六花の蕾


 雪が降る。
 
 しんしんと音もなく降り続くそれは、いつしか名前の周囲を薄っすらと埋め尽くしていた。高専の石畳の上にしゃがみ込み降り頻る雪を見ていた名前の四方には足跡ひとつない。膝の上に乗せた手に落ちては溶けていく雪片で、指先は濡れ、凍え、赤くなっていた。そろそろ中に戻ろうか。そう思いながらもまた、黒い靴の上に落ちてくる雪片を見つめるだけの時間を過ごす。

 こんな降雪は今年度初だ。厳かで、美しい。「⋯⋯一緒に見たかったな」と、悴んだ唇で思わず呟いた時だった。

 きゅ、と踏まれた雪が鳴って。
 
 
「名前。何してんの、こんなとこで」
「あれっ、五条先輩。お帰りー、暫くだね」


 振り向いた先では、ポケットに手を突っ込みいつものようにふてぶてしい雰囲気を放った五条が名前を見下ろしていた。会うのはいつ振りだろうか。学び舎を共にしているというのに、任務で留守にしがちな五条と会う機会は案外少ない。

 
「長期任務が長期過ぎんだよ、人使い荒すぎだろ」
「まぁ、五条先輩だから」
「まぁ、な。最強ってのも辛いわ」
「そーだね」
 
 
 適当な返事をしながら、五条の背後をちらりと見る。どうやら五条は真っ直ぐにここに向かってきたらしい。迷いのない一直線の足跡だけが、薄い雪原に残っている。


「で、何してんの。頭に積もってっけど」 
「何と聞かれても⋯⋯強いて言うなら結晶の観察かなぁ」
「は?」


 ふわりとまた、舞い落ちる。
 空を埋め尽くす真白な景色の中にいると、五条のぶっきらぼうな態度も不思議と些か和らいで見える。
 
 
「ね、五条先輩知ってる? 雪の結晶ってひとつとして同じ形は存在しないんだよ」
「んなの小学生の餓鬼だって知ってるっての」
「どうして?」
「あ?」
「どうして同じ形が存在しないのかは?」
「⋯⋯自然界で全てに於いて同じ条件下で結晶が生成されることはありえねぇから」
「うわ⋯⋯なんでちゃんと覚えてるの?」
「天才でごめん」
「やーん可愛くない」


 ぷう、と頬を膨らませて五条を見上げる。得意気な顔に見下ろされ、名前は一層頬を膨らませた。

 
「わたしこの間ね、その理由をテレビでたまたま見かけたんだ。小さい頃は『そんなものなのかぁ』くらいにしか思わなかったと思うんだけど、改めて今それを知ると、『そんなまさか』って思ってさ。太古から昨今まで世界各国で無数に降ってるっていうのに、同じ形がないなんて⋯⋯いくら何でもそんなにバリエーションなくない? さすがに分子レベルのことはこの場じゃ分かんないけど、もっとマクロの段階で同じ形見つけられる気がしちゃって、それで雪見てたの」
「は⋯⋯」
 
 
 五条は束の間ぽかりと口を開いて、すぐにくつくつと笑い声を上げた。これはあれだ。完全に馬鹿にされている笑い方だ。


「何言い出すかと思ったら⋯⋯オマエ阿呆だな」
「えー、阿呆かなぁ」
「だって研究を重ねた崇高な学者様達がそう言ってんだからそーなんだろ」
「それはそーなんだけど。五条先輩正論嫌いなんじゃなかったの」
「正論じゃなくて科学だ」


 それもそうなのだけれど。納得できないからこうして雪の中にいるわけで。そして案外同じ形が見つからず、気付けば長丁場になっているわけで。

 
「⋯⋯あれかなぁ、人類みたいなものなのかな」
「ん?」
「人間も、これまで数え切れないほど生まれて死んでるわけだけど、全く同じ個体は一人として存在しないじゃない。そんな感じなのかなぁって」
「ん⋯⋯微妙な例えだな」
「そう?」
「生命体と一緒にされてもな⋯⋯なのに一理あるような無いような、微妙なんだよ」
「⋯⋯そう? なんか難しいね」


