永遠に灯って



 夏が終わろうとしていた。
 
 
「では始めます! 花火大会〜〜〜!」

 
 ぱちぱち〜〜! と手のひらを合わせ拍手をしながら見上げる夜空は、晴天。ちらちらと星が瞬いている。晩夏の夜といってもまだまだ暑い。湿気った空気が纏わりつく。そんなほぼ無風の大気の中に、ぽっと蝋燭の灯りが灯った。わたしの号令に合わせて兄が火を付けてくれたのだ。その灯りが、脇に立つ一也くんの足元をゆらりと照らした。

 夏を終えた球児二人と、そしてわたし。
 
 たぶん異色と言っていい組み合わせで花火をすることになるなんて思わなかった。まあそもそもこうなったのも、「はぁ? 二人だけで花火とか意味わかんないんだけど。俺もやるし」と、意味のわからない理由で勝手に参加してきた兄のせいなのだけれど。
 

「お正月に話してからずっとしたかったんだー、花火。だから嬉しくてたくさん買ってきちゃった。一也くん好きなのどんどんどーぞ! 仕掛け花火もいっぱいだよ」


 家を出る前にテープ類をほぐしてきた花火たちを入れた袋を、ずいっと差し出す。一也くんは何とも言えない表情で袋を見下ろした。
 
 
「? どうかした?」
「いや、俺、こーいうの初めてなんだよな」
「え⋯⋯そうなの?」
「花火大会はガキの頃一回だけ親父に連れてってもらったことあるけどな」
「そっかぁ」
 

 たった一度。お父さんと見たというその花火は、一也くんにはどう見えたのだろう。まだ自分より背の高い人込みを懸命に抜けた視線が捉えたであろう、夜空に浮かぶ無数の火花。彼の記憶の中で。どんなふうな彩りをもって、息衝いているのだろう。


「あ⋯⋯だから今日来てくれたの? 興味あったとか⋯⋯」


 少し疑問には思っていた。彼はお世辞にも花火ではしゃぐタイプとは言えないし、加えて兄もいるとなると面倒さのほうが先立つだろうと。だから今回の件をお誘いする際も、ダメ元だったのだ。
 

「いや? それとこれは関係ねぇけど」
「あれ? そうなんだ」


 どうやら違ったらしい。
 予想に反し軽く首を振った彼は、しかし理由を口にすることはなく、そのまま物珍しそうに花火へと視線を移した。「これ何? 蛇の絵描いてあんだけど」「それは絶対火付けてからのお楽しみ!」という会話の横で、兄は既にロケット花火を手に取り、嬉々として火元へと向かっていた。

 変わってないなあと思う。

 いつの間にか積み重なった月日。もうプロ入り目前というところまで辿り着いている兄の、幼き頃と重なる姿。


「──⋯⋯」
 

 束の間押し寄せたのは、紛れもなく、感傷というものだった。少しだけ胸のあたりがいずい。

 直後、その感傷を掻き消すかのようにピュウゥ──ン、と特有の甲高い音が夜空を裂く。隣にいた一也くんの肩が一瞬びくりと反応した。ちいさく笑い声を漏らして、横顔へと声をかける。


「音おっきいよね、びっくりした?」 
「⋯⋯ちょっとびっくりした。何あれ」
「ロケット花火って言うの。お兄ちゃん昔から好きで」
「ああ、好きそう。夏の夜にたまに外から聞こえてた音って、これだったんだな」
「一也くんもやってみる? ⋯⋯って、あれ、お兄ちゃんロケット花火ぜんぶ持っていっちゃってる! わたしもひとつくらいやりたかったのに!」


 抗議の声を上げてはみるものの、まったく聞こえていなさそうな兄は変わらず、ピュンピューンと景気よく飛ばしまくっている。その楽しそうな姿に触発されたのか、一也くんも手頃な花火を手に取り、蝋燭へと向かって行く。

