歪、純、


 ある休日の朝も早い高専だった。

 
「は? デーーートォーーー?」


 五条悟の声が早朝の晴天を突く。
 妹の名前がめかし込んでどこかに出掛ける姿を目撃した悟が、その行き先を問うた直後のことだった。

 
「そう、デート! 行ってきまーす」
「却下却下、何馬鹿なこと言ってんだよ。寝言は寝て言えっての」
「何で兄様に却下されなきゃならないの」
「いや寧ろ何で俺に却下されないと思ってんの?」


 五条家の年子の兄妹。妹を溺愛する悟と、それを煙たがる名前。二人の間で日夜繰り広げられるこんな会話は、最早日常茶飯事である。


「わたしだってもう高校生の年齢なんだからデートくらいするってばぁ」
「そーいう問題じゃねぇし。つか言っとくけど俺らみたいなのの相手に一般人は無理だぞ」
「一般人じゃないから大丈夫だよ」
「は⋯⋯コッチの人間と? 誰だよコラ」
「兄様も良く知ってる人! じゃあ、遅れちゃうし行ってくるね」
「待てって」
「却下ですー」


 悟の却下を却下した名前は、うきうきとスキップでもする勢いで颯爽と高専を出ていく。流石の悟も名前を力づくで引き留めることは出来ず──そんなことをしては嫌われること明白であるし──、物凄い仏頂面で渋々名前の尾行を開始した。

 無論、相手の顔を拝んでからコテンパンに伸すためである。





 待ち合わせ場所は高専最寄りの駅、ではなく、そこから数駅進んだ先にある、とりわけ大きな駅だった。

 駅の太い円柱に背を預けている男に足取り軽やかに駆け寄っていく名前。名前に気が付きにこやかな笑みを浮かべたその男の姿に、悟は顎が外れかけた。


「な、傑だと⋯⋯?!」


 夏油傑、その男がまるで恋人でもあるかのように、名前に優しく微笑みかけているのだ。

 
「そういやアイツ、今日は朝から用事が有るとか無いとか言って随分早くからいなかったな⋯⋯」


 しかしまさか、妹とデートをするために出掛けていたなどと誰が思おうか。なぜならば高専での夏油と名前は、余りにも自然体な“先輩”と“後輩”のそれであったからだ。それ以上でもそれ以下でもない。これほど名前の人間関係に目くじらを立てている悟の触手が全く動かないほど、二人の間には“それらしいもの”が存在していなかった。その感覚に狂いがあったとは、目の前の光景を見た今となっても思えない。

 しかしそれでは。この状況をどう説明すれば良いのか。


「遅くなっちゃってごめんね夏油先輩、待った?」 
「いいや、今来たとこさ」
「ほんと? 良かったぁ。出る直前で兄様に見つかっちゃって」
「それはとんだ災難だったね」
「ふふ」


 おや、それはそれは。
 そう言いたげに眼裂を少し開いてから優しく笑む夏油を見て、悟の顳顬には青筋が走る。物陰に隠れながら、思わずひとり悪態をついていた。

 
「今来たとこ、だ?! 嘘つけあンの野郎⋯⋯! つーかわざわざ高専外で待ち合わせとか巫山戯やがって」


 悟の殺気はまるで隠す気がないものだった。というか、隠すという発想が抜け落ちてしまうほどの感情の揺れ。それは只々、相手が夏油であったからに他ならない。最も信頼を置いているはずの悪友にして親友。

 その男が、まさか。

 そんなダダ漏れな殺気を背中で感じた名前と夏油は、顔を見合わせる。その表情はどこか愉快そうで、悟が着いて来ていることなど予め知っているとでも言いたそうで、その証拠のように名前に至っては含み笑いでウインクまでしている。

 そして名前と夏油は「それじゃあ行こうか」なんて、まるで恋人かのように肩を並べて歩き始める。


「どこ行く気だコラ⋯⋯許さねぇぞ傑」


 サングラスの奥で瞳を狂気に輝かせ、悟は二人の後を追い始めたのだった。




 
 悟は、名前が可愛くて仕方がない。
 
 生まれた時から“特別”だった悟は、幼少期に出会う誰にとっても“特別”であった。故に皆それぞれの立場から悟に“特別”に接してきた。鬱陶しかった。煩わしかった。人間というものにうんざりさえしていた。

 ただ唯一、名前を除いて。

 悟より一年遅くこの世に現れた名前だけは、悟に等しかった。境遇や能力差を微塵も気にせず。天才の妹という立場でありながら、名前のそのスタンスはいくつになっても変わることはなかった。それは名前が生きていくために神が与えた天性のものなのかもしれない。そう思う程に、名前は等しかった。

 悟は幼い頃からどこか達観した部分を持ち合わせていた。それは悟が背負ったものに起因していたのであろうが、そのおかげもあってか「にいさま、にいさま」とちょこちょこ後を追ってくる同世代のちいさな生き物を、幼いながらに「狂おしいほど愛おしく思う」という感情を持つに至った。

 その情動は、悟の心に欠けた何かの穴埋めだったのかもしれないが、ともかく悟は、そうして名前を愛でに愛でながら育ってきた。そして当然のように、今となっても名前が可愛くて仕方がないのだ。



 

