朝焼け色したきみを見た


 万次郎は、名前の前では甘えん坊だ。凄く。物凄く。そんな万次郎の甘えにこそ名前が甘えさせて貰っているのだと気が付いたのは、一体いつからだっただろう。

 
*
 

「名前ー、皮剥いてー」
「名前、膝枕」
「あーんして」


 剥きにくい桃を剥いてとねだり、腿の上に頭を乗せ名前の髪先をくるくると指に巻き付けながら、一口サイズに切られた桃を運ばれるがままに口にする万次郎の姿は、とても暴走族トップのものには見えない。

 その世界で万次郎は、“無敵のマイキー”と冠されるらしい。しかし「その顔」を、万次郎は名前の前では出さない。

 咀嚼、嚥下、そしてあーん。
 万次郎の口が無防備に開くたびに桃を放り込んでいると、不意に万次郎が首を傾げた。


「名前? どーした?」
「ん? 上手く剥けてないとこあった?」
「じゃなくて、何か変だぞお前」
「えー、変かなぁ、どこが?」
「それはちょっとわからん」
「ふふ、なにそれ」


 笑ってみせながら、名前は思うのだ。こう見えて繊細な万次郎は、他人ひとの微細な変化にも敏感だ、と。

 そう考える傍らで、名前は学校でのことを思い出していた。

 今日学校へ行くと、友達の態度が激変していた。挨拶をしないどころか目も合わせてくれないのだ。幾人かに話しかけてみたが、どうやら皆がそれを徹底しているようだった。

 昨日までは普通だったのだ。いつも通りだった。このような状況になってしまった原因を考えてみても、思い当たる節はない。喧嘩をしたわけでもないし、誰かと意見を違えた記憶もない。学校ではほぼ男子とは話さないので、色恋沙汰に巻き込まれた気もしない。本当に思い当たらなかった。ただ、彼女たちの誰かの中では何かがあったらしい。それだけが確かだ。

 よくある話と言われてしまえばそれまでなのかもしれない。思春期の不安定な友人関係。些細なことをきっかけにして、些細なことを理由にして、“誰か”を疎外することで自分の存在意義を保つ。

 歪なのだ。

 例えば万次郎と龍宮寺のように。親友とか相棒とか、そんな名前が付くような親密で信頼し合うことのできる友達は、残念ながら名前にはいない。学校に行けば話をするし、笑い合う。しかし特段仲が良いかと聞かれるとそういうわけではなく、名前自身も友人関係に多くを求めているつもりはなかった。自分はそういうタイプなのだと思っていた。

 しかしいざ孤独になってみると、結構堪えるものなのだと、初めて知る。

 こんな心境が、どこかに表れてしまっていたのかもしれない。少なくとも万次郎に「何か変」と気取られてしまうくらいには。

 しかし名前には、万次郎がいる。

 いつか言ってくれたことがある。「名前に何かしてくるヤツいたら、ブッ殺すから」と。そう宣ったその眼光を見ただけで、名前の脳内で五人ほどが再起不能になった。万次郎が見せた数少ない「その顔」である。

 それに何よりも、万次郎がこうして無垢に全身を預けて甘えてくれることこそが、名前の心の平穏だ。こんなにも無条件に求めてもらえる。それが自分の価値のように思えた。


*


 そんな頃の、ある明け方のことだった。

 未だ深い眠りの中にいた名前を揺すり起こすように携帯が鳴った。着信の音だ。こんな時間に電話を掛けてくる相手など、名前には万次郎しかいない。良く相手を確認もせずに、「まんじろー?」と寝惚けた声を絞り出すと、「あ、オレオレ」と暢気な声が寝たままの頭を満たした。


「うん、オレ⋯⋯万次郎ね。どーしたの、こんな時間に⋯⋯」 
「ちょっと下。来いよ」
「え⋯⋯なに⋯⋯下⋯⋯って」


 気怠い身体を叱咤し、カーテンを少しだけ持ち上げてみる。まだ白み始めてもいない空。街灯と僅かな月の灯り。その灯りだけで寝起きの名前には十分な光源となった。

 万次郎が、手を振っていた。
 
 近所への迷惑を考えてかしっかりとエンジンの切られたバイクの脇で、名前の部屋を見上げ手を振っては、「降りてこいよ」とジェスチャーしている。こういう時の万次郎は折れない。例え断ろうとも折れないし、何なら窓から──どうやって二階の窓まで到達しているのか甚だ疑問ではあるが──家に入ってくるまである。

 万次郎の世界は、当然のように万次郎を中心に回っているのだ。
 
 故に断ることはせず、名前も身振り手振りで「パジャマは?」と問う。「んなのそのまんまでいーよ」と言われる。そのままと言われても。この格好で会うのは彼女としてどうなのだろうと一瞬悩み、結局そのままの格好で下に降りて静かに玄関の戸を開ける。


「おはよぉ⋯⋯どーしたの」
「ちょっと走ろうよ。オレの後ろ乗ってさ、海のほう」
「後ろ⋯⋯っていいの?」
「今日だけな。トクベツ」


 ぽいっと飛んできたヘルメット。それを両手で懸命に掴まえる。硬く光沢のあるヘルメットの外面に、珍しいものを見るような、どこか困ったような、複雑な顔をした自分の顔が映っていた。
  
