どんな味がしましたか
休日の昼下がり。多くの人で賑わうショッピングモールで、旧知の仲三人が顔を合わせていた。
「よーっす。久しぶりー」
「久しぶりー、相変わらずだねえ」
「そういう名前はまた可愛くなって」
「ふふ、ありがとう。研二じゃなきゃお世辞だと思っちゃうな」
「お、嬉しいこと言ってくれるねぇ」
よしよし、とでも言うように、萩原の手が名前の頭をぼふんぼふんと撫でる。乱れた前髪を直してから、一歩後ろで仏頂面を作っている男に名前は声をかける。
「陣平も、お仕事お疲れさま」
「⋯⋯オウ」
「? 何またそんな顔して」
「何でもねーよ」
「⋯⋯でもそうやって言う時って、九割くらいは何かある時なんだよ?」
「うっせぇっての」
「あはっ」
尚更眉間の皺を深くして悪態をつく松田に、名前の屈託ない笑顔が向けられる。松田の口からは「ったく」とちいさな溜め息が漏れた。
こうして軽く挨拶も済んだところで、名前が握りこぶしを作る。
「よーし、それじゃあ行くよー、いざ陣平の誕生日プレゼントを選びに!」
「オウ!」
同じく楽しそうなテンションの萩原が、名前と並んでモールに入っていく。そのふたつの背中に、松田の「⋯⋯は?」という声がかかり、二人は足を止め振り返った。
「オイコラちょっと待て」
「うん?」
「うん? じゃねぇんだよ、今なんつった」
「陣平の誕生日プレゼント選びに行こーって。言ってなかったっけ?」
「言ってねぇよ。知ってたら来ねぇわ⋯⋯せっかくの休日だってのに萩が『大事な用あっから付き合ってくれよ』とか吐かすから来たってのに」
「でも大事な用だったろ?」
殊の外真面目な表情でそう言われ、松田は思いがけず言葉に詰まる。
「⋯⋯⋯⋯本人誘うかよフツー」
「本人の好み聞いたほうがいいじゃない。好きじゃないものもらっても困っちゃうでしょ」
「そーそー、変な気遣い合う仲でもねぇしさー。それに仲間外れにしたら陣平ちゃん拗ねちまうかもしんねーだろ」
「は? 餓鬼かよ」
双方けろりとした表情で松田を見返し、けろりとした口調で勝手気儘を次から次へと並べていく。松田の誕生日を覚えてくれていたことも、プレゼントを選ぼうとしてくれていることも嬉しいはずなのに、なんとも絶妙に腹が立つのだから不思議なものだ。
仕方なく、松田は二人の後を追うかたちで足を踏み出した。
*
名前と萩原は、終始楽しそうだった。
「あっ、新しい味のアイス出てる! ね、休憩しよう!」
「おう、いいぜー」
「お、このピアス名前に似合いそう」
「わぁ可愛い! ね、ね、どう?」
「超いい感じ。こっちの色もいいけど」
「あーんそっちも可愛い!」
「次はそこのカフェでひと休みー!」
「おー、そういや喉乾いたわ」
「焼きたてのおやき⋯⋯美味しそう⋯⋯」
「おっし、クリームとあんこと買おうぜ」
勿論松田のプレゼントも見てくれているのだが、果たしてどちらが本来の目的なのか。目に付く甘味に次から次へと手を伸ばす名前は、その身体のどこに吸い込まれていくのか、すべてを美味しそうに平らげ幸せそうに頬を緩めている。
時計売り場を見たあと、お次のクレープを手に至極満悦そうな名前に、くんくんと鼻を動かしながら萩原が近付く。
「いー匂いだな」
「でしょ、あとで一口食べる? って⋯⋯あーっ! クリームいっぱいでトッピングもたくさん乗ってる一番美味しいところ!」
「え? 俺にくれんじゃねぇの?」
「何で? 何でそうなるの?!」
名前が止める間もなく、萩原がクレープのてっぺんに齧り付いていた。
一瞬、驚愕の表情で口をあんぐりと開けて。
それからぷりぷりと息を荒らげる名前と、口の端に付いたクリームを舌先で舐め取る萩原。余程楽しみにしていたのか怒りが収まらないらしい名前は、クレープを持ったまま松田に向かってくる。
「ねぇ陣平ー! 今の見てた?!」
後ろでけらけら楽しそうに笑っている萩原を指差して、名前が同意を求める。求めながら、口にはしっかりとクレープを運び頬張っているのだから、ちゃっかりしていると言うか何と言うか。
「⋯⋯オイ」
「んむ?」
