雨の似合う人


昼過ぎからぽつりぽつりと降り出した雨は、帰る頃には本格的な大雨になっていた。朝の時点では清々しいほどに晴れていたから「晴れのち雨」という予報を少しばかり疑っていたのだけれど、あのお天気お姉さんの言った通りになってしまった。荷物になるのが嫌だからと折り畳み傘にしたのは失敗だったようだ。鞄の中に仕舞い込んであるそれでは少しばかり心許ない。それくらい酷い雨だった。

正面に佇むカエデの青々とした葉に、大粒の雨が叩きつけるように降り注いでいる。カエデはまるでそれにじっと耐え忍ぶように枝葉を垂らしていた。その様子を昇降口の屋根の下でぼんやり眺めながら、帰ろうか、雨が弱まるのを待とうか、と2つの選択肢の間で揺れていた。これだけ雨足が強いとローファーは間違いなくぐしょぐしょになってしまうだろう。最悪明日の朝までに乾かないかもしれない。それはちょっと、困るなぁ。そんな事を考えていると、私のすぐ隣で誰かが立ち止まった。

「傘、ねぇの?」

ふと掛けられた言葉に振り向けば、そこには同じクラスの切島くんがいた。「入ってくか?」と続けながら、彼がバサリとビニール傘を広げる。いや傘は持ってるの、紛らわしくてごめん、そう伝えるよりも先にとある疑問が口をついて出る。

「……相合傘になっちゃうけど、いいの?」
「えっ……あっ!そっか!!」

かっと顔を赤く染めて慌て始めたことから察するに、どうやらその辺りはなにも考えていなかったらしい。中学3年生、多感な時期と呼ばれる年齢にある私達にとって相合傘とはつまり"そういうもの"。誰かに見られでもしたら、明日には噂話が駆け抜けるに違いない。いや、見られたその瞬間からメッセージが飛び交うことになるだろう。

「ごめん!これ!!今度返してくれたらいいから!」
「えっ?あ、私、」
「大丈夫!俺は走って帰るから!」
「いや違くて!待っ……!」

「私傘あるから」そう口にするより先に切島くんは土砂降りの中へと飛び込んでしまった。私の手に広げたばかりの傘を押し付けて。その背中を慌てて追いかける。

(はっや……!)

雨でひたひたになったアスファルトの上を、しぶきを上げながら必死に走る。あっという間にローファーもその中の靴下までもが濡れそぼって、地面を蹴る毎にビュ、ブヒュっと変な音を立てた。

男子と女子のスピードの差、そして体力の差。これは早いとこ彼を止めないと距離は開くばかりだろう。「切島くん!待って!」張り上げた声が届いたのか、彼はピタリと立ち止まってこちらを振り返った。視線がかち合うと同時に彼は「エッ」と目を丸めた。

「ど、どうした!?」
「わっ、私、……傘、あるから」
「えっ!」

はぁはぁと肩で息をしながら、既に全身濡れ鼠となっている彼に傘を傾ける。今更遅いような気もするが気休めくらいにはなるだろう。「ちょっと持ってて」と彼に傘を押し付けて、鞄の中からハンドタオルを取り出した。

「はい、顔くらいは拭けるでしょ」
「いやその、悪ィし……」
「いいから」

そう言って渡したばかりの傘を奪い取って、代わりにタオルを握らせる。彼は一瞬躊躇したのち「洗って返すから!」とようやく顔に滴る雨を荒っぽく拭った。それからタオルを顔に押し当てると「……ダセェな、俺」と小さく零した。

それになんと返事をすれば良いのかも分からず、慌てて言葉を探したけれど見つからない。おかげで一瞬気まずい空気が流れかけて、彼はそれを誤魔化すようにパッとタオルを取り払い「悪ィ、人助けのつもりが迷惑掛けちまった」と眉を下げて笑った。

「いや私が紛らわしかったから。ごめん」
「……なんか、空回ってばっかだ」
「うん?」
「こっちの話」

ぎゅっと眉を寄せたその表情は、なんだかとても苦しそうに見えた。そんな切島くんの様子にこの天気も相まって「青春ドラマみたい」なんてことを思う。同時に「雨の似合う人だな」とも。それも柔らかくて優しい雨じゃなく、今日みたいな荒々しい雨が良く似合う――――いやいや、悩んでいるであろう彼を前になんてくだらない事を考えているんだ、この薄情者め。そう思い直して慌てて思考を切り替える。

「何、気になるじゃん。言ってよ」
「言わねぇ!弱音吐くなんざ男らしくねぇだろ!」
「へぇ、弱ってんだ」
「……いや、今のは言葉の綾で……」

「まぁ言いたくないなら良いけど」と傘を返し、再び鞄の中を漁る。そうして今度は折り畳み傘を取り出した。カバーを外して柄を伸ばし、傘を開こうとする一連の動作を切島くんはどこか気まずそうな顔で見つめていた。私はそれに気付かない振りをして、というか気にしてませんよという顔をして、「切島くんてさ」と言葉を続けた。

「結構自分のハードル上げるタイプだよね」
「え?そんなつもりはねぇけど……」
「漢気がどうの紅頼雄斗がどうのっていつも言ってるじゃん」
「それはまぁ、理想っつーか憧れっつーか」
「それだよそれ。高い理想もつのは良いけどさ、押し潰されてちゃ意味ないよね」
「…………えっと、」
「自分が濡れてでも!って傘を貸せる人なんて早々いないんだからさ、もうちょっと自信もってもいいんじゃない?」

バサリ。開いた傘に途端に雨が弾けて激しい音がした。切島くんの傘の下から自分のそれへと移動したのちに「結局相合傘になっちゃったね」と彼を見上げれば、僅かに見開かれた目と視線がかち合った。少し照れているように見えるのは気のせいではないだろう。

「頑張ってね。雄英行くんでしょ」
「なっ、何でそれ知って……!!」
「女子の情報網舐めないでくださーい」
「……いや、つーか!志望校ってだけで!まだ行けるって決まったわけじゃ、」
「そんなの皆一緒だし」
「っ、そーだけど!!」

何故だか必死な様子の切島くんにふっと笑みが漏れて、それを見た彼がぐっと口を噤んだ。「ま、お互い受験がんばろーね」そう言って軽く手を振り踵を返す。

そうしてしばらく進んだのちに「苗字!!」と切島くんの声が飛んできた。背中越しに顔を向ければ「ありがとな!」と先程より随分とすっきりした顔で笑う彼がいた。

「受験!頑張ろうな!!」

そう言って拳を突き出す彼は、やっぱりこの大雨が良く似合っていた。
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夢の通い路