だって女の子だもん


 浮かれてしまった。
 こんなにイメージ通り、いやそれ以上のヘアスタイルとカラーにしてもらえることは滅多にない。自分で言うのもなんだが物凄く似合っている。

 ちなみに手掛けてくれたのは恋人の友人である千堂敦だ。彼に施術してもらうのは初めてだったが、こんな事ならもっと早くからお願いしておけば良かった。
 
 それはさておき兎にも角にも浮かれていた名前は、鏡を何度も見ては思わず「うわぁ、可愛い。千冬も気に入ってくれるかな」と零していた。それを聞いた千堂が、鏡越しに苦笑する。
 

「残念なことに、男って気付かない奴多いんだよ」
「えっ、気に入る気に入らない以前に気付く気付かないの問題⋯⋯? でも今回は結構切ったし、カラーも系統が全然違うよ? さすがにこれは気付くんじゃない?」
「いやいや男を侮っちゃいけねぇよ名前ちゃん。まぁもちろん、そういう変化に気付く奴もたくさんいるけどさ」
「じゃあ、あっくんから見たら千冬はどっちのタイプの男?」
「気付かねぇ方」
「あはっ、即答」
 
 
 思えば千冬と付き合ってからというもの、名前がここまでのイメチェンをするのは初めてだった。ゆえに千冬がどういう反応をするのか、名前にとっても未知なのである。

 気付いてくれたら、そしてあわよくば気に入ってくれたらいいなと思う。
  
 もちろん、“こう在りたい”と願う理想の自分に近付けるように、毎日の自分の満足度を上げられるように、日々“可愛さ”を探している。それが見つかれば嬉しいし、少しでも可愛くなれると日々の些細な充足感も上がる。
 
 しかしやはり名前も一端の女の子である。何よりも大好きな人に“可愛い”と思ってもらいたい。そう思うのは自然なことだろう。

 ちなみに、悲しいことに千冬に「可愛い」と言ってもらったことは未だない。

 千冬、どんな反応するかな。

 期待と、そして少しの不安。それを抱えて、名前は待ち合わせ場所──今日は夕方から千冬に会い、夕飯は共に外食をする予定だった──へと向かった。





 案の定と言うべきか。
 千堂の言った通り、名前の変化に千冬が触れることはなかった。気付いていないのか、気付いていて口にしないだけなのか。どちらだろうかと考えるまでもない。千冬の態度は明らかに前者のそれであった。

 それに気が付いたとき、最初に名前を襲ったのは寂しさか、悲しさか。胸が切なさにぎゅうっと縮んでしまった気がした。なんで。どうして。こんなに可愛くしてもらえたのに。しかも何なら先週はサロンでネイルをやってもらったばかりだし、今着ている服は今日のデートにと思い新しく買ったものだし、リップも新色だし、つまり今日の名前はひと味もふた味も違うのだ。それなのに、千冬ときたら。
 
 全てに気付いてほしいとは言わない。しかしせめてひとつくらい。
 
 ──もしかしてわたしのこと、どうでもいいのかな。
 
 その切なさと不安は、時を待たずして何も気付いてくれない千冬に対しての“怒り”へと昇華されていく。上手く笑えない。明るく振る舞えない。気持ちが沈んでいく。苛立ってしまう。
 
 そんな名前の様子に気付いたらしい千冬は──そういえば千冬は、他人の“心”の変化には割りかし敏いように思う──、歩みを止め名前の顔を覗き込んだ。
 

「なぁ、何怒ってんだよ?」
「別に怒ってないよ」
「いや怒ってんだろ」
「だから怒ってないって」
「怒ってる」
「怒ってない」
「あ、そ、じゃあいいわ」


 ぷいっと千冬が前を向く。その態度に名前の苛立ちは更に募ってしまった。素直になれなかった名前にも非はあるのだろう。だが簡単に「怒ってる」を認め、その理由も知らぬ千冬に謝られるのは癪だった。しかしだからといってこうも簡単に引き下がられると、それはそれで腹が立つ。思わず、名前を見ようともしない千冬の腕を掴んでいた。


「ちょっと、何それ」
「だって怒ってねぇんだろ」
「怒ってるよ!」
「⋯⋯どっちだよ」


 はあ、と大きな溜め息をつかれ、名前は咄嗟に身を竦める。こんなことをしていては、愛想を尽かされ嫌われてしまう。そう思うのに。


「⋯⋯だって」
「だってじゃねぇよ。だから聞いてんだろ、『何怒ってんだよ』って。それとも“自分で気付け”“察しろ”ってか?」
「⋯⋯そう、だよ」


 その通りだ。気付いてほしいのだ。そして今名前がどんな気持ちでいるのか、察してほしい。しかもその上で「気付かなくてごめん」と「似合ってる」を期待しているのだ。

 改めて言葉にしてみると、随分と自分にだけ都合の良い心境で情けなくなる。しかし一度堰を切ってしまうと、なかなか止めることが出来ない。


「⋯⋯きっと千冬いま、こんなこと考えてるんでしょ。わたしの誕生日はまだ先だし⋯⋯行きたがってた映画には先週行ったし⋯⋯俺、何か忘れちまってんのか? ──とかって」
「すげー、何で分かんの」
「すげー、じゃないです⋯⋯」


