踵を浮かせる魔法みたいね
「あ、タケミっち。隣だね」
高校一年生、このクラスになって三度目の席替えが行われていた。クラスメイトが一斉に動き回る喧騒の中、隣の席に現れた金髪に名前は笑みを向ける。
花垣は、名前が付き合っている千冬と非常に仲が良い。必然的に名前と花垣が接する機会も増える。そうして知らずのうちに気の知れた友人となっていた花垣が隣の席というのは、気が楽なものだ。
ほっと息を吐く名前の横。花垣が妙に神妙な面持ちでいたことに、名前は気が付かなかった。
その日の放課後、千冬と並んで歩きながらさっそく報告をしていた。
「今日ねー、席替えしたんだけど、タケミっちと隣の席になったんだよ」
「へー」
「千冬も遊びに来てね」
「気が向いたらな」
「あ、来ない気でしょ」
タケミっちと四六時中べたべたしてても飽きんじゃん、とでも言いたげな表情を向けられ、わたしに会いには来てくれないんですか、と思うなどして、それから少し、目線を伏せる。
視界には、並んだふたりの影。
千冬とは頻繁にこうして一緒に帰るし、クラスは違えどたまに昼食を共にしたりするし、メッセージのくだらないやり取りだってするし、場所さえ許せばキスだってする。確かに“付き合っている”のだと実感はできるし、嫌われてもいないだろうなとは感じる。
それでも贅沢に、本当に贅沢に、たまに思うのだ。
もう少し、もう少しだけ。想われてみたいな、と。
*
花垣の隣の席で送る高校生活は、至って普通のものだった。
普通の、男友達との日常。
顔を合わせれば挨拶を交わし、気が向けば変哲もないことを話し、時たま授業のことを話題に上げる。花垣の周りには千堂らが集まってくることも多く、千冬の彼女ということもあってか名前を会話に混ぜてくれることも多かったので、退屈もしなかった。
そんな話を千冬にするのが、いつしか恒例となっていた。
「今日タケミっちがねー、」
「そしたらその時タケミっちがさ、」
「タケミっちって実はね、」
名前は純粋に嬉しかったのだ。
身近で大切な人にこそ、その日あった出来事を話したくなる。些細なことを分け合うように話せる人こそが特別なのだと、そう思っているフシもあるのかもしれない。
花垣は、千冬の親友だ。
花垣と話したことなら、千冬は耳を傾けてくれる。「はは、なんだソレ、タケミっちバカだなー」なんて相槌を打ちながら聞いてくれる。それが嬉しかった。女友達との会話を話したところで、この反応は返ってこないから。
だから、気付かなかったのだ。
帰路で別れたあとの、千冬の顔が。日を重ねるごとにむっすりと曇っていくことに。
「⋯⋯アイツ、今まで男の話なんてしなかったのにな」
*
「あ、千冬だ」
二限目が終わったところだった。小腹の空いた名前は、昨日の帰り道に千冬と立ち寄ったコンビニで購入したお菓子を、花垣にお裾分けしながら食べていた。その場面にふらっと千冬が現れたのだ。
「おはよー、いま来たところ?」
千冬の持つ鞄を見て、名前はちいさく首を傾げる。特段驚くことではなかった。むしろ三限目に間に合っているなんて素晴らしい。
しかし名前の問には答えず、千冬はじっと、名前と、花垣と、そしてお菓子とを順繰りに見てから口を開いた。
「⋯⋯オマエら、いっつもこうなわけ」
「⋯⋯こう? まぁ、席替えしてからは」
「──あっそ」
酷く素っ気のない返事だった。冷たささえ携えている。その返答に驚く暇さえ与えず踵を返した千冬の背中に、慌てて声をかける。それは意図せず慎重さを潜ませたものになっていた。
「千冬⋯⋯? 何か用事あったんじゃないの⋯⋯?」
「何もねぇよ」
「でも、用もなしに立ち寄るなんて今まで一回もなかったのに⋯⋯それになんかピリピリして⋯⋯何かあった?」
「何もねぇっての。しつけー」
名前と花垣は顔を見合わせる。今の千冬は、明らかにおかしい。
唇はむすりとへの字を描き、隠しきれない苛立ちが溢れ出している。何より花垣へ向けられる視線があまりにも鋭い。とても親友へのそれではない。最早敵チームと対峙するとき用のものなのでは、と思うくらいだ。