 二人にはどこか目的地があるようだったが、そこに着くまでの道中もとことん楽しむつもりらしい。手頃なカフェで朝のお茶をしては互いのデザートを仲睦まじく分け合い、通り掛かったショップを名前が少しでも気にする素振りを見せると、すかさず、しかしさり気なく立ち寄り名前が満足いくまで付き合い、名前がアクセサリーを手に取ればしっかりと名前に似合うものを見繕う。それら全ては男の悟から見ても実に、実にスマートな立ち居振る舞いだった。

 いつの間に二人はこんな仲になっていたのだろう。全く気が付かなかった。そんな己の落ち度──などと思いたくはないが──と、悟には決して見せない夏油の男としての一面に、悟は酷い渋面でぎりりと奥歯を噛み締めては夏油への一種の恨みを募らせるのだった。





 傍目には大層仲の良いカップルに見える二人は、こうしてゆっくりと歩を進め、最終的に某ネズミーランドへと到着した。その浮かれた行き先だけでも悟を辟易させるには充分であったが、ここで更に悟の口をあんぐりと開けさせる出来事が起こる。
  

「あ、来た来た硝子せんぱーい! こっちー!」


 なんと家入が現れたのだ。悟と夏油の同期であり、こういう場所に喜んで来るようなタイプではないであろう家入が。「デート」をしているはずの名前と夏油のもとに、端から合流する予定だったという素振りで。


「名前だけに飽き足らず硝子もだと⋯⋯?! 傑のヤツ何考えてんだ」


 これではまるで両手に花。一体全体どういう趣旨のデートなのか。というか悟は、夏油と家入の関係にも気が付いていなかったというのか。いや、有り得ない。色々な意味で有り得ない。有り得ないがしかし、現在のこの状況。最愛の妹に知らぬうちに手を出されていたのみならず、同期からもハブられているような構造には流石にこの五条悟、我慢がならない。飛び出して名前だけ掻っ攫って帰ろう──ついでに夏油に強めの一発をかまして──と思った、矢庭のことだった。

 くるりと、名前が振り返って。


「ほらぁ、いつまでも隠れてないで兄様も早くー! 置いてっちゃうよー!」


 的確に悟の位置を把握しているらしい名前が、にこやかに手を振り悟を招いている。

 
「⋯⋯は?」


 悟はぽかんと口を開けた。そんな悟のもとへ、至極可笑しそうに緩んだ口元を覆った名前が駆け寄ってくる。状況を掴めずにいる悟に名前が話すところによると、こうだ。

 名前は先日、とある福引で特賞を当てたのだという。賞品はこのテーマパークのペア入場券二組。その瞬間、名前の中ではこの四人で遊びに来るというビジョンが出来上がった。名前が誘えば、例えどんなに興味のない場所でも悟は絶対に来る。それは揺るぎなき確定事項であったから、先に夏油と家入に打診してみたのだ。その際、折角だから“普通”に遊びに行くだけでは勿体ないし、ということで出された案が、今日の“これ”だった。
   

「いやはや、悟の呪力がこんなに乱れるとはね。隠れてる場所も感情もダダ漏れ、現代最強の名が泣くぞ。流石、名前ちゃんの力は凄いというか」
「オマエ覚えとけよ⋯⋯つーか、じゃあここまでのアレはぜんぶ演技なわけ?」


 悟としてはそこが最も気になるのだ。まんまとしてやられたことは超絶腹立たしいし、今後必ずや何らかの仕返しを──とは思うが、それよりも、夏油が本当のところ名前をどう思っているのか、それが気になって仕方がない。無論悟としては「今回のことは演技である」という回答を期待して問うたわけなのだが、対する夏油は、余裕を滲ませた挑発的な微笑で首を傾げた。

 
「はて、演技? 何のことだい?」
「巫山戯たこと抜かすなよ、表出ろコラ」
「ハハ、もう表だよ」


 バチィ、と二人の周囲の空気が裂ける。流石の二人である。ただ触発し合っただけでもその凄まじさは思わず足が竦むほどであるが、その間に平然と割って入ったのは名前であった。


「もー、こんなところで二人が喧嘩したら施設全部壊れちゃうでしょ。ねぇ硝子先輩」
「ほんと品性のない奴等だよ」


 気怠げに煙草を吹かす家入が冷たく言い放つ。その煙を鬱陶しそうに一瞥した悟に睨めつけられた家入は、可笑しそうに口角を少し持ち上げた。

 
「まぁ私も面白いモンいっぱい撮れたし、別に何でもいーんだけど」
「は⋯⋯撮ったって何をだよ」
「いや別に。ただ素人感丸出しのストーカーみたなオマエの姿が売る程撮れたってだけ」
「⋯⋯オマエも表出ろコラ」
「だからもう表だって」


 呆れた顔で煙草を口に含む家入に、悟の顳顬の青筋が立ちかけた瞬間、またしてもにこやかに名前が割って入る。


「まーまー、兄様、ほら一緒にジェットコースター乗ろうよ。カチューシャもお揃いにしよ」


 などと飛び切りの笑顔でうきうきと腕を組まれてしまえば、悟に抵抗の余地はない。

 酷い仏頂面を作りつつ、それでも大人しくなる悟を見上げて、名前は人知れずほっこりと頬を緩める。

 一方的などではないのだ。

 こうして時偶、悟からの莫大な愛を確認したくなってしまうのだから、名前も大概兄のことが大好きなのである。




 
【歪、純、】
 
 

凪様より、兄、五条悟に溺愛されるほのぼのストーリー