雨を疎う彼


「お前ってトリートメント使ってる?」

 ソファの前に座りテレビを見ている私に向かって春千夜は思いもよらぬ質問をしてきた。「はい?」と振り向くと、背後のソファで横になりながら私の髪に指を通す彼がいた。表情は至って真面目。まるで女子からされるような質問に戸惑いながらも、私は口を開いた。

「使ってるよ」
「どんなやつ?」
「どんなやつって…」

 ドラッグストアで売っているよくあるシャンプーメーカーが出してるトリートメント。本当はもっと高いサロン専売品とか使ってみたいけど、中学生の私には買えるわけない。こっそりお姉ちゃんのを使ってみて感動したけど、使ったのがバレて半殺しにされたから二度と勝手に使うまいと思ったのはほんの数日前のこと。

「ヴィダルサスーンの…」
「ヴィダルサスーンね…ふーーん」
「あれだよね、お風呂で使うタイプのことだよね?タオルで拭いた後使うタイプじゃなくて」
「は?二種類あんの?」

 春千夜はどうやらアウトバストリートメントの存在を知らなかってらしい。説明してあげるとマジかよ…と目を細めて呟いた。春千夜は変わっている。でも今日は一段と変わっている奴だなと思わされる。なんで私、男子とこんなトリートメント談義をしているんだろう。

「どうしたの?髪の痛みが気になるの?」
「場地がさ…キューティクルすげぇじゃん」
「え?うん」
「トリートメント何使ってんのか聞いたら石鹸って答えやがった」
「ぶっ」
「試してみたらすげぇ髪ギッシギシのバッサバサになりやがった」
「そりゃそうでしょうよ」
「挙げ句の果てに連日雨だから髪広がりまくるし」

場地殺す、と言いながら春千夜は自分の髪を触り出した。私とほぼ長さの変わらないその髪に私もそっと指を通してみたが、たしかにギシギシだった。石鹸って答えた場地くんも、信じて本当に試してしまう春千夜もおかしくて思わず笑ってしまう。テメェと睨んでくる春千夜のその顔すらおかしいし、愛おしい。

「あははっ春千夜アホすぎる!」
「ざけんな。場地もテメェも殺す」
「怖い怖い」
「つーかなんで雨ばっかなんだよ最近。萎える」

 雨の日に出掛ける用事(主に集会とか抗争とかマイキー君に呼ばれた時とか)があれば出掛けるが、春千夜は基本雨の日に外に行くことを嫌う。面倒だから、と言う彼の気持ちが大いに分かるから、私も雨の日はこうやって春千夜の家でのんびりテレビ見たり将棋やオセロしたり適当に過ごすことが多い。自分の髪をを今一度触りながら溜め息を吐く春千夜がなんだか可愛く見えて思わずその頭を撫でてしまう。

「なんだよ」
「春ちゃんかわいーね」
「どーも」
「あのさ、場地くんは確かにキューティクルすごいけどさ、そもそも彼は染めてないじゃん?それに比べ春千夜はブリーチまでしてる。そりゃ同じような髪にはならないよ」
「…まーな。でもお前だって染めてんのにオレよりキューティクルあるじゃん」
「私はブリーチまでしてないから」

 どれだけキューティクルに拘っているんだ、と心の中で笑いながら石鹸と湿度でバサバサになった彼の髪を触った。確かに痛んではいるけどこの長さでブリーチもしてればこんなもんなんじゃないだろうか。シトシトと雨音がする窓の外を見つめて少し考えた後、私は春千夜の腕を掴んで立ち上がった。

「買いに行こうよ、今なら小雨だし」
「やだよ、たりーし…」
「でもトリートメント欲しいんでしょ?」
「使ったってオレにはアイツみてぇなキューティクル出ねぇし」
「諦めたらそこで試合終了だよ」
「それ絶対ェ使い方ちげーだろ…」

 もう一度強めに腕を引けばどうにか春千夜は重い腰を上げてくれた。ダルっと言いながら立ち上がる彼に「髪結ぶからかがんで」と頼めば素直に応じてくれた。持っていた黒のヘアゴムで春千夜の肩までの長さの髪を一つに結ぶ。こうすれば少しバサバサなのも気にならないかと思って。

「よしできた。行こう」
「んー」

 怠げに玄関に向かう彼の後を追い、靴を履く。履く時に少しバランスを崩してしまい春千夜の腕に捕まると、わざと揺らして来るからなかなか足が靴に入らないしまたバランスを崩してしまう。春千夜はバーカって笑いながらそんな私を見ていた。

「春千夜が楽しそうにバーカって言ってるの、すき」
「へー。本当にバカな女だな」
「そんなバカな女が好きな春千夜が、すき」
「物好き」

 なんと言われようが罵られようが、私はこんな彼が好きだし、彼も私といる時間が好きなはずだからこうやってそばにいてくれるんだと思う。春千夜、って甘い声で名前を呼べば私の意思を汲み取ってそっと唇を合わせてくれる。以前、「出掛ける前ってなんとなくちゅーしたくなるんだよね」と言ったら「なんか分かる」と言ってくれたことがあって、それが私は嬉しかったしそれ以来習慣になっていることも嬉しかった。

「つか傘一本しかねぇじゃん」
「知らないよ。それ私が持ってきたやつだよ。春千夜自分の持ってないの?」
「ねぇよンなもん」
「仕方ない。入れてあげよう」

 一本の傘を取り玄関を出た。雨の日に春千夜と傘をさして出掛けることなんてそうないから、たとえ行き先が徒歩5分のドラッグストアだろうと私はワクワクした。春千夜がキューティクルのことを気にしまくっているのを思い出し笑いしながら歩いていると、キモっとまた酷い言葉を投げてくる。でも私はこの関係が好きだった。だから今後彼がどんな修羅の道を歩もうとも、私はこのままそばに居続けたい。

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夢の通い路