ゆえに、千冬の言葉になおも「でも、」と食い下がる。しかしそんな名前に千冬はますます苛立ちを募らせたようで、大きな溜め息を落とし、それからぽいっと何かを放った。それを反射的に伸ばした手でキャッチして、手のひらの中を見る。
「これ⋯⋯」
今名前が開けているお菓子の味違いのものだった。昨日名前が散々迷って、選び取らなかった方のものだ。
昨日は「早く決めろよ」なんて、若干面倒そうに言っていたのに。
「⋯⋯天気良いし、たまには一緒にサボってそれでも食おうかと思って来たけど、やっぱいーや。なんかダルくなったから今日は帰るわ」
「ち⋯⋯千冬、まって」
呼び止める声が大きくなってしまった。周囲の視線を感じるが、そんなことを気にしている場合ではない。しかし千冬は足を止めることなく去ってしまう。
取り残されて数秒。気不味い沈黙を挟んでから、花垣が心配そうに、それでいてぼんやりと呟くように口にした。
「⋯⋯これってもしかしなくてもやべーよ名前ちゃん」
「⋯⋯やっぱりタケミっちもそう思──」
「うん、思う」
「返事が早い」
ふたりの認識の共通確認。
これはきっと、どうやら、嫉妬というものをさせてしまったらしい。
そのことに気付いたとき、初めに名前に浮かんだのは疑念だった。
いやしかし、千冬に限ってそんなことあるだろうか。
なにも浮気をしていたわけではない。隣の席の人間とお菓子を食べていただけだ。しかも相手は“花垣武道”である。
「⋯⋯タケミっち、千冬の親友なんじゃないの」
「? 一応そう思ってたつもりだけど⋯⋯」
「でもお菓子のお裾分けしたら、その、妬かれちゃったよ⋯⋯?」
やっぱり何かの勘違いかな、という気持ちで問うた名前だったが、花垣はさも当たり前といった調子で答えた。
「まぁそれは⋯⋯千冬、名前ちゃんにゾッコンだから。あー、オレも気軽に受け取るんじゃなかったな。席隣になった時に気引き締めたつもりが、最近少し緩んでたかも⋯⋯」
「え⋯⋯?」
名前は千冬なのに、と思う。千冬がこんなふうに、しかも言ってしまえば些細なことで、その上花垣相手に嫉妬を見せるなんて、と。
しかし花垣は、千冬だから、と思っているらしい。そして名前は何も気が付いていなかったが、今の言い振りから花垣はどうやら、日頃から“千冬が嫉妬しないように”気を付けて生活をしてくれていたらしい。
「タケミっち、ほんとのこと言ってる?」
「え? ウン」
「でもわたし、千冬が嫉妬してくれたとこなんて見たことないよ」
「そりゃ一生懸命隠してるからさ、千冬も。オトコだし見せらんねぇ、とか思ってそうじゃん」
「お⋯⋯思いそうだけど⋯⋯」
この話を聞いた今でも、俄には信じられない。
しかしもし本当のことなら、これまで幾度、千冬にそんな想いをさせてしまっていたのだろう。毎日のように花垣やその仲間たちとの出来事を話して。そう考えたら、居ても立ってもいられなかった。
手早く荷物を纏め、慌ただしく席を立つ。花垣を見下ろし、戦に赴く心持ちで告げた。
「苗字名前、本日は二限をもちまして早退とさせていただきます」
「うん、いってらっしゃい」
無駄に凛々しい表情で送り出された名前は、駆ける。いつもの公園まで。息を切らして。乱れる髪もそのままに。
「──千冬」
弾ませた息を短く吐き、整えることもせずに声をかけた。ジャングルジムのてっぺんに陣取りぼうっと空へと視線を向けていた千冬は、名前に一瞥だけくれて、またすぐに視線を上へと持ち上げた。
「⋯⋯何だよ」
ぶっきらぼうに問うてくる千冬を見上げる名前の目にも、映る。青々とした空。こんなに綺麗に晴れた空の下なのに、千冬にそんな顔をさせてしまっていることが苦しい。
ジャングルジムの細い棒を手で掴み、もう一度、名を呼ぶ。
「千冬」
「⋯⋯だから何」
「大好き」
「──」
千冬の呼吸が、一拍分伸びたのが分かる。
千冬だけではない。名前も名前で、愛情表現は上手くない。一丁前に愛を欲しがるくせに、自分から「好き」と面と向かって伝えたのはいつ以来だろう。
