……その間、珍しい事にも、主はいつも通りに過ごしていた。此れがどういう事を指すか、分かるか?」
「単に慣れが出た事によるもの……という話ではないのか?」
「ぶふっ、……相変わらずお前も鈍い奴だ。確かに、其れはそうとも言えなくはないさ。何せ、かれこれ何十振りもの刀剣達の旅立ちを見送って来たのだからな。其れにも関わらず、毎度毎度ショボくれていたウチの主だが」
「回りくどいぞ。はっきりと物を言ったらどうなんだ?」
「仕方ない奴だ……。要するに、お前は他と違った意味でも主に愛されていた、という事だ。……此れで分かったか?」
「いや、全く分からん。つまりは、どういう訳なんだ……?」
 話の根底が見えないと首を傾げた横綱は言う。同じく、自身の名を出されているにも関わらず、全く意味の分かっていない審神者も同様な顔を浮かべて目の前の刀を見遣る。其れに対し、少なからず呆れた風な溜め息を吐き出してから、言った。
「ただの慣れならば、こうも気安くはならんだろう……。主も自覚は薄いが、少なからず、大包平に対しては他の者達とは異なる好意を向けていたという事だ。まぁ、故に、寂しさをも上回る信頼が期待という形で寂しさを埋めたんだろうな。つまりは、大包平、お前は修行に行かずともはじめから主に愛されていた、という事さ。良かったな」
「…………。今の話は、本当か……?」
「えっ!? ……や、まぁ……たぶん、今うぐが言った通りなんだと思う、よ…………? 自分でもよく分かってなくて、うぐに言われて初めて理解した感じだから何とも言えんが……」
「まぁ、主の自分自身の事についてが一番よく分かっていない件については、今更だがな」
「ははははっ……よく分かっておいでで」
「主の刀何年やってると思ってるんだ、全く……」
「何かすんません……っ」
 よく分からない謝罪を口にしつつ、再び湯呑みを手にする事で遣り場の無い感情を誤魔化そうとしていたらば、其れまで突っ立ったままであった大包平が静かに審神者と鶯丸との間の席へ腰を下ろした。そして、跪坐の時みたく礼儀正しく膝を下り、彼女の方へ真っ直ぐと向かい合い、口を開く。
「鶯丸の話が本当の事であるのなら、そのように主の信頼を賜れた事、誇りに思う。改めて、感謝の言葉を告げたい。有難う、主。その期待に応えられるよう、俺は此れまで以上に働き功績を挙げる事で応えとしよう」
「お、おぅ…………? 期待してるね……っ」
「嗚呼、存分に期待するが良い。――其れはそうと……鶯丸、」
「うん? 何だ」
「今ので畑当番が無くなった訳ではない事を忘れるなよ?」
「チッ……忘れてはくれなかったか。残念だ」
「寧ろ、何故今の話で内番を忘れていた件が帳消しになると思った!? サボり癖も程々にせんと主からも雷が落ちるぞ!!」
「えっ、いや、其処までは無いと思うけども……私が怒らずとも、先に怒る子等居ると思うし……っ」
「此奴に甘やかしは要らんぞ、主。俺よりも先に極めていながら、何たる体たらくだ!! 俺は認めんからな!! 遅れた分は仕事で取り戻せよ!!」
 急な空気の転換に付いていけず、半ば置いてきぼりを食らったかのようにポカンッ……としながら眺めていれば、とうとう部屋の外へ追い出された鶯丸。まぁ、仕事をサボったが運命だ。同情の余地は無いが、きちんと仕事をこなしてくれた後の褒美くらいは用意しておこうか。
 そんなこんな、中断していた仕事の手を再開させるべく端末へ向き直ったタイミングで、部屋を後にしたかと思った大包平が再び戻ってきて首を傾げる。
「あれ……どうしたの大包平? 何か忘れ物でもしたかね?」
「いや、そういう訳ではないが……」
 不意に、歯切れ悪く言葉を切った彼に珍しく思い、「ふむ?」と呟いて、つい先程までサボり魔の刀が座っていた座布団の席へ座るよう勧めた。大人しく腰を据えた大包平は、改めて口を開いて告げる。
「その、先程鶯丸がしていた話を詳しく知りたいと思ってだな……聞いても、良いか?」
「おやまぁ。そんな改まらずとも、別に大した話ではないと思うけれども」
「今、聞きたいと俺は思ったんだ。今を逃しては、なかなか聞けぬのではないかと思えたんでな」
「ふふふっ……お前とて、一人の男だったという事かね? ふふっ、他人の事言えないなァ、大包平も」
「ぐっ……そもそもが、遅れた彼奴が悪いんだ。先に仕事を進めていた俺からしてみれば、お咎めは免除されて当然なくらいだ!」
「分かった分かった……っ。――して、何から何処までを話せば良いんだ?」
「出来れば、俺が旅立ったその日から帰ってくるまでの間の事を……。いつもなら、修行で誰かが本丸を空ける度に寂しがりを見せていた主が、何故俺の時ばかりは其れを見せなかったのかを知りたい」
 内番の仕事を終えた後でも出来よう話を、今でなければ駄目だと乞う紅蓮の刀を見つめ、思わず漏れた笑みを隠しもせずに零す。
 どうやら、この刀は自分が思っているよりも真剣に捉えているらしい。そのギャップの差に少しばかり擽ったく思いながらも、乞われたからには応えてやらねばなるまいと向き合う。