 千冬の鈍感さと、そして自分の情けなさにツッコむ気力も起きない。がっくりと項垂れた視線の先では、新しい服の裾を悔しそうに握り締める綺麗なネイル。

 ──あ、やばい。なんかだめかも。泣きそう。

 感情を制御出来ていないにも程がある。程があるのだが、視界は勝手に滲み始めてしまった。その事に千冬も気が付いたのだろう。さすがにマズイか、という声音が名前を呼ぶ。
  

「名前。悪かった」
「⋯⋯何が悪かったかも分かってないのに謝らないで」
「だーかーらー、そんなふうに言うなら教えろっつってんだろ」
「⋯⋯やだ」

 
 もはや意地だった。
 さっさと話してしまえば済むものを。ここまできて自分が折れるのも悔しいという意地がそれを阻む。しかしそんな自分の、まあなんと可愛くないこと。こんな幼稚な意地をいつまでも張って。せっかく可愛く着飾っても、中身が伴っていなければ何の意味もないのに。
 
 素直に、可愛く、言えたらいいのに。

 堪え切れず、涙が落ちる。その光景にぎょっと息を呑んだ千冬は、少しだけ迷う素振りを見せてから頬を落ちた涙を指先で掬った。
 
 
「なぁ、名前。本当に悪いって思ってんだ。お前にとって大事なことに気付けなくて、俺だって情けねぇよ。けど自分じゃ分かんねぇんだ」
「⋯⋯うん」
「だから教えてくれ。そしたら次からは気を付けれんだろ。でも知らなきゃ何も変えらんねぇ」


 千冬は、強いのだ。揺らがぬ信念を持っているから。揺らがぬ自分を持っているから。だから己の至らなかったことも潔く認め、曝け出すことが出来る。

 その強さが羨ましい。

 だって、弱さを隠す“可愛さ”を纏ったところで、誰が惹かれるというのだろう。強さを魅せる可愛さを纏ってこそなのに。

 長いこと頑固に噤んでいた口を、名前はついに、徐に動かした。


「⋯⋯あのね、わたし今日、あっくんに髪切ってもらったの。カラーもしたの。洋服も新しいの。ネイルも。あとリップも。ついでにメイクもすごく上手に出来たの」
「⋯⋯?」 
「そう、千冬にとっては首傾げて『?』って顔することなんだよね。どれもこれも、わたしが勝手にやっただけなんだから、何かを千冬に求めるのは筋違いなんだよね。⋯⋯でもわたしも女の子だから、好きな人に可愛いって思ってもらいたい、そんな気持ちで頑張ってるんだよ」
「⋯⋯そんなことで泣くほど怒って悲しんでたのかよ?」
「⋯⋯そう。“そんなこと”で怒ってたし、悲しんでた」
「──ごめん、今のはマジ失言だった」
「ううん、もういいの。わたしもごめんね」
 

 本当に、千冬にとっては“そんなこと”なのだろう。これはもう価値観の違いというか、性別の違いというか、仕方がないことだ。逆に例えば、千冬にバイクの些細なイメチェン(?)に気付けだとか、それを持て囃せだとか言われても名前も困ってしまうし。それと似たようなものだろう。

 だからこれからは、自己満足と自己研鑽の一環として自分を磨いていこう。そう決心した、その時だ。ぽりぽりと頭を掻いた千冬が、気不味そうに口を開いた。


「いや、そんなことっつったのは、そーいう意味じゃなくてさ」
「?」
「名前はいつも可愛いのに、何言ってんだよって単純に疑問だっただけ」
「⋯⋯?」 
「だから、名前はどんな時もいっつも可愛いだろ。正直些細な変化には気付けねぇけど、とにかく何したって可愛い。当たり前すぎて言わねぇけどさ。だから俺、俺の女最高にイカしてんだろって超胸張って生きてっしな。そんくらい言わなくても分かれよ」 
「わ⋯⋯」


 いや、そんなことを察しろと言われても。

 
「分かるわけないじゃん⋯⋯」

 
 項垂れる名前の胸を、嬉しいような恥ずかしいような悔しいような、複雑な気持ちが占める。だが“終わりよければ全てよし”とは良く言ったものだ。きっと気付いてはもらえないのに、また明日から頑張ろうという気になってしまうのだから。 





 だって女の子だもん 


ハル様より、髪型やネイルの変化に鈍感な千冬と喧嘩して仲直りするおはなし