愛で焦げたみたいでさ
幸せだなあ、と思う。
「ちょっと、どけて、じんぺーはそっちいって」
「あ? なんで」
「おれがおかあさんのとなりだから」
「⋯⋯名前の反対側空いてっけど?」
「⋯⋯おれだけがとなりがいい」
朝食の席に着こうとしているところだった。食器を並べ、一足先に腰を下ろした陣平に向かって息子が言うのだ。席を替われ、と。陣平からは「名前を中央に挟み両隣に陣平と息子が座る布陣」が提案されるが、敢え無く却下され、途端に二人の間には火花が散り始める。なんとも可愛らしいその火花を、名前が珈琲片手に穏やかに眺めていた。
茶飯事となっているこの手の争いは、最終的には必ず陣平が身を引き息子に譲ることになる。しかし毎回譲る前に一度は抵抗をしてみせるあたりが陣平の可愛いところであり、名前にとっても嬉しいことなのである。
結局両親の間に陣取り朝食を摂り始めた息子に、名前は声を掛けた。
「そうだ息子、今日は萩くん来るよ」
「え?! なにしに?!」
「この間バーベキューしようって言ってたでしょ。天気いいから今日やろうって」
「えー?!」
前面に出るのは嬉しさ。「おれカルビたべる!」とはしゃいだのち、思い出したように顔を出したのは対抗心と闘争心と謎の使命感と。「はぎわらにはまけられない」だの「おれがまもる」だの、拳を作って意気込む姿に名前と陣平は苦笑を零すのだった。
買い出しは楽しい。特に久しぶりのバーベキューの食材選びとくれば一段と楽しいのだが、今も目の前で繰り広げられているバトルには眉がハの字になってしまう。今回は会計直後、「おら、貸せ」と名前の手から買い物袋を奪った陣平に、息子が「おれがもとうとしてたのに!」と突進したのが発端だった。
「お前この間も持つっつって、重くて引きずって袋に穴空けちまっただろ」
「きょうはだいじょうぶ!」
「今日のほうが重いっての」
そう言う陣平に、息子は唇を噛み締めた。近頃の息子のこの手の行動は、ただの嫉妬でも我儘でもないのだ。それは名前も陣平もよく分かっている。だから、「おれもおかあさんのやくにたてるもん⋯⋯」と俯いた息子の頭に、陣平はぽふぽふと手を置くのだ。
「──お前もすぐデカくなっから」
その言葉に、切なくなったのは名前だった。
ついこの間、この手にその命を抱いたばかりなのに。気付けばこんなにも大きくなって、他者のために何かをしようと懸命になっている。きっとすぐだ。あっという間に、名前たちの手を離れる日がくる。
もう少しこのまま。ちいさくて名前たちに守られる存在であってくれてもいいのに。と、成長を願う反面、少しばかり思ってしまうのだ。
思いがけず感傷に浸ってしまった名前に、まだ感情の整理が付いていなさそうな息子が顔を向ける。陣平によく似た瞳が、妙にキリッと名前を見上げている。
「⋯⋯じゃあ、こっちはおれがもつ!」
「え?」
一瞬のことだった。息子は名前の持っていた鞄を手早く手に取り、大事そうにむぎゅっと抱え、対抗するように陣平の隣に並ぶ。それを横目に確認した陣平と、そのまま二人揃って歩き出してしまった。
残された名前は、ふたつ並んだ背中に向かってぽかんとしたまま呟く。
「あの、わたし、なーんにも持ってないんだけど⋯⋯」
こんな調子のままバーベキューの準備が進む。「なあ名前」と陣平が声を掛ければ、「ねえねえおかあさん」と息子も声を掛けてくるし、やる事なす事とにかく何でも「おれも!」「おれが!」「いーやこれは俺がやんだって」となるので、騒がしいことこの上ない。
そんな時だ。「何、お前らまーたやってんのか。飽きねえなあ」と、庭先でも変わらぬ陣平と息子の姿に笑いながら萩原がやって来た。
「あ、萩くん、いらっしゃーい」
「うーっす。名前ちゃん今日も今日とて大変だな」
「ふふ。でも嬉しいよ」
「ほんと陣平ちゃんも毎度毎度大人気ねえよなあ。まあそんだけ名前ちゃんが好きっつーことなんだけど」
「ふふ、やだ」
照れくさそうに下がった名前の目尻を見て、萩原が笑む。陣平と息子、二人が存分に安心しきって騒げるのは、家族に注がれ続ける名前の莫大な愛情のおかげだ。いや、そんな名前だからこそ、二人はこうして争うのかもしれないが──そんなことを考えていた、その時だ。
「でたなはぎわら!」
「おっ、息子、今日も戦闘態勢だな。いい威勢だぞ」
「きょうというきょうは! そのくちからギャフンといわせてやる!」
「ハハハ、そんな台詞どこで覚えてくんの? ヤイバー?」
「かるくあしらうな!」
「ハハハッ」
飛び掛かってくる息子をさらりと避けて躱し、萩原は火を起こしている陣平に挨拶がてら顔を向ける。
「おい陣平ちゃーん、陣平ちゃんの口悪いせいで息子も似てきてるぞー」
「あ?」
「それだよそれ」
もっと愛想よくだな、と、今更なことを言う萩原に名前が笑う。その空間に、息子が割って入っていく。