 何だか途中から面倒くさくなってきたので放り投げると、五条に「オマエだよオマエ」と呆れられた。それに笑って返してから、横に立ったままの五条を手招く。
 

「ね、先輩も見てみてよ。靴の上に落ちるやつ、溶けにくいし背景黒で見易いから。すっごい綺麗なんだよ。きっとじっくり見たことなんてないでしょ」
「そりゃねぇけど、何で俺が」


 とぶつぶつ零しつつ、五条は名前の隣に屈んだ。

  

 

「「さっ、さむ⋯⋯!」」


 高専の廊下に名前と五条の駆ける音が響いていた。両者の髪は溶けた雪で湿っており、身体は寒さからガタガタと震えている。

 名前より一歩前を駆けながら、五条は声を荒げた。

 
「名前がくだらねぇ話にいつまでも付き合わせたせいだからな!」
「そんなこと言って先輩だって結構楽しそうだったじゃん!」
「ハァ?! 誰が!」
「先輩がだってば! ほらっ、もういいから早く! 早く火の近く!」


 ドタドタと喧しい足音と話し声が廊下を走る。それを聞いた何人かの寮生は「アイツら帰ってきたのか」と、いつも通りの喧騒に肩を竦めていた。
 

「「あ、あったか〜〜〜〜」」


 碌な防寒もせず長いこと寒空の下にいたせいで真っ赤に染まり悴んだ手を、二人揃って炙るように翳す。熱を得た指先がじんじんと痺れる。


「風邪ひいたら名前のせいだからな」
「なんでー」
「むしろオマエ以外誰のせいだっつーんだよ」
「先輩のせい」
「あ?!」
「ふふ」


 こんな調子で、会っていなかった間の互いの任務のことや仲間の様子、新発売の中華まんのことなどを話すうち、身体は芯からすっかりと温まっていた。
 
 その心地よさにだらけきった表情で、名前がのんびりと息を吐く。

 
「はぁ〜〜あったまったね〜〜。先輩そろそろ部屋戻る?」
「いや、んー⋯⋯名前は?」
「ん? んー⋯⋯もう少しあったまろうかな。なんかうとうとしてきて気持ちいいし」
「あ、そ」
「うん」


 生温い眠気が心地よいのは事実だ。このままここで少し眠ってしまえばさぞ気持ちがいいことだろう。だが名前にはこの場を離れたくない明確な理由があった。

 後にも先にも、──五条がここにいるからだ。

 五条と話すことのできる貴重な時間を、自ら手放すなどできるわけがない。五条が任務で不在だった期間──特に今回は長かった──、五条不足でうっかり震えてしまうところだった。だから、理由は何にせよ五条がまだここにいるというのだから、その間はここから動くつもりはない。


 
 とは言ったものの、まさかあれから三十分も五条が腰を上げないとは思わなかった。ここまで耐え忍んできたが、さすがに眠気の方が勝る。もう目が殆ど開いていない。

 
「ねぇ〜〜先輩⋯⋯いつ戻るの?」
「名前こそいつ戻んの? 寝いんだろ」
「先輩が戻ったら戻るよ」
「何で?」
「ふふ」
「ふふ、じゃねぇのよ」


 呆れたようにそう言ってから、五条がぽつりと、「⋯⋯名前がいたら、俺も戻れねぇだろ」と零す。それを聞いた名前は、眠気からくる判断力の低下により三拍ほど遅れてからゆっくりと視線を五条に向け首を傾げる。
 

「⋯⋯? 何で?」
「いや、何でもねぇ。⋯⋯おし、仕方ねぇな、さっき言ってた新しい中華まんでも食いに行くか」
「⋯⋯? 何か“仕方ない”ことあった?」
「だから何でもねーんだって。行くの? 行かねぇの?」
「あっ、行く行く、先輩の奢りっ」
「何でだよ」


 降り止まぬ雪が窓に止まる。幾つもの結晶を宿した大きな雪片はまるで、花のようで。




 
【六花の蕾】
 

もも様より、高専五条悟のおはなし