振り撒いたのは何だっけ
ブブ、という小さいくせに身の内に響く音が部屋に満ちている。
「や⋯⋯かず、や」
「や、じゃねぇだろ」
「ん⋯⋯っ」
僅か数センチ足らずのころりと丸いフォルムが、小さく震えながら皮膚の上を撫でていく。腕。太腿。腹部。やわらかな部分を。ブブ、ブブ、と。その細かな振動に表皮が粟立つ。名前は身を捩り、何故こんなことに──と数分前に思いを馳せた。
事の発端は、出来心で付けた香水だった。
今日は高校時代のマネージャー仲間とカフェでランチの予定だった。高校卒業から五年、皆それぞれ仕事が忙しく、会うのは久し振りだ。それが嬉しくて普段より少し華やかにお洒落をしている最中、ふと視界に小さな小瓶が目に入った。何かの特典で貰い、試しに香りを嗅いでみただけで一度も使ったことがない香水だった。少し迷ってから、裏首筋に付けてみた。
極々僅かに。きっと、誰も気付かない程度に。
特に深い意味はない。何となく、ただいつもより少しだけ背伸びをしたかのような。秘密のお洒落をしたかのような。そんな浮かれた心地になれた。
そうして準備を終えた頃だ。
「もう行くの? 早くねぇ?」
オフシーズン中に限り拠点を名前の家に置き、微妙な半同棲状態のようになっている御幸が問うてきた。
「うん、少し寄りたいところあって。今日は夕方には帰るよ」
「じゃあ晩飯作っとくわ、何がいい?」
「えっ、ほんと?!」
「いっつも作ってもらってるしな」
「わあい、嬉しい! 一也のご飯大好き!」
ソファに腰掛けていた御幸に半分程体重を預け、ぎゅっと抱き着く。「甘いものいっぱい食べてくるから、夜ご飯はカロリー控え目でお願いします!」と言い掛けて、開きかけた口のまま固まる。
御幸の眉が、酷く怪訝そうに寄せられていたからだ。
「⋯⋯一也? どうかした?」
「⋯⋯何? この匂い」
「え⋯⋯あ、」
自分でも忘れていた。香水を付けたということを。抱き着いたことで首筋が近くなり、微かに香る匂いに気付いたのだろう。
「使ってなかったのがあったから、ちょっとだけ付けてみたの。苦手な匂いだった?」
思えば御幸の前で香水を付けるのは──というか、名前自身香水を付けるのはほぼ初めてであるし、御幸も付けない。もしかして御幸は香水の類が嫌いだったのだろうか。
「⋯⋯いつもは付けねぇだろ」
「なんか久々に皆に会えるから浮かれちゃって。ほら、これもこの間買ったばっかりのワンピースなの」
「⋯⋯男は?」
「? 男?」
「男も来んの」
「? 青道の部員の誰かってこと? 来ないよ、いつも通り女子会だもん」
──何だろう。この会話の違和感は。というか御幸は何だか怒っていやしないだろうか。一体どうしたというのだろう。
「ねぇ、一也? どうしたの⋯⋯?」
何となく心がざわついて、不安げに問う。御幸は名前の髪を一度梳いてから、その手で何かを要求するような仕草をした。
「梅本か夏川。電話して」
「電話⋯⋯?」
「何、確認されたら不味いことでもあんの?」
「あー! さては変なこと疑ってるなー?」
漸く合点がいった名前は、急いでスマホを出す。これで御幸が安心できるのであればいくらでも電話するが、それにしても驚いた。御幸がこんなふうになるのは初めてだ。本当に、一体どうしたというのだろう。
「一也がそれでわかってくれるならすぐ電話するよ。でも、一也が考えてるような⋯⋯そんなことあるわけないじゃん。どうしたの、らしくないね。何かあった?」
「香水なんて振り撒いて、しかもいつもより洒落込んでるお前が悪い。誰だって浮気かと思うだろ」
むすりと告げる御幸に、“夏川唯”へと発信中のスマホを渡す。渡しながら、そうか、今がオフだからかと思う。シーズン中は名前に向ける意識が有るのか無いのか微妙なくらい野球に没頭しているが、オフで、しかも毎日のように顔を合わせられているのだ。今はきっと、名前に向ける意識の割合が一年で最も大きいのだろう。
御幸は名前の背へ腕を回しながら、スマホを耳に当てた。
「──あ、俺だけど」
「あれ? この声御幸くん? あ、そっか、今オフの期間だから⋯⋯名前に何かあった?」
「そう。悪りぃんだけどさ、名前少し遅刻するわ、なんか腹痛ぇみたいで」
「え! 大丈夫?!」
「うん、多分な」
「今日行く予定のパンケーキ屋さん、クリーム鬼盛のとこだよ。無理しないほうが⋯⋯」
「あー、出すもん出したら行けるんじゃねぇかな。まぁまた後で連絡するから」
「わかったよ、無理はしないでねって伝えてね」
「ああ、サンキュ」
御幸にとってはいつ振りになるのか分からない夏川との会話に、懐かしさというものは微塵も宿っていなかった。返ってきたスマホを手に、御幸に訊ねる。
「あのー、一也さん? わたしは一体何を出してるんでしょうか?」
「嘘も方便っつーからな。アイツらと会うってのも嘘じゃなさそうだし」