 そして記念すべき、初点火。
 

「⋯⋯おー、ほんとに付いた」
「あ、途中で色変わんのもあんだ」
「うお、これすっげえ弾けるんだけど」


 そんな姿を、終始微笑みながら眺めてしまった。初めて花火に触れる彼の一挙手一投足を見逃すまいとするわたしは恐らく、後方保護者面をしているに違いない。

 夜の中、花火に照らされる彼のその表情を、いつかの夏にまた思い出したいなと思う。できればまた、こうして一緒に花火をしながら。

 わたしも花火を手に取り、火を付ける。ボ、と光が灯り、弾けては散っていく。


「昔はね、花火で地面に文字書いたり、虫追っかけたり、仕掛け花火でダイナマイト作ったり、今思えばちょっと危ないこともしてたけど⋯⋯こうして穏やかにする花火、すごくいいな」


 なんだか大人に近付いた気分だ。
 花火の遊び方のみならず、見え方があの頃とは違う。ひたすらにきらきら眩しかった光が、今はなぜか、どこか哀愁を纏った煌めきに見える。
 

「ダイナマイト⋯⋯? なんか不穏な単語混じってるけど成宮家大丈夫かよ」
「や、危ないんだよ、真似しちゃダメだよ」


 と話しながら花火を見つめているそんな折、「はー、やっぱ飛ばしまくると気持ちーね」と爽快な表情で戻ってきた兄が、今度はこっそりとヘビ玉やらねずみ花火やらを持っていく。

 その悪い顔ときたら天下一品物だ。

 忍び笑いをしながら一也くんの死角に回り込んだ兄は、一也くんの近場に次々と花火を仕掛け、そして次々と点火した。これにはさすがの一也くんも声を上げて走り回る羽目になる。

「なっ、蛇、じゃねぇのかこれも花火か⋯⋯うお、このチョロチョロするやつなんつー不規則な動きして⋯⋯危ねぇ⋯⋯っおいこら鳴!!!!!!」とかなんとか。

 

 

「最後はやっぱり線香花火! わたし花火はこれが一番好きだな。はいどーぞ」
「へー、これが有名な」


 珍しそうに線香花火が摘み上げられる。その表情は控えめに言っても怪訝なものだった。

 
「あ、なんかショボいなって思ったでしょ」
「はは、思った」
「ふふ、思うよねぇ」 


 生きていれば、この名は一度は耳にするだろう。それほど有名なのにこの見た目なのだから、そう思うのも無理はない。

 こんなに細くて頼りないものが、あんなにも儚く美しく変貌する。何度見ても感嘆が漏れる。そんな線香花火に彼が初めてまみえる瞬間に出会えたことが、酷く幸せなことに思えた。


「今日風吹いてなくてほんとによかったな⋯⋯あ、これね、こっち側に火付けるんだよ。ピラピラしてるところは持つ方」
「え、そうなの?」
「ふふ、こっちに付けたくなるよね。こうやって真っすぐ静かに持ってね」
 

 半信半疑といった手付きで、しかし言われるがまま、彼はそっと火を灯した。
  
 ジジジ、とちいさく震えながら、朱い球が育ち出す。程なくしてぱちぱちりと、か細い火花が散り始める。自然と息を詰めていた。

 ただ静かにその光を見つめている一也くんは、いま、何を思っているのだろう。

 このちいさな光に、──一体何を。

 静寂があたりを包む。この間、兄が口を挟まずに少し離れた場所で佇んでいたことに、あとになってから気が付いた。たまたまだったのか、それとも気を遣ってくれていたのか。わたしにはわからないけれど。

 そのままぽとりと灯りが消えるまで、誰からも言葉が発せられることはなかった。

  
「⋯⋯終わっちまったわ。こんな花火もあるんだな」
「⋯⋯あ、そうだ、線香花火の燃え方ってね、それぞれに名前が付いてるんだって。前にどこかで聞いて、昨日調べたの。えっと⋯⋯」


