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大きな声が飛んで、会場内の熱気は最高潮に達した。点が決まった時の喜びの声援と、向かいの応援席で起こるどよめき。そして黄色い声援が上がるのを聴いた私は隠すことなく笑みを浮かべた。コートの中の元彼は冷静な顔を崩すことなく、沢山の仲間とハイタッチをしていた。どんなときだって冷静な元彼は、私が別れを告げたときも冷静だった。




「春高観に行ったよ。京治、かっこよかったね」
「観に来てたんですか?」
「うん。そりゃあ、京治が出るなら観に行くよ」

春高が終わり、高校生たちの冬休みも明けた頃、私は京治に連絡を取った。約一年ぶり。久しぶりに聞いた彼の声に懐かしさを感じ、そして電話番号を拒否されていないことに安堵した。

京治は私がまだ高校生だった一年前まで付き合っていた男だ。今はただの元彼。私の卒業と同時に一方的に別れを告げてそれっきり。あの時理由も聞かずに受け入れてくれた京治の顔を思い出すと、悪いことをしてしまった、と申し訳なく思う。なにせ、大人に憧れた私の感情に振り回されていたんだから。別れの理由は特になかった。私ももう大学生だし、大学生と高校生じゃ生活リズムも価値観も何もかもがずれる気がして何となく、ただそれだけの理由で。京治のことはちゃんと好きだったし、彼も私のことを好きでいてくれているというのはちゃんと分かっていた。でも本当にひっどい女。何でこんな女からの電話に出てくれたんだろう。

「来るなら言って下さいよ」
「言わない方がいいかと思って」
「そんなことないです」

謙遜してものを言う性格が相変わらずで、少し可笑しくなった。私より年下のくせに、彼はずっとずっと大人びていた。

「元気だった?」

京治と一緒に過ごしたあの頃を思い出しながら問いかけた。

「元気ですよ。名前さんは元気でしたか」
「うん、元気」

京治と出会ったのは偶然だった。同じ学校なんだから偶然も運命もあってたまるか、と思いつつも、過去の思い出に浸っている今の私には運命よりも偶然と表す方がしっくりくる。
三年間ずっと同じクラスだった男友達の後輩として名前だけは知っていた京治は、男友達が言っていた通りの男だった。「俺よりも落ち着いていて、大人びていて、俺よりも頭が良い。でもかっこいいのは俺のほうだけど」と、さも自分のことを自慢するかのように言った男友達の台詞を覚えている。後半の台詞にはどうしても納得出来なかったが、それでも男友達が話す内容からイメージしていた私の“赤葦”像にぴったりの男だった。
付き合い始めたのは私が告白したから。告白のきっかけは、私が話の流れで「京治くんが彼氏だったら嬉しいかも」と言ったことに対して彼が頬を赤らめたからだ。普段の振る舞いからは想像もできなかったその顔にどきり。「付き合おっか」って言うまでに10秒もかからなかった。付き合い始めてからは、年下で初心で可愛いらしい彼を大事にしていたつもりだった。でもそれ以上に彼は私を大事にしてくれていたと思う。表情は乏しいのに、仕草や態度にそれは溢れ出していた。

そんなことを思い出しながら、私は意地悪な質問をしてみようと考えた。彼の本心を探るような質問をするのは、付き合い始めた頃から好きだった。

「ねえ、彼女出来た?」
「……気になりますか?」
「気になるよ。京治かっこいいもん」
「そういう名前さんはどうなんですか」
「彼氏?」
「はい」
「どっちだと思う?」

きっと普通の男だったらこんな質問には嫌気がさすだろう。質問に対してだけでなく、私自身にもうんざりするはずだ。しかし無遠慮にこういうことが聞けるのは、京治が元彼だからだ。電話の相手が元彼というだけで、私は言葉に被せるオブラートを溶かしてしまう。

「意地悪ですね」
「京治くん、可愛いくせに大人びてるから。つい意地悪したくなっちゃう」
「何ですかそれ」

困ったように表情を歪める彼の顔が容易く想像出来た。
いま、何を考えて私と話をしてくれているのだろう。ベッドの上に寝転がって、私の声に耳を傾けながら、真っ白な天井を見詰めているのだろうか。そう考えると、途端に彼のことが愛おしくなって堪らなくなった。声を聞いているだけなのに、京治のあの柔らかい髪の毛の感触だったり、大きな体で抱きしめられた時に感じた抱擁力とか、キスするときに握った手を親指でさすってくれるところとか、ぜんぶぜんぶ、簡単に思い出せる。

「俺は可愛いくないですよ」
「私には可愛いく見えるよ」

茶色地のソファから立ち上がってベランダの窓を開けると、暖かい部屋に冷たい風が容赦なく入り込んでくる。冷気でつんとした鼻先を撫でた時、今まで感じたことのない想いが込み上げてきた。あのときは、後悔なんて絶対しないって、言い切っていたのに。

「何で別れちゃったんだろ」
「……名前さんが別れたいって言ったからですよ」
「そうだね」

窓とカーテンを閉めてまた暖かい空気に包まれたら、肺の中まで暖かくなって、ついに私の後悔も溶け始めた。手のひらが汗で濡れ、仕舞いにはちいさく震え出した。それが緊張しているのか、逸る気持ちを抑えられないせいなのかは分からない。京治のことを想うと、心臓がどくどくとうるさく高鳴ってしまう。

「……ね、今からそっちに行ってもいい?」
「え?」
「京治に会いたくなっちゃった。だめ?」
「……本当に意地悪ですよね」
「でもそこが好きなんでしょう?」

自信たっぷりに言ってやった。意地が悪いのも分かってる。でも、そう言えば京治は必ず私が欲しい言葉をくれるから。

「好きですよ」

やっぱり、彼は言い淀むことなく好きと言った。絶対にそう言い切ってくれると思っていた。 目を瞑れば、私以上に意地悪く笑う京治の表情が浮かんだ。
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夢の通い路