「もう、そんなわけないじゃん⋯⋯ていうか遅刻って何で──」
喋っている途中で御幸の両手に腰を掴まれ、御幸の両の太腿を跨ぐように座らされる。その瞬間、名前は目を見張った。
御幸の股関節の間。名前の恥骨あたりにぐりっと当たる、硬く異質な感覚。名前は思わず「な、なんで?!」と口にしていた。これは明らかに性的興奮を示すものだ。
香水。オニューのワンピース。メイク。架空の浮気相手。嫉妬。思い付くきっかけはこれくらいだろうか。この何れかに触発でもされたのだろうか。
「いやー、俺もよく分かんねぇけど、何かスイッチ入っちまったんだわ。まぁ遅刻の連絡もしてるし?」
「そ、そんなにこやかに言われても──っきゃ、ぅわ、あ」
ひとつ分の瞬き程のことだった。
急な浮遊感を自覚した次の瞬間には、背中に毛足の長いラグの感触。視界には天井と、御幸の顔。両手首は頭上で縫い止められていて、抵抗を許されない。
「心配させた責任、取ってくんねぇの?」
「っ、言い方がずるい⋯⋯!」
せめてもの抗いとして言ってみるが、御幸にはどこ吹く風。名前の首筋に顔を埋め、「この匂い、くらくらする」と熱ぼったい溜め息を落とす。あらゆる所にキスを降らせ、そのうち焦れったそうにした御幸は、名前の身体を抱え寝室へと移動した。
ぼふ、と沈むマットレス。
間髪入れずに口を塞がれ、ベッドボードの棚にある小物入れからローターが出されたところで、冒頭に戻るというわけである。
いつの間にかワンピースは脱がされていて、ブラジャーと双丘との間に挟まれた振動に、敏感な尖りが押し潰されている。もう片方は御幸の指先にくりくりと嬲られ、Мの字を描くようにはしたなくも開かされた下肢の中心からは蜜が溢れ出す。それを人差し指で確かめた御幸は、先程の小物入れから、もうひとつ、何かを取り出した。
「な⋯⋯に、それ⋯⋯っ?」
「この間買った。いわゆる吸うやつ?」
「す、う? ⋯⋯っぁ、ああ、ん」
形状からして蜜道に挿入する箇所が、下腿に近付く。直後、ぬるりとした自身の蜜の感触と、ひやりとした無機物がゆっくりと挿入ってくる感覚。ゆっくりと、ゆっくりと。柔らかな壁を押し広げながら。そうして挿入りきったと思われる頃、花芽にぴたりと“何か”が密着する。
スイッチが、入れられて。
「ひ──っ?! ぁ、あ、んんンぅ」
「どう? 痛かったりしねぇ?」
「っは⋯⋯な、これ、やば⋯⋯っイッちゃ」
「もう? すげぇな」
「っん、ぁああ⋯⋯!」
きゅうう、と花芽を吸い上げられる未知の感覚。御幸の口でされているようで、でも明らかに、生身の人間のものとは違っていて。且つ、蜜道に沈んでいる部分にもしっかりと女体を悦ばせるための動きが備えられていて、名前は余りにも呆気なく絶頂へと押し上げられた。そうして快楽が引く間もなく次の快楽が与えられ、また、押し寄せる。
終わりが見えない快楽は、強過ぎる快楽は、快楽からの逃避願望さえ惹起させてくる。そんな限界を感じたところで、身体の奥深く、最たる快楽が昇りくる予感に四肢が震える。
「⋯⋯っ、ぁ奥⋯⋯っナカも、きちゃう」
「へぇ、今までイッてたの、全部吸われてるとこだったんだ」
「ん、ぅぁあ⋯⋯っもぉ、だめ⋯⋯っ」
ナカで達するか否かというところだった。
あと二秒、いや、あと一秒。あと一秒だけでも刺激が続いていれば、というところで、ずるりと抜かれる。その直後。何よりも硬く大きく張り詰めた御幸の男根が、ひと思いに名前を貫く。
「──っぁぁあ⋯⋯!」
ぎりぎりで堰き止められていたところに、待ち望んでいた御幸の刺激。名前はたったひと突きでオーガズムへと転がり落ちた。背が反り、下腹部から全身へと痙攣が広がる。耐えるように、御幸の首に腕を回してしがみつく。
自然と潤んでしまった瞳で御幸を見上げる。まだ止まらない痙攣の中、舌っ足らずに恋人の名を呟く。それに気を良くしたのか、御幸の唇が楽しげに持ち上がる。そんな御幸を見て名前は天を仰いだ。
果たして遅刻で済むのだろうかと。
くったりと横たわった名前が、重たく視線を動かす。その先には寝室の時計。早めに出掛けるつもりだったおかげで、一応今から出発してもそれ程の遅刻とはならなさそうだ。
ならなさそうなのだが。
如何せん身体が使い物にならない。未だかつて一度のセックスでこんなに果てたことはないし、故にそのことが如何程に体力を消耗するのか知りもしなかった。
涼しい顔で名前の身体を拭いてくれている御幸へ、唇を尖らせ文句を垂れてみる。
「⋯⋯一也のいじわる」
「まぁまぁ。気持ちよかっただろ、お互い。それに、これで浮気なんてする気なくした?」
「⋯⋯最初からないです⋯⋯これっぽっちも⋯⋯一也だけだもん⋯⋯」
「ははっ、知ってる」
◇振り撒いたのは何だっけ◆
みみみ様より、玩具を用いた激甘裏。社会人設定