「ちょっと来い」
「ん、む、んー?!」
もぐもぐしながら目を丸くする名前の腕を半ば強引に引き、どこかへ向かおうとする松田と、「あらま」と他人事でそれを見ている萩原。そんな二人を交互に見ながら、名前は引き摺られるように連れ去られていく。
「じ、陣平? どーしたの? さっきのお店に本当は欲しいものあった?」
「違ぇよ。それでも食って黙っとけ」
「え、そんな、何ー?!」
段々とちいさくなっていく二人の姿。その場には、「ちょーっとやり過ぎちゃったかねぇ」と笑った萩原の声だけが残った。
ダン、と鳴った鈍い音。
人気のない階段の踊り場で、松田の拳が壁を叩いた音だった。名前の頭上を覆うようにして翳されたその手には、怒りが宿っているように思える。
「オイ」
「は、はい」
「ひとたび聞くが」
「な、何でしょう」
「オメーは誰と付き合ってんだよ」
「⋯⋯? 陣平ですけれども⋯⋯」
名前が上目がちに答えた瞬間、盛大かつ大袈裟な溜め息が踊り場を満たした。あからさまに滲まされた不快感に、名前は思わず後退りをする。いや、しようとした。が、背中は既に壁に追いやられていて、これ以上の退路は望めなかった。
「まさか誰も思わねぇだろうよ、オメーと付き合ってんのが萩じゃなくて俺だってな」
「な、なんで⋯⋯?」
「自分の胸に手当てて聞いてみろ」
「って言われても⋯⋯いつも通りに遊んでただけだし⋯⋯」
一応空いている手を胸に当ててはみたらしいが、名前はきょとんと首を傾げる。それどころか、もう一方の手にクレープがあったことを思い出してしまったようで、慌てて松田を制止し始めた。
「あっ、ちょっと待って、クレープ食べちゃうから!」
「は?」
「このままじゃ色々ぐちゃぐちゃになって食べれなくなっちゃうでしょ、勿体ない」
焦ったようにクレープを食べ始める名前に、松田の眉間がぴくぴくと動く。
「⋯⋯こんな時にすることかよ」
「何よぉ、食べてる時に無理に連れ去ったのは陣平だもん」
「へーへー悪うござんした」
息をするように悪態をついてしまう。こんな言い方しか出来ないから、悪いのだ。そう分かってはいるのに。いつもどうして、素直になれない。
そんな様子の松田を見上げ、ひとくち、そしてふたくち。名前はむぐむぐと口を動かしながら、どこか決まり悪そうに呟く。
「⋯⋯でもね陣平。わたし、研二とは昔からこうだったよ。陣平だって知ってるでしょ」
「⋯⋯んだよ、とぼけたフリしやがって。言いてぇこと分かってんじゃねーか」
「だって陣平がそんなこと思うなんて、ちょっと信じられなくて」
名前の言う「信じられない」は、一体どちらの意味だろう。松田が萩原に嫉妬するなんて信じられない、だろうか。或いは。名前が異性と仲良くすることに嫉妬するなんて、信じられない。だろうか。
ちなみに松田の心は前者であるのだが、どうにも名前は後者として捉えていそうで、それはつまり、松田の名前に対する日頃の態度の悪さを突き付けられていると同義であり、そう考えると酷く後ろめたい。
名前の真意を窺うように見下ろしながら、松田は考える。
萩原のことは、信頼している。
女好きだが、分別も見境も人並みにある。少なくとも相手がいる女に手を出すような人間ではないし、松田との間には物心付いたときから築いてきた関係性だってある。そもそもだって、萩原に背を押してもらい漸く成就した恋であるし、その後も幾度助けられたか分からない。
そんな相手に今更嫉妬するなんて。松田こそどうかしているのだ。松田と萩原と名前。三人、ずっとこういうかたちでつるんできたのに。何を今更。
しかし、名前と萩原を見ていると、思うのだ。
恋だの愛だのが絡まない、男女の友情。純粋な友情だ。そんな友情が、二人の間には確かにあるのだろうな、と。
いや、いくら付き合いが長いとはいえ、曲がりなりにも男と女。そんなものがあってたまるかと思う自分と、しかしそれでもきっと、名前と萩原にならあるんだろうなと思う自分と。そう思えてしまうからこそ。そんな関係性を築ける二人の間柄を目の当たりにするからこそ、松田はこうして、嫉妬心に苛まれてしまうのだ。