そんなことを考えて、気付けば言い訳のように言葉を並べていた。
「⋯⋯わたしたち、あんまり共通の友達っていないでしょ。だから、取り留めのない話を取り留めもなくできるのが嬉しくて⋯⋯千冬の気持ち、何も考えてなかった。浅薄なことしてて、ごめんなさい」
千冬の視線が名前に向くまで、下げたくなる目線を叱咤して千冬を見上げ続ける。
その間たっぷり五秒。
空から引き剥がされた視線がゆっくりと名前を捉えて、僅かに細まる。そののち観念したように開いた口から出てきたのは、盛大な溜め息だった。
「⋯⋯っは〜〜、オレ、クソダセーんだけど」
「な⋯⋯なんで?」
「だってバレてんじゃん、妬いてんの。てかきっと今回に限ったことじゃねぇんだろ。オマエ、他のヤツとのことほとんど話さねーし」
きっと、ずっと気付かれていたのだろう。千冬はそう思う。
これまで名前が他の男の話をしなかったのは、ひとえに名前の配慮だったのだろう。此度の出来事でそれを感じた。相棒と呼べるほど信頼している花垣相手ですら抱いてしまう嫉妬心。それに気付かれてしまうくらいなのだ。きっとこれまでだって、他の男──ただのクラスメイトとか──相手に、何度も。
なんとも不甲斐ない話だ。
格好が付かない一心で隠してきたつもりだったのに。見通されるどころか、気を遣わせてしまっていたなんて。
しかし千冬の想像とは裏腹に、名前からは困惑と驚愕に満ちた表情が向けられる。
「え⋯⋯今回に限ったことじゃない⋯⋯んですか⋯⋯」
「え⋯⋯気付いてたんじゃねぇの」
「うん、まったく」
「マジで」
嘘ではないと、一目で分かった。
見開かれた名前の瞳は、心底驚いていなければ出せぬ色を纏っている。
ということは、何か、アレか。
「ハハ、じゃあオレ、ただ暴露しただけじゃん、日頃妬いてるっての」
どこか諦めたように笑う千冬は、色々回ってすっきりしたように見える。その姿を名前の眼差しが静かに見上げる。そこに滲むのは後悔と自責だ。これまで何も気付かずに。千冬から与えてもらっていたぬるま湯に浸かりながら、そのくせ飢えを訴えていた自分の滑稽さが恨めしい。
「ちなみに⋯⋯タケミっち以外の男の子の話をしないのは、ただ、わたしが逆のことされたらすっごい嫌だからって理由だけだよ。もし千冬がクラスでわたしの知らない女の子と話したこととか、ちょっとでも聞いただけで嫌だなって思っちゃうもん。だからわたしも話さないって決めてただけで⋯⋯重い?」
「え、や、別に⋯⋯てかオマエもそんなふうに思うんだ」
「うん、すごく思う」
素直に頷けていた。千冬の暴露話を聞いたあとだからだろうか。こくりと首肯した名前を見下ろして、千冬はぶすっと顔を歪める。
「そーいうことは早く言えよ、嬉しいだろ」
「え⋯⋯ふふ、そうだったんだ」
「まぁそもそもオレ、他の女と話すことなんてねぇけどな。見た目こんなんだから怖いんじゃねぇ?」
えぇ、見た目で判断しちゃうなんて勿体ない。と出かかった言葉を慌てて喉に押し込む。危ない。そんなの、他の女の子に千冬の良さがバレてしまう。名前も大概独占欲が強いのだ。千冬の良さを不特定多数に知ってもらうより、名前だけが知っていたいと思う程度には。
こんな気持ちを抱いているのも、名前だけだと思っていた。
「⋯⋯でもそっかそっか、嬉しいな、千冬も嫉妬とかしてくれるんだ」
「⋯⋯」
「ふふ、ちょっとほっぺが赤いよ千冬クン」
「⋯⋯減らねぇ口だな、暑くなってくる時間なんだよ。つーか制服でこんなとこ登ってくんな、見えちまうだろ」
話しながら少しずつよじ登っていたジャングルジム。スカートの中身が見えることを心配してくれている千冬の隣に、ぴょこりと覗かせた顔が並ぶ。
足を掛けている棒の上で、軽く背伸びをして。
これから天頂へと向かおうという太陽の光を受けながら、千冬の拗ねた唇に重ねた。
踵を浮かせる魔法みたいね
麗兎様より、嫉妬心を隠しているつもりが隠せていない千冬とのおはなし