光って見えただなんて



 夏休みに入り二週間ほどが過ぎた、とある日のことだった。


「おっ、やーっと来たか、待ちくたびれたぜ」
「? 何か約束してたっけか」


 俺はただ暇だったから何となく来ただけだぜ、と靴を脱ぎながら言う陣平に、萩原は驚きの声を上げた。

 
「何回も言ったじゃんよ、祭りだよ祭り!」
「あ?」
「何だよ、あんだけ言ったのに全然聞いてなかったのか? ほら、前に一緒に行ったことあるだろ、花火も上がるデケェ祭り」
「あー⋯⋯あった⋯⋯か?」


 視線を上に向け記憶を攫う素振りを見せる陣平に、萩原は呆れて溜め息をつく。
 
 
「あったんだよ。何で覚えてねえかな」
「いちいち覚えてねえよ、んな細かいこと」
「陣平ちゃん、そんなんじゃ将来困るぜ? 女の子はこういうことしっかり覚えてんだからな。つーかそもそも全然細かくねえし」
「大きなお世話だっつの」


 むすりと寄った眉間。幾度となく見てきた陣平のその皺を見遣って、萩原は肩を竦める。


「まあいーけど。んで、その祭りがこれからあるから一緒に行こうぜって話」
「行かねーよ、餓鬼じゃあるまいし。それよりあとで飯食いに行こーぜ、今日ウチ親いねえんだよ」
「んじゃ丁度いーじゃん、屋台で晩飯食いがてらさ。ほら、浴衣も用意してあんだぞ」
「浴衣だ?」


 怪訝さが目一杯滲んだ陣平の言葉には、「何で俺が浴衣なんか」「何で萩が俺のを用意してんだよ」を始めとする多くの懐疑が詰まっていた。それを受けた萩原がしたり顔で答える。
 

「んなの名前ちゃんも誘ってあるからに決まってんだろ。キメて行かねえと。ほら早く、待たせねえようにしろよ」
「は⋯⋯はあ?! 名前?! 聞いてねえぞ」
「だって言ってねえもん。どーせ陣平ちゃんは誘えないだろうと思って俺が声かけておいたんだよ。あーあ、サプライズにしようと思ってたのになー、陣平ちゃんがゴネるから」
「な⋯⋯」


 陣平が押し黙ったこの隙に、萩原は手早く陣平の服をひん剥いた。一瞬遅れて慌てて抵抗を始めた陣平であったが、無理矢理浴衣を被せていく萩原の方が上手であった。ドッタンバッタン、あーでもないこーでもないとすったもんだを繰り広げたのち、最終的に渋々浴衣を身に付ける羽目になる。

 嫌々着飾ったはずの陣平はしかし、ここ最近で最も活き活きとして見えた。久しぶりに名前に会えることが嬉しいからに他ならないのだと知っている萩原は、その天邪鬼さに笑いを堪えるのだった。







「名前ちゃーん、お待たー! いやー、陣平ちゃんの駄々が凄くて着替えさせんの大変でさあ」
「うわ、わかる、わたしの弟もやってたよー、家出る直前で『やっぱりこの靴下いやあー!』とか『この服イヤ、いまお洗濯してる服じゃなきゃ行かなーい』とかって」
「なー、大変だよなあ」
「ねえ」


 くすくすと肩を揺らし合う二人の背後で、陣平の怒気がゆらりと揺れる。
 

「オイコラ⋯⋯シバかれたい順に並びやがれ」
「きゃ、大変! 萩くんからどうぞ」
「えー。でもこんな時にレディーファーストって言うのもアレだしな、しゃあないか。よしこい陣平ちゃん」
「あははっ」


 きゃらきゃらと転がる笑い声に、陣平の毒気はあっさりと抜かれていく。二週間ぶりに聞く名前の声に、胸が情けなくも苦しくなる。たかが二週間。されど二週間。日頃名前と連絡を取り合う習慣になかった陣平にとって、夏休みという期間は執拗に長い忍耐の日々だった。

 名前は──名前は、どうだったのだろう。あの屋上に行かなくとも平気な毎日を過ごしているのだろうか。陣平だけが。こんな夏休みを送っているのだろうか。

 そんな陣平の気も知らぬ名前は、「行こー、楽しみだね」とゆっくりと歩を進める。カラン、コロン。夏のような軽い音が、名前の足元で踊っている。
 

「でも着てきてよかったねえ、浴衣。二人とも凄く似合ってるよ」
「サンキュー。名前ちゃんも超可愛いぜ。色調も柄も名前ちゃんぴったりだし、髪型も最高」
「わあほんと? よかった、嬉しいな」