萩原のほうが自分よりもずっとずっと、名前の近くにいる存在なのではないかと。名前は萩原といるほうが楽しくて、幸せで、二人こそが“お似合い”というやつなのではないかと。
そう、思ってしまうのだ。
「⋯⋯オメーはほんとに俺と付き合ってく気あんのかよ」
そしていつも、こうして可愛げの欠片もない、相手を責める言葉を使ってしまう。自分のことはすっかり棚に上げて。相手を試すようにして、安心を得ようとしている。
そんな自分に、嫌気が差す。
名前は最後のひとくちをしっかりと飲み込み、一度だけぺろりと唇の端を舐めて、それからくすくすと肩を揺らした。
「ふふ、この天邪鬼さんはどーしたら治るのかなぁ」
「⋯⋯」
「陣平が嫌がんなきゃ、手繋いだり腕組んだりして歩くのにな。そしたら研二とこれまで通りでいたって、陣平は今みたいな気持ちにならないと思うけど」
「バーカ、萩の前でそんなマネ出来っかよ。恥ずくて死ぬっつーの」
「研二に限らず誰の前でもしてくれないでしょ。⋯⋯でも、じゃあ陣平は、今の気持ちを自分でどうにかするの?」
小首を傾げて言う名前の態度に、松田は眉を顰め、「オメーが萩との距離感を見直すっつー選択肢はねぇの」と、まるで嫉妬深い重た目彼氏のような台詞を吐く。
その言葉に面食らうでもなく、名前は普段通りの表情のまま、真っ直ぐに松田を見上げる。
「ないよ。研二も大切な幼馴染だもん。ずーっとこうだったし、これからもこう。ていうか陣平はそれでいいの?」
名前に問われ、言葉に詰まる。詰まって、答えあぐねて。絞り出したのは「⋯⋯良くは、ねぇ」だった。
それは本望ではないのだと思うのだ。
名前が萩原と今のように会ったりしなければ、この気持ちが松田を蝕む頻度は減るのだろう。だが、三人でいる昔からのこの時間も──例え嫉妬心を抱いてしまうのだとしても──、確かに大切なものなのだ。
しかしそれでは。どうすれば良いのか。
矛盾の生じる自身の情動に眉を寄せる松田を見て、名前は困ったように笑った。
「もー、仕方ないなぁ」
くん、と地から浮いたのは名前の踵。
松田との顔の距離を近付けて、むんずと両頬を覆う。そして松田が反応する間もなく、その唇を唇にやわらかく押し当てた。
「バ⋯⋯ッ、おま、」
唇が離れた刹那、松田の口から抗議の声が漏れる。人気が少ない場所とは言え、休日のショッピングモール内だ。思わず周囲を見回した松田の頬を、名前の両手がむにりと抓る。
「あのね。わたしの一番は、陣平だよ。昔からずっと。陣平が千速姉ちゃんに恋してたそんな期間も、ずーっと陣平が一番で、特別」
「は⋯⋯? ずっとって⋯⋯んな話聞いてねーぞ」
「ふふ、だって言ってないもん。陣平は、研二が陣平に色々協力してくれたおかげって思ってるかもしれないけど⋯⋯違うよ。研二が、わたしに協力してくれたおかげで今があるの。陣平がわたしに気付いてくれるように、研二がたくさん力を貸してくれた。確かに研二とは気が合うし、仲も良いと思う。けど、幼馴染で友達。それ以上にはならないし、それ以下にもならない。きっと研二もそう思ってる。──わたしは、ずっと、陣平が一番。わたしの一番近くにいるのは、陣平だよ」
「──⋯⋯」
本当に、単純なものだと思う。
名前が素直に話してくれた胸の内を聞くうち、萩原への嫉妬心が霧が晴れるように消えていくのだ。名前と萩原の関係性はこの先も何も変わらない。そう明言されているというのに、驚くほど心が凪いでいる。
松田の顔から険しさが取れたのを感じたのか、名前も表情を和らげ、冗談めかして頬を膨らませて続ける。
「でもたまぁーには恋人らしく甘やかしてくれないと、ほんとにどっか行っちゃうからね。人間の愛は無限ではないんだよ」
などといつの間にか松田を窘める側に回った名前は、「ほら、戻ろ!」と、今度は笑ってみせる。そんな名前の笑顔に、松田は眉を下げるのだ。
こいつのこういう所に、弱ぇんだよなぁ。
[どんな味がしましたか]
ヒロインちゃんと仲の良い萩原に嫉妬する松田のおはなし