「たぶん、お前が初めてなんじゃないかなぁ〜って思う……。こんなにも期待に満ち溢れて、胸がワクワクと躍って、興奮で眠れなかった事って。いつもなら、皆が言うように、誰かが本丸を空ける度に寂しさを覚えて不安を抱えてたと思う。……でも、大包平の時だけは違ったんだ。寂しさよりも遥かに期待値の方が上回って、どんな風に強くなって、どんな姿になって帰ってくるんだろう……って! 楽しみで仕方なかったのは、お前が初めてだよ、屹度ね。我ながら子供みたいだと思ったよ。姉に話した時もね、“遠足もしくは修学旅行前の小学生か”と笑われたんだよ? いや、本当マジな話でそうだから笑いを禁じ得なかったのだけどさ! ふはははっ……!」
 思い出し笑いを堪え切れずに笑って話せば、其れを聞いていた彼も表情を和らげて瞬く。
「其れ程にまでも楽しみにしていたのか……俺の帰還を」
「うんっ、めっちゃ楽しみに待ってたよ! だから、無事に修行を終えて強くなって帰ってきてくれて、凄く嬉しかった! 同時に安心感も抱いたみたいで、ホッとしたのを覚えてる。今でも忘れないよ。たった数日前の事でもね」
「お前の役に立てたらと、もっと強くなって此れまで以上にお前を支えられたらばとの思いで旅に出たが……結果、きちんと実りがあったと知れて、俺も嬉しく思う」
 鋼の如く冴えた色の眼差しが、真っ直ぐと審神者を射抜く。そして、徐に伸ばされた腕は彼女へと触れ、その掌は優しく頬へと添われる。
 眼差しも温度も、何もかもが物語っていた。愛しくて堪らないと……。
 柔く瞳を細めて微笑んだ彼は告げた。
「俺は、俺を愛してくれる者達に報いたい……ただ其れだけだ。お前は、この大包平の事を誰よりも愛してくれている。ならば、俺もその愛に応えるべく、誠心誠意を以て働かねばなるまい」
「ふふっ……例えば、どんな風に?」
「まず、お前の事を、一人の男として愛する権利を賜りたく」
 何処までも熱く真剣な眼差しが、既に答えを出していた。頬に添われた掌へ己の掌を重ねるようにして、応える。
「其れを許可する代わりの条件として、私の事を一生離さないって誓える……?」
「無論、そのつもりだ。俺以外の男に渡さぬよう、全刃生を懸けてでも愛し抜き慈しむ事を、この場にて誓おう。――この世の誰よりも、お前の事を愛している、名前」
「ふふふっ……私もよ。――この世の誰よりも、貴方の事を愛しているわ。私の大切な刀であり、唯一無二の恋刀ポジションを勝ち取りし、大包平よ」
「浮気は許さんからな……?」
「あら、其れは貴方とて同じ事ですよ? 我が君」
「ッ……! すまないが、なるべくならいつも通りで頼む……っ」
「あらあら、初心ですことっ」
「お前の刀として顕現したんだ、お前が唯一無二の初めてであって何が悪い……!」
「わざわざ私なんかを選ばずとも……他にも、美人で身持ち良さげな付喪神さんとか居たでしょうに」
「お前だけしか居ないと思ったからお前を選んだんだ! 文句があるなら、俺みたいな者に見初められるような立場に居た事を恨むんだな!!」
「文句なんて此れっぽっちもありませんて」
 仕事そっちのけで床へと押し倒された審神者は困ったように笑う。
「畑当番は良いのかい……?」
「今を逃せば、お前恥ずかしがって逃げるだろう……っ」
「ハハッ、よくご存知で」
「知らないでか」
 顎下を固定するかのように捕まえられ、性急に口付けられる。今更逃げようなどと此れっぽっちも思っていないのに。
 想いが通じ合えた嬉しさのあまりに、仕事そっちのけで睦み合うだなんて、後で他の刀にバレたらなんて言い訳しようか。意識は、目の前の事よりもそんな事を考えていた。
 あからさまに己だけに集中していない空気を悟ったのだろう。不機嫌さを露わに首筋へ噛み付いてきた紅蓮の横綱に、息を詰めて視線のみで抗議する。すると、彼は盛りの付いた雄宜しくギラついた目を向けながら言った。
「今は俺の事だけに集中しろ」
「でも、まだ仕事の途中なんだけど……」
「遅れた分は、後で俺が手伝ってやる」
「畑当番は……?」
「其れもちゃんと片付けてくる。……だから、今は目の前の事のみに集中しろ」
「んんっ……! 盛るのは結構だけれど、まだ昼間なんだからせめてキスまでに留めてよね? んむっ、……あと、跡付けるのも厳禁ね。隠すの大変だから」
「――なら、見えないところならば良いという事だな?」
「ちょっと! 其れは屁理屈ってもんで……ッ、――んにゃっ!?」
「良いから黙れ」
 横暴にも程があるとは思いつつも、好きな相手に求められる事を満更とも思わないのだから、同罪である。

 ――その後、宣言通り、彼は己の仕事へと戻っていき、己のせいで遅れた業務については無駄無き手付きで手伝う事で難無く片付けてみせたのだった。
 全く良く出来た男過ぎて自身には勿体無い限りだと内心思い抱く審神者は、彼の居ない処で密かにほくそ笑んでは明るい未来に思い馳せるのであった。
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夢の通い路