「こらーはぎわら! きょうもちかい! おかあさんからはなれろ!」
「やーだね。今日は肉食いに来たっつーより名前ちゃんに癒されに来たんだから」
「えっ、どうしたの萩くん」
「それがさー、聞いてくれよ名前ちゃん」
「うんうん」
どちらかと言うと萩原に悩みを聞いてもらうことが多い名前は、ここぞとばかりに腕捲りをして身を乗り出し、前のめりな傾聴の姿勢を示す。いつも頼ってばかりだから。頼ってもらえた時くらい、力になれる自分でいたい。
そんな名前の願いはしかし、虚しくも潰える。息子が萩原の頬をむぎゅむぎゅと潰す攻撃を繰り広げているせいで、萩原が言葉を発せないのだ。名前は息子を後ろから抱えて膝に乗せ、顔を覗き込む。陣平に似た癖毛が、頬を掠める。
「こーら息子? 萩くんおはなししてるでしょ? あ、そんなにむくれた顔して」
名前が萩原の肩を持つことが気に入らないのか、目一杯頬を膨らませた息子。名前が困ったように眉を下げた時、たまたま陣平から「息子ー、焼き始めるぞ、ちょっと手伝ってくれ」と声が掛かり、息子は気持ちが切り替わったのか名前の膝を降り駆けて行く。
「おれがおかあさんのやく!」
「オメー名前の好きな焼き加減知ってんのかよ? 俺に任せとけ?」
「しってる! できる!」
「ほー、んじゃあお手並み拝見といこうかね。火傷には気を付けろよ」
なんて会話を聞きつつ、名前と萩原も食べる準備をし始める。取り皿を用意しながら、名前は上目で萩原を見る。
「ごめんね萩くん、いっつもいっつも⋯⋯後でちゃんと聞かせてね」
「いーってことよ。一丁前に嫉妬して可愛いじゃねえの」
息子は、萩原が好きだ。
いつもたくさん遊んでくれて、可愛がってくれて、兄貴分のように慕って、信頼している。だからこそ先のような態度も取れるのだと分かってはいるのだが、近頃当たりが強い気がしてならない。不安が首を擡げる。
「でも⋯⋯もしかして何かが満たされてないのかな⋯⋯愛情不足とか」
「まさか、んなわけねえよ」
「⋯⋯そう、かな」
「モチロン。不足どころかたっぷたぷだぜ? これはさ、不足してんじゃなくて男心っつーか⋯⋯まあ俺が言うより本人から聞いたほうが早いか。よし、ちょっと待ってな」
ウインク付きでそう言った萩原が息子に声を掛けたのは、陣平が焼いてくれた第一陣のお肉を息子が運んできてくれた──躓いてひっくり返しやしないかと一同ハラハラと見守っていた──時のことだった。
「なあ息子」
「なに?」
「お前、名前ちゃんのこと好きか?」
「うん。あたりまえ。だからおれがまもるんだ」
「そーか、格好いいぞ。でもなんでお前、その歳でそんなに格好いいんだ?」
聞かれた息子が、いくつかの感情を顔に宿す。褒められた誇らしさと面映さ、自信と気概。そしてこれは、尊敬と相反しながら共存する──悔しさ、だろうか。
その歳でよくそんな表情ができるものだと感心して見ていると、幾ばくか逡巡したのち、ちいさな口が開く。
「⋯⋯⋯⋯じ、」
「うん?」
「⋯⋯じんぺーが⋯⋯そうしてるから⋯⋯おかあさんいつもうれしそうだから⋯⋯だから、おれも」
「ん、そっか」
熱くなった胸。涙が浮かぶ。
そんな名前の隣で、萩原のおおきな掌が息子の頭のてっぺんをくしゃくしゃと撫でる。まるで息子だけではなく、名前と陣平を含めた家族ごとくしゃくしゃと撫で回してくれているようだ。
萩原は、いつもこうだ。
いつもこうして、名前たち家族にあたたかみを与えてくれる。
「息子にとって陣平ちゃんは師でもあり、ライバルでもあるんだな」
「⋯⋯“し”って?」
「んー、そうだな、いつか分かるさ」
「ふうん」
「ちなみに俺は? 俺もライバルなわけ?」
「? はぎわらはてきだけど」
「敵だって? 何でだよコイツ、そんなこというヤツはこうだ!」
「うわっやめろー!」
こちょこちょと脇を擽られ、身を捩りながら息子が笑う。その最中、陣平が「お前らー、次焼けたぞ、皿持って来い」と呼びかけた。名前が「はあい」と返事をしたものの、賑やかな笑い声に掻き消され陣平には届かない。なので陣平の元へ取りに行くべく立ち上がろうとしたのだが、萩原から逃げ回っている息子が飛び乗ってきて身動きが取れなくなる。
「おい、焼けたって」
「ありがとう陣平くん、待ってね今──きゃ、なんでわたしまで擽るの、あははっ」
「おいって、焦げるぞ、俺全部食っちまっていいのか?」
「あっ、だめだめ、今取りに──きゃははっ、息子、わたしそこ弱いんだってば、ふふっ」
「──コラ焦げるっつってんだろ! 早くしろオメーら!!! あとさっき名前に泣きそうな顔させてただろ二人とも後でシバくからな!」
と、陣平にしては辛抱強く堪えていた堪忍袋もついにはち切れ、三人で慌てて皿を持ち寄るのだった。
[愛で焦げたみたいでさ]
ともすけ様より、宵恋if、松田と息子(〜六歳)がヒロインちゃんを取り合うおはなし