 名前も、浴衣を着ていた。とても良く似合っている。名前が言った「似合ってる」は名前にこそ向けられるべき言葉だ。だから萩原が何の衒いもなく名前を褒めてくれて良かったと思う。陣平はあんなふうに口には出来ないから。


「ね、陣平くんはお祭り何好きなの? わたしお好み焼きもたこ焼きもフランクフルトもフルーツ飴も綿飴も、とにかくたくさん食べたいものあってね、でも一人じゃ全部食べれないから皆で分けっこして食べたいなって考えてたの。協力してくれる?」
「食いしん坊かよ」
「いいじゃない、楽しみだったんだから」
 
 
 そんなことを話しながら屋台にさしかかって、すぐのことだった。
 

「あ、おっすー!」


 すれ違う人混みの中、萩原が誰かを見つけ手を上げた。見ると陣平にも見覚えがある女子が三人、萩原に手を振り返している。すぐに「萩原くーん、ちょっと一緒に回ろうよー!」なんて提案が飛んできて、「いいねー!」なんてフットワークの軽い返事が飛んで返っていく。そして「ごめん、俺ちょっと行ってくるわ」と、陣平たちの返事も待たずに行ってしまう。誘ってきたのお前だろ、なんて言わせる隙もない、見事な立ち回りだった。


「⋯⋯行っちゃったね」
「チッ」
 

 名前と二人取り残されたような画に、陣平は思わず舌打ちをしていた。去り際の萩原の「ごゆっくり〜」とでも言いたげな表情に腹が立つ。

 分かってはいたのだ。どこかで萩原が、陣平と名前を二人きりにしようと考えていることくらい。分かってはいたのだが。


「⋯⋯⋯⋯」

 
 二人きりに、なってしまった。

 途端に少しの緊張が走り、空気が余所余所しく感じられる。屋上ではいつも二人きりだというのに。あの場所で会うことと、何が違うというのだろう。何故、こんなにも意識しなければ“いつも通り”が難しいのだろう。

 こんな陣平の気持ちには気付いていないのだろう。名前はすぐに気を取り直した様子で屋台を見回し、そして声を上げた。
 

「陣平くんっ、射的! 射的あるよ! 得意そう!」
「⋯⋯おう。どのぬいぐるみだ? うさぎか?」
「違うよー、わたしが欲しいんじゃなくって、あのヤイバーのフィギュア! 弟に取ってあげたい!」
「⋯⋯お前なあ」


 こんな時くらい自分の欲しいもん言えよ、と。言い掛けたその言葉を口にしなかったのは、名前の表情が愛に溢れていたからだ。家族の幸せは名前の幸せなのだと、物語っていたからだ。

 名前だってまだ高校生だというのに。そんな顔が──出来てしまうのか。

 その事実と、その因子となった生育環境に、陣平は口を噤む。だから代わりに、間違って当たってしまった体を装って名前の好きそうなぬいぐるみも落とした。それを嬉しそうに抱える姿に、胸が妙な騒ぎ方をして搔き毟りたくなる。


「あ、陣平くんっ、ヨーヨー釣ろう! たくさん取った方が飴奢りね!」
「⋯⋯お前なあ。何で多く取った方が奢るんだよ? それじゃ俺が奢ることになるじゃねえか」
「えー、やってみなきゃ分かんないじゃない」
「いーや分かる」
「分かんないの」
「分かるったら分かる」
 

 遊んで食べて、また遊んでは食べて。名前に半ば振り回されながらそうするうち、いつの間にか普段通りに戻っていた陣平の隣に並び、名前はどこか夢見心地であたりを見回していた。この風景の中に、いつかの記憶を見ていた。

 ──五歳くらいだったのだろうか。
 
 遠くで囃子が聞こえていた。今よりずっと頭上高くで、提灯が酷く幻想的に灯っていたことを思い出す。まだ弟は生まれておらず、母も患っていなくて、父と母の間、両手を繋いで祭りに連れてきてもらったことがあった。目に付くものすべてがきらきらして見えて、上に下に、右に左にと忙しなく顔を向けていた。その都度目が合う両親の笑顔が嬉しくて、はしゃぎたくなって、名前はねだって買ってもらった面を付けて駆け回ってしまった。繋いでいた手を離して、嬉しさに任せて。

 そしてふと気がついた次の瞬間には、両隣に親の姿はなかった。

 焦ってあたりを見回しても、自分より遥かに背の高い人間が入り乱れるだけ。雑踏の真ん中にたった一人紛れ込んでしまった感覚。孤独、不安、恐怖、あらゆるものに襲われ、足が竦んで身動きが取れなくなった。