 万次郎は、名前を愛機に乗せたことがない。一度もだ。あまりに頑ななので、一度理由を聞いてみたことがある。すると「は? 怪我でもさせたらどーすんだよ」と、至極真当っぽい答えが返ってきた。

 自分自身はとんでもない無茶を数え切れぬほどしているというのに。万次郎の自分自身への行動と、名前への行動との乖離に、名前は少し切なくなる。

 名前をこんなに大切にしてくれるのに。その矛先を少しだけでも、自分自身に向けてくれたらいいのに。

 自分で自分を。──大切にしてくれたらいいのに。


*

 
 エンジン音が空気を裂く。

 夜の道に尾を引くテールランプ。月と、星と。深かった濃藍の空がやわらかくなっていく。万次郎の背中にしがみつく腕に力を込める。すると万次郎は、エンジン音に負けないように声を張り上げた。風を切る名前の耳に、その声は辛うじて届く。


「名前はさー、強がりだよね」
「強がり?」
「ウン、強がり。自覚ねぇの?」
「全然」
「そんじゃあ自覚して」
「えー?」


 なんで? と半ば叫びながら声を張る。しかし聞こえなかったのかはたまた意図的になのか、万次郎からの返事はなかった。

 それきり会話は途切れる。

 万次郎の背中で世界が朝を迎える変化を目の当たりにしているうち、ようやく海に着く。遠かった。海を見た感想よりも、真っ先に遠さを憂う。慣れぬバイクの振動で、降りた今でも脳が揺れている気がするし、手足もお尻も得も言われぬ感覚鈍麻と痺れに襲われている。歩き方が不格好だ。
 
 そんな名前の様子に笑ってから、万次郎は砂浜に腰を下ろした。ここで東卍の仲間たちと初日の出を見たことがあると、その口は語る。まだ日は昇らない。だが海と空の境界が明るい。もうすぐ夜が明ける。

 浜風に靡く万次郎の髪が、やけに綺麗だ。朝日を受ければきっと、きらきらと輝くのだろう。

 惚けるように横顔を見つめていると、「名前ー、隣座って」と呼ばれる。ひやりと冷たい砂の上。万次郎にくっつくように身体を寄せ座ると、肩にこてりと万次郎の頭が乗った。


「名前さー、何かあったんだろ、嫌なこと」
「──⋯⋯、」
「話したくねぇなら言わなくていーんだ。ただオレはさ、名前がこうしてここにいるから、こっちに戻ってこれんだよね」
「こっち⋯⋯? 何の話⋯⋯?」
「オレの話。だから名前は強がんないで、オレの前では何も我慢しないで存分に甘えててよ。それがオレのためでもあるから」


 にこ、と万次郎は笑む。この話の真髄を、きっと名前は理解できていない。そしてこういう時に必ず思うのだ。恐らく龍宮寺の方がずっと万次郎の心の近くにいるし、今の言葉に隠された意図も理解できるのだろうな、と。

 しかし、この甘ったるい優しさだけは、名前にだけ向けられるものなのだと思う。甘えて。甘やかして。現実のきついことから目を背けるようにして、名前たちは寄り添っている。だがそれは逃げではなく、厳しさに立ち向かうための甘えで、名前たちが生きていくために不可欠なのだ。きっと。

 
「じゃあ万次郎もわたしに甘えててね。ずっとずーっと」
「ウン、そのつもり」


 肩に凭れた万次郎の頭の上に、こてりと頭を乗せ返す。そよそよと吹く海風が、互いの髪を撫でて揺らす。

  
「オレね、名前のその万次郎って呼び方チョー好き。シンイチローもそうやって呼んでたけど、名前のはまた違う感じなんだよなぁ。マイキーとどー使い分けてんの?」
「使い分けてるわけじゃないよ、気分気分」


 無敵のマイキー。
 皆がそう呼ぶ姿はきっとすべからく、東卍トップとしてのものなのだろう。圧倒的な存在感。誰にも負けない強さ。唯一無二のオーラ。誰もが憧れ、誰もが畏れ、誰もが孤高の存在なのだと思い込む。

 しかし名前には、今のこの万次郎こそが。
  

「⋯⋯この姿が一番無敵に見えるよ。わたしには」
「? そ?」
「うん。最強」


 万次郎の頭にすりすりと頬を擦る。万次郎はもう一度「そっか」と笑ってから、後ろにころりと寝転がった。大の字で砂浜に横たわり、しぱしぱと瞼を動かす。


「あーきもちー。何かオレ眠くなっちった。ちょっと寝るわ」
「えっ、今寝たら絶対起きないじゃん! わたしバブ? の運転なんてできないよ?!」 
「んー、じゃあケンチン呼んどいてー、後ろに三ツ谷でも乗せて来いって言ってさ。そしたら帰れるだろ」
「は⋯⋯いやそんな⋯⋯寝てる人バイクで運べるわけ⋯⋯っていうかわたしパジャマなんだけど!」
「ハハハッ」
 
 

 

朝焼け色したきみを見た


彼氏のマイキーに大切にされる