 ごそごそとスマホを探り、画面を光らせる。眩しい。こんな夜にスマホの人工的な光は余りにも似合わなく、余計なものだ。けれど覚えていられなかったのだから仕方がない。昨夜見たページを映し出しながら、一也くんにもう一度火を付けるよう促す。
 

「最初のまるっこい時が“蕾”、それから“牡丹”⋯⋯これが“松葉”かな。そして“柳”、最後のここが“散り菊”、って書いてある」
「⋯⋯へえ」
「風情があるよね」


 こういう時、日本という国で生まれ育ったことを誇りに思う。目の前の光景。音の響き。文字のかたち。あらゆるものに漂う雰囲気。趣を慈しむことのできる感覚。大切にしたい。

 と、ここでようやく兄が口を開く。
 

「よーし、そんじゃ次は一番最初に落ちたヤツが最後まで残ったヤツの命令ひとつ聞くことね」
「お兄ちゃんそれほんと好きだよね」


 兄はいつもこれをやる。線香花火番王様ゲームといったところだ。何年振りだろう。懐かしい。


「えー、俺、鳴の命令とか聞きたくねぇんだけど」
「は? 俺もだけど」
「え⋯⋯じゃあやめれば?」


 という建設的な提案は兄により一瞬で却下された。なんで。どうして。嫌ならやらなきゃいいのに。それでみんなハッピーなのに。そう思うけれど、こういう時の兄を止められないことはわたしも一也くんも重々承知している。

 仕方なく、三人で蝋燭を囲みしゃがみ込む。皆で同時に火に近付ける。幸い大差なく平等に点火したように思う。

 その直後のことだ。

 確か最初が蕾って言うんだったよね、と口にする暇も、趣を感じる暇さえもなく、兄が念仏かの如く唱え出したのは。

 
「落ちろ落ちろ落ちろ落ちろ」
「ちょっとお兄ちゃん、そんな子どもみたいな呪いかけないで──」
「「「あ」」」


 ぼとり。
 
 まだまだこれから、というところだった。窘めさえも終わっていなかった。けれど確かに、呆気なく落ちた火球がひとつあった。灯りのなくなってしまった細い持ち手だけが、無情に哀しげに揺れている。余りの呆気なさに、数秒沈黙が漂う。
 

「⋯⋯はっはっはっ、他人を貶めるようなことしてるからだぜ、鳴」
「〜〜〜〜〜〜〜ッ」
「あははっ、これは言い返せないよねぇ」
「うるっさいな!」


 笑いを堪えるのに必死だった。堪らえようと思えば思うほど、手元がぷるぷると揺れてしまう。いや、もうこの際わたしが先に落ちようが一也くんが先に落ちようがどっちでもいいのだ。けれど、無下に扱うこともできないというものである。
  
 
「こうなったらせめて次は一也のが落ちろ! ほら落ーちーろー!」
「おい、息かけんな、ズリぃぞ!」
 

 などという、趣とは程遠い場面が誕生してしまったけれど、まあこれも一興。である。




 
「⋯⋯で、チョー不服なことに、お前如きが俺様にひとつ言うことを聞かせる権利を得たわけだけど、何がお望みなわけ。言っとくけど程度は弁えてよね」
「態度は完全にお前が王様だよ」


 両腕を組み、ふんぞり返って一也くんを見下す様は、とてもこれからひとつ命を受ける立場とは思えない。対する一也くんは、非常に愉快そうにしながら頭を悩ませている。

 
「んー、そうだなー」
「早くしてよね」
「あ、これとかいんじゃねぇ? そのうち義理の兄弟になった時にさ、俺のことお兄様って呼ぶとか。定義上は俺が義弟になっちまうしな」
「なに、一也は俺に殺されたいの?」





◇永遠に灯って◆

 

yui様より、謡炎番外篇