 母か父の名を呼ばなければ。探しに行かなければ。でもどうやって。どうすれば。どうしよう。

 完全にパニックに陥っていた名前が泣き出す直前、幸いすぐに両親が見つけ出してくれた。恐らく時間にすれば数秒の出来事だったのであろうが、慌てて駆け寄って来てくれた両親の腕に抱き締められるまでのその僅かな時間は、あまりにも長い恐怖だった。その時間は、今の名前にもなお恐怖として根付いている。

 大好きな人が突然いなくなる。その恐怖を初めて味わった日だ。そして、大好きな人がいる当たり前の大切さを、何となく理解した日でもあったのだと思う。

 もう遠い。在りし日の記憶だ。

 鼻の奥がつんと痛み、束の間目を閉じる。浮かびそうになった涙を押し留め、そして次に目を開けた時には──


「⋯⋯あれ? 陣平くん⋯⋯?」


 隣を歩いていたはずの陣平の姿が、忽然と消えていた。勿論、こんな人混みで例え僅かであったとしても目を閉じたりした名前が悪いのだ。完全に。こんな場で郷愁に浸ってしまった後悔と同時に、酷い心細さと恐怖が襲い来る。この恐怖が「今の名前」が感じているものなのか、「幼い名前の記憶」なのか、曖昧で判然としない。慌てて周囲を見回すが、焦りからか視線が滑ってしまい上手く探すことが出来ない。呼吸が短く浅くなる。動悸がする。

 その時だ。ぱし、と手を掴まれたのは。

 
「名前」
「──っ」
「きょろきょろしてどうした?」


 陣平だった。
 陣平が名前の手を掴み、不思議そうに顔を覗き込んでいる。名前は大きく目を見開いて、一瞬息を止めてから、溜め息を吐くようにしてその名を呼んだ。

 
「じ⋯⋯陣平くん⋯⋯どこに⋯⋯」
「どこって⋯⋯下駄と足の間に小石入っちまったからしゃがんで取ってたけど」
「あ⋯⋯じゃあ足元にいたんだ⋯⋯」
 

 いつも名前より上にある陣平の顔を必死に探していた。まさか足元にいただなんて。思いもしなかった。明らかに視野が狭くなっていた。焦りとは恐ろしいものだ。

 兎にも角にも胸を撫で下ろす名前に、陣平が問う。
 

「何だよ、迷子にでもなったかと思ったか?」
「ちっ、違う、もん⋯⋯」


 揶揄を含んで問うた陣平だったが、殊の外名前の雰囲気がしょぼりと沈んでいることに気が付き、その俯きがちな頭にぽふりと手を置く。

 
「一人になんてなんねえよ、俺お前のこと視界から外してなかったし」
「そう⋯⋯だったの?」
「ああ。もうすぐ花火の時間だからか人増えてきてたしな。⋯⋯迷子が心配ならこのまま繋いでてやろうか?」


 今度こそ揶揄う気満々な陣平は楽しそうに口角を持ち上げ、握った手をこれ見よがしに掲げて見せる。

 
「またはぐれて泣きそうな顔されても困るしな」
「なっ、泣きそうな顔なんてしてないもん!」
「どーだか。鏡見てみろよ」


 だなんて。いつものような会話。それとは裏腹に、名前の手を些か乱雑に包む手付きは優しい。

 互いに相手の出方を窺っていた。離すのか、離さないのか。あわよくばこのまま──離さないでほしい。

 その互いの願いはそのまま現実となる。
 
 ついぞどちらからも手を離すことはなく、こそばゆさを感じながらも花火が見える場所までどちらともなく移動を始める。

 カラリ、コロリ。

 喧騒に飲まれて消えてもおかしくない二人の足音。なのにその音だけがやけに耳に響く。
 
 繋いだ手は、恋人同士のそれではない。指も絡んでいなければ、一方的に陣平に握り込まれているような。それでも名前にとってはこの上ないほど嬉しく、そして安心感に満ちたものだった。

 陣平は今、どんな顔をしているのだろう。

 名前の手を引きながら半歩先を歩むその姿を見つめる。そんな折、ヒュル、と特有の音が響いて。一拍遅れて、夜空に大きく花が灯る。


「始まったな。⋯⋯こっちの方が見えるか」


 見やすい場所へと向かう陣平のシルエットが、花火の一瞬の煌めきの中に眩しく浮かんではまた、夜に紛れていく。何度も、何度も。花火に縁取られるその姿を、名前は眼裏に閉じ込めた。
 


 

[光って見えただなんて]


硝様より、「宵恋を編む」番外篇、二人で夏祭りに行くおはなし